多摩爺の「時のつれづれ(水無月の6)」
人種差別という心の病
アメリカで起こった人種差別パンデミックが、いま世界の各地に飛び火している。
事の発端は、黒人容疑者が偽札を使ったとの通報を受け、
駆けつけた白人警察が拘束したまでは良かったが、
容疑者の頸部に対して、長時間(8分46秒)の圧迫を加え窒息死させたことから始まった。
その時間が仮に1分弱だったとしても、頸部に圧迫を加えれば死に至ることも想定され、
これはもはや、行き過ぎた捜査の範疇を大きく超え、犯罪行為だといっても言い過ぎではないだろう。
容疑者が黒人だったから、こういった事態になったのだろうか?
ヒスパニック系だったら、アジア系だったら・・・ 果たしてどうだったのだろうか?
また、白人だったらどうだったのだろうか?
もし、駆けつけた警察官も黒人で、黒人容疑者の確保に同じような対応をしていたら、
どうなっていたのだろうか?
また、駆けつけた警察官が黒人で、黒人容疑者の確保に手心を加えてしまい、
一瞬の隙を突かれて、拳銃で反撃され命を落としていたら・・・ どうなっていたのだろうか?
アメリカという国が・・・ 銃社会であることを忘れてはならない。
白人警察官が勤務していた警察署の規定では、こういった状況の場合、
どういった行動を取れと明記されているのか?
それを開示しなければ、この容疑者確保が規定どおりだったのか、
そうではなかったのかが分からない。
当然ながら、人種差別は絶対にあってはならない。
よって、人種差別に対し抗議デモをすることは間違っていないし、
略奪などの違法行為がなければ支持したいと思う。
しかし、一つ気になっているのは「ジャスティス(正義)」のプラカードを掲げて、
その支持を訴えることは、ちょっと、意味が違うんじゃないかと思っている。
確かに違法な手法で確保され、不幸にも命を落としたが、
容疑者の偽札容疑が間違っていたという情報はなく、
偽札によって、被害を受けた店舗からしてみたら・・・ 依然として、容疑者のままなのである。
プラカードが意味する「ジャスティス(正義)」は、いったいなにを指しているのだろうか?
実態を知らず、魂の叫びを知らず、
平和な国でテレビ越しに見ている者が、軽々に物申すことは控えねばならないが
そこには日本人が知らない、数多くの理不尽と不平等が・・・ 山ほど蓄積されていたのだろう。
表向きは平等を装っていても、背景には人種差別が根強く残っている国だけに、明快な答えはないが、
新型コロナウイルスの感染拡大で、通りすがりのアジア人が、
街中で一般人から暴行を受けたとの報道もあり闇は深く、
差別される側であっても、時と処と状況が変われば、差別をする側に立つこともあり得る。
このことも一つの事実として、捉えておかねばならないだろう。
我が国のように、治安の良い国に住んでいると、デモは良いとしても、
なんでそれが暴行や略奪にまで至るのか?
申し訳ないが、それだけは・・・ 理解に窮してしまう。
さらにこういった場合・・・ デモをする人々の背後には、純粋に抗議行動に熱を入れる人々に紛れ、
SNSを巧みに操り、様々な不満を扇動して、混乱に陥れることを企むプロ市民が少なからずいて、
事態が悪化するように、展開を誘引していることも・・・ 忘れてはならない。
本来、あってはならない、理不尽な人種差別による不平等は、
世界のどこにでもある心の闇であり、克服できそうで、できない・・・ 心の病でもある。
故に、何が問題になっていて、なにが正しくて、なにが間違っているのか?
現実を俯瞰し、客観的に見極める視線を・・・ さらに磨かねばと、思ってやまない。
コメントを頂戴しありがとうございました。
この手の話題は、人それぞれ思いがあるのでしょうが、
熱くなる人が多く、気がついたときには、本筋から大きく逸れて、持論の展開に終始している人が多くいます。
あまりに酷い誹謗中傷だったら削除しますが、そうでなければほっとくことにします。
ご心配いただき、ありがとうございました。