自閉症三十路女の日常ブログ タイトル変えました!

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雑多な日記

私が引きこもりから自閉症と診断されるまで

2021-05-07 02:40:00 | 日記
こんにちは

私は自閉症をもっている者です。
発達障害の一種で、重いものから軽いものまで人様々に症状が違います。
私は外見では判断出来ないぐらい、普通におしゃべりする事も簡単な作業も出来ます。しかし、細かい所で普通のことが出来ない場面が多々ありました。

その一部が、曖昧な表現や遠回しなものの言い方をされるとそのまま受け取ってしまう、今風に言うと空気が読めない人です。

仕事でもそれはマイナスにしかならず、曖昧な表現の指示書や、適当にやっといて、と言われるともうパニックです笑笑
何をどのぐらい何時までに!?

そこが気になって気になってしょうがありません。
そんな指示をするぐらいですから、上司は優しくありません笑笑

忙しそうな人に質問をするのも、優しい人に何度も質問するのも本当に申し訳なく思っていて、段々と仕事が嫌いになっていきました。

自分が自閉症だとまだ分からなかったので、なぜ周りと同じ事が出来ないのか、何でこんなにも無能なのかと自分を責め鬱っぽい感じになりました。

夜になると、孤独に耐え、強盗に殺される妄想や親や親戚が死ぬかもしれないと意味のわからない妄想ばかりしました。
そして朝になると仕事に行きたくない行きたくないと布団の中で「どう休む言い訳しよう」そればかり考えていました。
毎朝微熱が出て、布団から起き上がるのが億劫になり、支度をして玄関のドアノブを掴んで30分自問自答ばかりしていました。
病欠の多い私は会社からクビになったり、心配されたり。。。


後先考えずに、死んでしまおうか、私なんて居なくとも会社は回るし親に迷惑をかけるくらいなら消えてしまおう。

そう考える毎日でした。

ですが、死ぬのは痛い、痛くない死に方を調べてもそんなものはありませんでした。包丁を腕に当ててみても、引くことはできませんでした。
そんな事も出来ないなら、身体は生きたいと願っているのだろうと思い、落ちるところまで落ちてやろうと誰かに助けられるまで引きこもりました。



親に助けられてからも暫く引きこもりましたが、親が発するイライラや時々聞こえて来るケンカの声を聞くと全て私の責任だ、生きててもしょうがない、やはり死のう死んで許してもらおうなんて事ばかり考えました。
たまに親がくれる求人誌も私を追い詰める要因になりました。
仕事に就いてもまた同じ事の繰り返しで仕事を辞めるのが目に見えているのです。

親に病院に行って検査をしたいとお願いしました。
病院の予約は3ヶ月待ちでした。
母はわたしにこう言いました
「病院行くまで働く気はないって事ね?」
ただの確認だったのかもしれません。
家にお金が無いのは子供の頃から変わりませんが、もう私は子供ではなく親に仕送りをしても良い年頃なのですから当然でしょう。
とても苦しみました。
自閉症だと診断が出てやっと、母は私に優しく接するようになった気がします。


今は役所の人に助けられ、障害年金を受け取りながら働く準備をしています。
自立して心配をかけない事、それが当面の目標です。

ゆくゆくは、私と同じ体験をした人の人生を手助けできる、苦しい人に寄り添える仕事につけないか模索中です。


ここまで私の病気に関する自己紹介を読んでいただきありがとうございました!
暗い内容で申し訳ないです。


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