多摩爺の「時のつれづれ(霜月の30)」
千の風になって
大晦日の恒例となっている「紅白歌合戦」への出演者が発表された。
「やっぱり、ジャニーズがたくさんいるね。」とか、
「坂道グループはいるけど、AKBはダメだったね。」とか・・・ 女房と娘が話していた。
私は「紅白歌合戦」を見なくなって久しいが、LGBTが社会問題となっているいまどきに、
女性と男性を紅白に分けて・・・ 歌で争い、勝ち負けを決めることに、
年に一度のイベントとして、歴史を刻み続けることには価値があるのかもしれないが、
時代が時代だけに、そろそろ見直すタイミングなのかなと、思ったりもしている。
記憶が確かなら・・・ 15~6年前のことだと思うが、
「千の風になって」という、印象深い歌が「紅白歌合戦」で歌われたことがあった。
あと1時間もすれば、新しい年となって、
皆が「あけましておめでとう。」と、挨拶を交わすであろう時間帯に、
「♪ 私のお墓の前で泣かないでください。」と歌い出したもんだから・・・ ドキッとしたが、
歌詞そのものは、心に響き、強く共鳴するものがあり、
太くて清らかな、どこまでも伸びていくような声量に聞き惚れていた。
大晦日という日は、1年の365分の1であっても、人それぞれに特別な夜であって、
カウントダウンなどのイベントで、街中に繰り出して新年を迎える人がいれば、
一年を通してのできごとを振り返り、新たな誓いを胸に秘め、
一つの区切りをつける・・・ 大切な時間にしている人もいるだろう。
特に近い親族を亡くした年においては・・・ 欠礼状(喪中ハガキ)を出し終えると、
微妙な手持ち無沙汰感を感じつつ、一息ついた感に自己陶酔し、
例年とはちょっと違った年の瀬を、感慨深く過ごしている人が多いのではなかろうか?
そういった視点で捉えると、めでたい新年を目前に控えて、
好んで耳にしたいような内容ではなかったものの、
不思議と心に刺さり・・・ なにかしら感じる歌だったと記憶している。
さて、今年もまた・・・ 欠礼状が届くころになってきた。
現役時代に、大変お世話になった尊敬する上司から、一昨日届いた欠礼状には、
私と同年代の奥様が亡くなられたと記されていた。
年金生活に入って3年目だが、この歳になると、親を亡くすことは覚悟せねばならないし、
不慮の事故でなければ、順番だからと納得せざる得ないものの、
奥様を亡くされたとの報に接すると・・・ さすがに心が痛く、切なくて堪らない。
1997年の日本シリーズで、スワローズがライオンズを破って優勝を決めた夜、
野村監督が宙に舞った場面を、神宮球場の内野席で、ご一緒させていただき、
歓声を挙げていらっしゃったことを思い出した・・・ 慎んで、ご冥福をお祈りしたい。
我が家も昨年は、卒寿を超えて間もなかった、父と義父母が相次いで亡くなっている。
親が思い出の中の人になってから・・・ 早いもので、1年と数ヶ月が経った。
母はいまのところ元気で、故郷で一人暮らしをしてるが、すでに92歳、
100歳まで生きると、威勢は良いが・・・ その自信過剰が、一番気がかりでもある。
まだまだ、千の風になってほしくはないので、
故郷の野山を、季節を通して穏やかに吹いている萬古清風を、
すっかり薄くなってしまった肌に感じながら、
もう少し、長生きしてくれたらと・・・ 願ってやまない。
梅の香を乗せて幾多の春を運び、桜の花を散らせて春が行き、
紫陽花の露を払いて夏を呼び、夕立の跡を撫でて夏が行く。
赤蜻蛉の舞いに目を細めて秋を送り、冬・・・ 白銀を纏って山眠る。
そして、ふたたび・・・ 風光る。
四季の国には・・・ いつも、穏やかな風が吹いている。
この歳になると、ワクワクすることが少なくて、
一年という月日が本当に早くて・・・ あっという間に過ぎて行く。
季節が移りゆくたびに、一年、また一年と歳を重ねてゆくたびに、
気になるのは・・・ 昭和の一桁生まれで、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた、
甘えること、頼ることを嫌う、気丈な母のことである。
毎週のように、女房が電話してくれてるけど、
久しぶりに・・・ 私も声が聞きたくなってきた。
今夜あたり、電話してみようかな。
「元気にしてる? 寒くないの?」と・・・ 他愛もない話しかできないが、
たまには、母の長電話に付き合ってみてるのも良いだろう。
母のこと心配していただき、ありがとうございました。
昭和一桁生まれの女性は、ホントに手強くて、なかなか言うことを聞いてくれませんが、
素直になったときが怖いので、しばらくは適度に親子喧嘩をして、
妹と女房がなかを取り持ってくれるパターンで行こうと思っています。
昨日の朝、NHKの朝ドラ「舞い上がれ」を見た後、風と四季というテーマでなにか書いてみようと思っていたら、
紅白歌合戦と、いただいた欠礼状と、亡くなった親のことが、なんとなく繋がってきました。
実は前の2行は2年前の正月に記したものと同じですが、後の2行は新たに作り替えたものです。
ちょっと辛気くさい内容でしたが、共感を頂き嬉しく思います。
>梅の香を乗せて幾多の春を運び、桜の花を散らせて春が行き、
紫陽花の露を払いて夏を呼び、夕立の跡を撫でて夏が行く。
赤蜻蛉の舞いに目を細めて秋を送り、冬・・・ 白銀を纏って山眠る。
そして、ふたたび・・・ 風光る。
素晴らしい一文ですね!