パパね、中身が女の人らしい💁🏻‍♀️

性同一性障害MtF
恋愛対象は女性
強烈な男性拒絶でさらに複雑

IKEAのにしきへびくんが可愛くてたまんない🐍

2020年06月19日 | 日々のこと🍀
この前IKEAから連れて帰ってきたサメちゃんとにしきへびくん。
リビングのソファでにしきへびくんと戯れながらのんびり過ごす時間が快適☺️
IKEAさん、シマウマちゃんも出してくれないかなー



性同一性障害のカウンセリング 第三回 そして

2020年06月18日 | 男から女性へ💁🏻‍♀️
「私、その頃から立ってトイレすることができなかったんです」
「それは今でもっていうこと?」
「はい、そうです」
「小学三年生の頃からずっとっていうことよね?でも男子トイレ使ってるだろうし、不便だったんじゃないの?」

小学校三年の時、学校で性教育の授業があった。
今の様にインターネットなどの情報が無い時代、小学生が手にすることができる情報源は雑誌やテレビくらいしかない。テレビは親の目もあるので性に関わる番組などを観るのは難しい。となればあとは雑誌を本屋さんで立ち読みする程度だろう。
親とはほとんど一緒に暮らしていない状態だったので、叔母の家で自由にテレビを観ることはでいたものの、さすがにキワドイ描写のあるシーンや、直接的な性に繋がる番組は抵抗がある。
その程度の知識、情報量では、男と女の違いは単純に生殖器、外性器が違うところくらいしかわかっていない。そこからさらに男と女の違いを学ぶために性教育の授業があり、生理や妊娠、射精などについて知っていくことになるのだ。

「性教育の授業の時に、先生が最初に話したのが、男の子は男子トイレを、女の子は女子トイレを使うっていうことで、男と女の体の違いを描いた大きな絵が黒板に貼られてたんです」
「うんうん、そういうのあったよね。それを見て体の違いがよくわかったんだね」
「いや、従姉妹と一緒にお風呂入ったりしていたので、ある程度はわかっていたんですよね。ただ、自分の身体がこれからどう変わっていくかっていうのがぼんやりとしかわかっていなかったのが、はっきりしていった感じでした」
「そうだね、女の子も男の子も二次性徴で大きく変わっていくことを説明していくから、ある意味ちょっとショックだしね」
「ショックはショックでしたけど、その使うトイレが違うっていうところをクローズアップしていたので、それでもう明確に男性拒絶というか、男子トイレに入ること自体苦痛になってしまって」
「そうなの?苦痛って、どういう風に?」
「あの小便器とか、そこでしてる後ろ姿とか、男って感じる様子を見ると強烈に吐き気がする様になっちゃって、男子トイレに入ることができなくなって。いつも我慢してましたね」
「先生に相談したりしたの?」
「はい、担任の先生が女の先生だったんですけど、授業中にトイレに行くことが何度かあったのでおかしいなって思われたんですよね、ある時職員室に呼ばれて。それで男子トイレ入るのが嫌だって話したら、“じゃあトイレ行きたくなったら先生に言ってね、先生用のトイレ連れてってあげるからね”って言ってくれて」
「優しいねぇ、いい先生だったんだね」
「はい、私がほとんど叔母の家で生活していることも知っていましたし、女の子の志向があることもわかっていたみたいなので、もしかしたら先生は私の心が女の子だって理解していたのかもしれないです」
「うん、そうかもね。先生用のトイレは女子トイレだったの?」
「はい、そうです。いつも先生が一緒に中へ入って個室へ入れてくれて、手洗い場のところで待っててくれました。その時にね、いつも先生が外から私に話しかけてくるんですよ。その話が面白くて、トイレ行くのが楽しくなっちゃって」
「うまいなぁ、その先生。苦手意識を克服するためにだったんだと思うよ。素晴らしいわ、その先生」

その先生が担任になったのは三年生の時だけだったが、その後卒業するまでずっと私を気にかけてくれていた。トイレはもちろん、他にもいろいろなこと、学校での不安はこの先生のおかげで克服できていたのだと思う。

性教育の授業で男と女の体の違いを学んだ。
その時、妊娠する仕組みとして、男の精液に含まれている精子が、女性の子宮へ入り、卵子と受精することで妊娠するという説明もあった。
だが、そうするためにどうするのかということについては一切触れていなかった。つまり、男性器を女性の膣へ挿入し、そこで射精するという行為、セックスという行為自体は分からないままだ。
性教育の授業が終わった後、担任の先生が私がどう思ったかを聞いてきた。場所は職員室の隣にあった応接室の様なところだった。

