多摩爺の「時のつれづれ(師走の41)」
年賀状じまい
悠長に構えていたが・・・ 気がつけば、師走も三分の一が過ぎており、
そろそろ年賀状の作成に取りかからねばならない。
現役時代は200枚ぐらい出していたが・・・ 55歳で事業の第一線を退き、
グループ会社に転身したときに、一つの区切りをつけさせていただき、
150枚ぐらいのお付き合いにさせていただいてはいたものの、
その後は、年齢的なこともあって、欠礼状をいただくことが毎年10枚強あったり、
ポツポツと年賀状じまいされる方も増え、10年後に完全リタイアする65歳を過ぎてからは、
130枚前後のやり取りで、お付き合いを続けさせていただいている。
「筆まめ」と云う言葉は・・・ 本来、手紙や葉書など文章を小まめに書く人のことだが、
ここ10数年「筆まめ」と云ったら、年賀状を作成するソフトウェアになってしまい、
ネットで検索しても、真っ先に出てくるのはソフトウェアで、
意味の説明を求めようと思えば「筆まめ 意味」と付け加えなければ、
なかなかヒットしないんだから・・・ 驚いてしまう。
「筆まめ」の対義語の「筆不精」なら、すぐにヒットするんだから、
なんか、おかしなことになってきてるが、
そんなことを思いつくのは・・・ 私だけだろうか?
そんな私も来夏には・・・ ついに、古希を迎えることになる。
自画自賛になってしまうかもしれないが、
こう見えて私は・・・ けっこう筆まめだと思っており、
年賀状を作成するのは、期日に追い立てられることを除けば、そんなに苦になったことはなかった。
とはいえ・・・ 親が亡くなったことを記す欠礼状を、ここんとこ毎年10数枚いただき、
それに目を通すのも「なんだかなぁ・・・ 。」との思いがあったり、
女房は女房でドライに割り切って、年賀状じまいで良いじゃないのと云うので、
来年は古希で区切りも良いので・・・ 思い切って、来年を最後に年賀状じまいにすることにした。
現役時代は、ありきたりの「謹賀新年」や、「あけましておめでとう」から始まり、
たまに「春風」とか、「春よこい!」なんて記した後に、短いコメントを書いていたが、
リタイアしてからは・・・ 「こんな年にしたい。」、「こんな年であったら良いな。」的な思いを、
四字熟語に託して記してから、短いコメントを続けるようにしている。
因みにリタイアした66歳の令和2年は・・・ 「草木萌動(そうもくほうどう)」で、
もうじき始まる、セカンドライフにワクワクしながら、
なんでも良いから「新しいことにチャレンジしよっかな?」って思いから、
リタイアする3月末の武蔵野の大地を想像しながら・・・ 草木萌動と記した。
令和3年は・・・ 「日日平安(にちにちへいあん)」にした。
黒澤明監督、三船敏郎主演で昭和37年1月1日(正月)に封切りされた映画「椿三十郎」で、
脚本のベースとなった、山本周五郎原作の時代小説「日日平安」を参考にした言葉だが、
大陸からやって来た、新型コロナウイルスの猛威に、恐れおののく日々から、
1日でも早く、安心できる生活に戻れるようにとの願いを込めて・・・ 日日平安と記した。
令和4年は、残念ながら欠礼状になってしまった。
前年3月に91歳で父が、6月には88歳で義母が、9月に90歳で義父が相次いで霊山に旅立ち、
それぞれに想いを馳せながら、感謝の思いを込めて、
いままで見たことがないような、長文の欠礼状を作り、丁寧にご挨拶をさせていただいた。
令和5年は・・・ 「萬古清風(ばんこせいふう)」とした。
亡き親に想いを馳せつつ、実家で一人暮らしの母や、だれも住む者が居なくなった女房の実家に、
これまでも、これからも変ることなく吹く清風に思いを寄せて・・・ 萬古清風と記した。
そして、いよいよ令和6年、古希を迎えるし、年賀状じまいってことで、
半年ぐらい思案した結果、選んだ言葉は・・・ 「悠々緩々(ゆうゆうかんかん)」だった。
言葉に秘めた思いは、時勢に一喜一憂するのも分からんではないが・・・ もう、古希なんだから、
年相応に穏やかに「のんびりいこうよ。」との思いを込めて、悠々緩々と記すことにした。
今年、いまのところ欠礼状が届いているのは14枚だから、
その方々への年賀状じまいを除けば、今年投函する来年の年賀状は120枚である。
原案は既に出来てるので、20日ごろまで待ってから、プリントに取りかかろうと思う。
小学校の高学年から書き始めた年賀状だが・・・ 約60年の時を経て、
再来年の元旦からは、郵便受けの確認に急ぐことは、もう必要がないということである。
割り切るつもりではあるが・・・ 気持ちを切り替えることができるだろうか?
割り切ってるようで、意外に女々しいところがあって、
女房ほどドライじゃないので、それだけがちょっと気になっている。
サラリーマン生活が長いと、出会いと別れが多くて、年賀状が増えますが、
私の場合広島を経て東京(本社)勤務になってから、あっという間に増えたと思います。
北は北海道から、南は大分までお世話になった先輩や後輩がたくさん居て、
フランチャイズの中国5県に始まり、首都圏や関西圏以外にも仙台、新潟、長野、石川、三重、香川、愛媛などですから、ほぼ全国です。
後輩なら許してくれるのでしょうが、先輩からはお叱りを受けるかもと思うものの、
お互い様ですから割り切ることにしようと思っています。
たくさん年賀状を書かれていたんですね。
私は親戚、友達くらいなので、主人と合わせて失敗も予想して50枚買って来ました。
でも年々思う事が膨らんできたのは、
学生時代の友人とは子供が出来てからは会う事もなくなり、宛名も挨拶文も印刷されたものに『お元気ですか?』だけの自筆に
心は離れてるなって感じた事でした。
今はもう私の関係は、離れていても心は繋がってる人しか出していません。
そう言うところがドライなのかもしれないですね、、
もう面倒くさいって言う方が本音でもありますけど😅
そういう文化が廃れて行くのかもしれませんね。
たぶん30名弱になると思いますが、
兄妹などの近い親族や、チョー親しい友人や知人とのお付き合いは、
四字熟語を楽しみながら、孫の写真を添付して続けることになると思います。
さすがに宛名を手書きするのは無理だと思いますが、
必ず手書きで一筆添えるようにしていて、
それが書けなくなったら、その時がホントの年賀状じまいになるときだと思っています。
先ほど、年賀状を書きあげました。
自分で印刷した絵柄や写真入りで、枚数は少なくなってきましたが、自分自身の手書きの宛名を
両親が健在なうちはずっと出そうと思っています。
別に暮らしてる中学生の孫にも(返事もらえるのを楽しみに~(^^♪
母からも手書きの文字で送られてくるので、大切にしたいなと。
四字熟語に思いを託すのって、けっこう楽しくて、
ここ数年は秋口から毎年いろんなことを考えていました。
それも・・・ もうって思うと、寂しくもありますが、いつかはそうなると思えば、
どこかで割り切るしかないと思っています。
年賀状を楽しみにしていた方も多い気がします。古希が区切りになれば良いですね。
自分は平成が終わるのを区切りに年賀状仕舞いをしましたが、いまだに十数枚が届きます。