「大人になればそのやり方とかも少しずつ学んでいくんだけど、そのためにあなたの身体もどんどん変化していくの。男の人と女の人で使うトイレを分けているのも、男と女では世の役割が違うからなのよ。今は何かあっても先生が手伝ってあげることができるけど、それはまだあなたが小学生で、子供だからなの。これから中学生になって、高校生になって、大学生や社会人になっていくと、先生みたいに手伝ってくれる人はいなくなっていく。自分で全て解決していかないといけないんだよね。大人になるっていうのはそういうことも含めてなんだよ」

自分でもわかっていることではあったが、男子トイレに入ることができない気持ちは、どうにもできなかった。せめて男子トイレの個室にそのまま入ることができればいいのだろうが、そうもいかない。小便器を使うことすらできないのだから。

「立っておしっこすることできないの?」
「うん」
「それはそうやってするのが嫌なだけなのかな、それとも身体がなにかうまくできないような感じなのかな?」
「身体は普通だと思うんだけど、嫌なの。男みたいにするとか、そういうのが嫌なの」
「そっか、それじゃ仕方ないもんね」

先生は否定しなかった。
年齢的にもキャリアの長い年配の先生ではなかったが、私が意図することや含んでいることを正確に汲み取ってくれたのをよく覚えている。

「その先生との出会いはあなたにとって大きかったよね」
「そうですね、この先生がいなかったら、学校でトイレも行けない子供だったと思いますよ」
「その頃、立っておしっこできなかったのって、何がどう嫌だったんだろうね」
「私が女の子が好むおもちゃや物で遊んでいると、いつも母と姉が“あんたは男なんだから女みたいなことすんじゃないよ”って罵倒してきてたんですよね。母は父のことを引き合いに出して“男なんて汚らしい、お前も汚らしい男なんだよ”とかよく言ってたんです。それで男は汚らしいものみたいな意識がついたんだと思う。自分が女の子みたいになることを嫌がる様になったわけじゃなく、逆に自分が男であることが嫌で仕方なくなってたと思います」
「そりゃそうなるよねぇ。なんなんだろうな、お母さんは。お父さんとの間でいろいろあったのかな」
「そうだろうと思います。直接聞いてないですけどね」
「まぁその頃に植え付けられた意識で、男性は汚らしいみたいな強烈なイメージが出来ちゃってて、それがずっと残っていて男性と感じる様なシーンの一つとして男子トイレや、男の人が用を足してるところを受け入れられなくなった、っていうことなんだろうね。でも、息子さんがいるでしょ?小さい頃とかトイレに連れて行ったりして教えてあげたりするのは大丈夫だったの?」
「はい、それは大丈夫でしたね。男性拒絶も、相手が子供だったら全く問題ないんですよ。自分の子だけじゃなく、他人の子でもそこは平気なんです。二十歳くらいの頃に自分で思いついた対策があるんですけど、子供は全く問題なし、それ以外でも相手を自分なりにカテゴライズして役目や役割をつけてしまえばある程度大丈夫になりました」
「克服方法を自分で見つけたんだ。それは良かったね、だから院長先生とかは大丈夫なのね」
「はい、もう院長先生っていう役割としてカテゴライズしてるので、ぜんぜん大丈夫です」
「でも子供がトイレに行く時とかは一緒に男子トイレに入って行ったんでしょ?」
「はい、もうそれは苦痛で仕方なかったので、周りを一切見ない様にしながら、子供に話しかけたりして気を紛らわせていました」
「実際に男子トイレ、紳士用トイレに入ると、何かしら身体に反応が出るの?」
「吐き気がします。もう強烈に。子供が大きくなってきてからは一人で行かせる様にして、私は可能な限り我慢してましたね。膀胱炎になったこともありますけど、それでも紳士用トイレに入るよりはましなので」
「今もその状態っていうことだよね?」
「はい、そうです」
「ちょっとまだ先の話ではあるけど、性同一性障害の診断が確定して、女性化の治療を開始して、ある程度見た目が女性化したら、トイレも女性用を使う必要が出てくると思うんだけど、あなたにとってはそれは長年の苦しみを解放する一つの出来事になるよね」
「なりますね、相当大きな影響になると思います。出先で普通にトイレを使うことができるなんて、何十年もなかったわけですから」

私の様な人は他にもいるだろうとは思う。ただ、ここまで極端な例は少ないのではないだろうか。五体満足であることに感謝をしなければならないし、事情や状況はどうであれ私の性別違和は私個人問題であり、大きく言えば我が儘の一つとされるかもしれない。
ただ、当事者にとっては苦痛でしかなく、日常生活を営む上で外出を避ける理由にもなるために、何かがあって外出するということになった時、いつも踏みとどまる要素になっていた。
診断確定して女性化ができれば、そういった悩み苦しみからも解放されるのだろうか。

「小学校三年っていうのは、ある意味自分の性別を強く認識させられた大きな時期だったっていうことだね。ここで性別違和と性自認が決定づけられたのかもしれないなぁ」
「そうだと思います。この後から体育の授業なんかも着替えが男女別になりましたし、男と女って明確に分けられたので、自分はこっちじゃない、男と一緒は嫌だって凄く強く思っていました」
「そうだね、子供とはいえそういう意識は強く残るからねぇ。性教育の授業の後も、周りの女の子たちとはうまくやってたの?」
「全くかわりないというか、それまでそんなに仲良くしていなかった女の子たちからもよく話しかけられる様になって、それまで以上に女の子だらけの環境になりました」
「わかるなぁ、それ。周りの女の子にしてみれば、男子の中では特別な存在っていうか、女子のことをよくわかってくれる男の子っていう貴重な存在になってたんだと思うよ」
「そうなんですかね、そんな感じでしたね。それがその後の虐めに繋がるんですけどね」
「言ってたよね、虐めのこと。今日はこの辺にして、次回はその虐めのことについて話してもらえるかな」

小学校四年の終わりに起きたある出来事。それがきっかけになって五年生からは毎日虐めに遭っていた。酷い時期だった。このことも人に話したことがない。今日、ひとつ心の扉を開いたことで、話をすることに抵抗がなくなっていた。次回のカウンセリングで虐めのことも話せば、また少し心が軽くなる様な気がした。

病院を出て車に乗り込む。
黙り込んでいた彼女が口を開いた。

「次のカウンセリングもあたし同席させてもらいたいな」
「うん、いいよ。私もその方が嬉しいし」
「ほんと?よかった」

次は一ヶ月後だ。それまでにまた女性としての容姿を整えられる様に練習しなければ。

「おなかすいたね。なんか食べ行こうか?」

彼女の言葉で緊張が解け、おなかが空いてきた。
息子が帰ってくるまでまだ時間がある。
少し遠回りをしてもいいだろう。
海岸線へ向かって車を走らせた。

性同一性障害のカウンセリング 第三回

2020年06月16日 | 男から女性へ💁🏻‍♀️
「あら、いいじゃない、背が高いからスカーチョとかワイドパンツとか似合うわよ」

診察室へ入るなり、カウンセリングの先生が声を張る。
明るい口調、それだけでも気持ちがすっと楽になる。院長先生の診察とは違う空気感は、初めて女性の服装で来院した私の緊張を収めてくれた。

「先生すみません、さっき院長先生の診察も彼女に同席してもらったんですけど、カウンセリングも同席でいいでしょうか?」
「えっと今日は小学生の頃の話だったよね。その当時のことは彼女に話してあるの?」
「いいえ、話してないです。というか、今まで誰にも話したことないんです」
「なるほどね。彼女が一緒でも抵抗なく全て話せるかな?」
「大丈夫だと思います。知ってもらった方がいいと思いますし」
「そっか、じゃあ同席でいきましょう」

自分でも迷いはあった。誰にも話したことがない小学生時代のこと。母と姉からの差別、偏見、虐待、学校での虐め、集団暴行、幼い身体と心への深い傷。何もかもが辛く、記憶を反芻することは苦痛でしかない。でも今日、このカウンセリングで全てを話し、曝け出すことで前に進めると信じたい。

彼女とはこの数週間で急激に距離が縮まった。だからといって恋人ではない。お互い、口には出さないが、そういう関係ではないと思う。もっと深く、もっと大きな存在。言葉で言い表すのは難しい。ただ、彼女には私の全てを知っていて欲しいと思った。

「さ、では始めましょう。幼稚園の頃は叔母さんのところで過ごすことが多かったんだよね。あと従姉妹ね。小学校に入ってからもその環境は変わらなかったの?」
「はい、むしろ小学校に入ってからのほうが頻度は高くなりました。叔母と母の間でどんな話をしたのかはわからないのですが、小学校に入ってすぐ、叔母が“うちからのほうが学校も近いから、ずっとうちから通えばいいよ”って言ってくれて凄く嬉しかったのを覚えてます」
「そうだったんだ。でもお姉さんも同じ小学校だったんでしょ?」
「はい、そうです。あの、その頃から気づいていたんですけど、実際には叔母の家の方が少し距離があったんですよ。多分、叔母は本当の理由を誤魔化すために言ったんだと思います」
「そうだろうねぇ、なんかあったんだろうね、お母さんと叔母さんの間での話の中で」

自分で車を持つ様になってしばらく経った頃、当時住んでいた街へ行ったことがある。当時の家は取り壊されており、叔母の家も既に無くなっていた。
伯母の家があった場所の近くに車を停めて、小学校まで歩いてみた。当時の記憶そのままのところもあれば、全く違う建物、道に変わっているところある。小学校は明らかに伯母の家の方が遠かった。

「学校では仲のいいお友達とかはいたの?」
「はい、みんな女の子でしたね。男子とは話くらいはしますけど、休み時間に遊んだり、放課後に遊んだりっていうのは全くしなかったです」
「一般的なことで言うとね、そのくらいの年代から大抵は仲のいい子同士で数人の集団が複数出来ていって、男子は男子、女子は女子みたいになっていくのよ。あなたの場合はその時点でどういう感じになっていたの?」
「幼稚園の頃から仲良しだった女の子と、あとは他の幼稚園から来た女の子も仲良しになって、いつも一緒でしたね。母と姉がいる家と伯母の家は小学校を挟んで反対にあったんですよ。その二人の子は伯母の家側に住んでいたので、朝も帰りも待ち合わせていていつも一緒でした」
「それは仲良くなるよね、わかるわ、私もそんなことあったから」

先生が楽しそうに微笑む。皆、同じ様な経験があるだろう。

「どっちの子の家も私のことを気にしてくれていたようで、よくお家に呼ばれて遊んだり、お泊まりしたりしてました。二人とも伯母の家に泊まりにきて、従姉妹と四人で遊んだり、楽しかったです、そこにいる時だけは」
「そういえば、従姉妹も同じ小学校だったの?」
「いえいえ、従姉妹とは歳が離れてたんですよ。小学校と中学校が隣り合ってたんですけど、従姉妹は私が小学一年の時にはもう中学二年でした。七つ上なので」
「そうなんだ、その年頃での七つ上は相当お姉さんに感じるよね。従姉妹さんにしてみれば可愛い弟というか妹みたいな感じだったのかな」
「はい、大人になってからも何度か会ったんですけど、会う度に言ってました。“ほんと可愛い妹みたいで、あたしがずっとお世話してあげたんだから”って。嬉しそうに言ってくれてたので、私も嬉しかったです」
「いい関係だね、それは。従姉妹さんはわかってたのかな、あなたが性別違和を感じていて、心が女の子だっていうこと」
「たぶんわかっていたと思います。一度も男として扱われた記憶がないですし。私が高校に入った頃、従姉妹は結婚して関西に引っ越しちゃったんです。私は高校二年から一人暮らししてましたけど、従姉妹とはその頃も週末は伯母の家に帰ってきていて、私も頻度は少なくなりましたけど、それでも月に二、三回は伯母の家に行ってましたから、その度に従姉妹からからかわれてましたね、“なに男みたいな格好してんのよ”って」
「そこまで話せる仲だったんだね、ほとんど姉弟みたいな関係性だったんだろうなぁ。その頃、本当のって言ったらあれだけど、お母さんやお姉さんとは会ってたの?」
「会ってないです。そのために家を出たので」
「なるほどね。じゃあちょっと話を戻しましょう。小学校では仲良しの女の子たちといい関係で楽しく過ごせていたわけよね。周りの他の生徒から何か反感を買ったとか、そういうことは無かったの?」
「ありました」

誰もが経験があることだとは思うが、小学生になると大抵は男子、女子に行動が分かれ、それは授業など学校生活そのものだけでなく、遊び相手にしても話し相手にしても、全ての場で影響してくる。
そういう環境下で、男の子が女の子と仲良くしていれば“なんだよあいつ、女とばっかり仲良くして”という声が出てくるものだ。
私のことを入学前から知っている男の子は、私が女の子寄りの性格、性質だとわかっているので特に何も思わなかったのだと思うが、入学してから知り合った他の男子の中には、いつも女の子と一緒にいる私を面白くなく思っている奴も多かった。まして女の子たちもただ私と話をしたり一緒にいたりするだけではなく、男子に何かされたとか喧嘩した、意地悪なことをされたなどがあると、真っ先に私に言ってきた。私は問題の男子のところへ行き、話をするなり、怒るなりして問題解決をするというのがいつもの流れになっていた。
そういう様を見て先生達は私のことを正義感があるとか、優しいと言って褒めてくれた。私自身は特別なことをしたという意識はなく、悪いことは悪いと言っただけだし、女の子を虐めたり、女だからといって卑下されたり、嫌がらせをされるということ自体、許せなかっただけだ。

「まぁ先生達から見れば女の子を守ってるっていう感じに映ったんでしょうね。私自身は自分も女子のつもりでいたから、仲間を守ったみたいな感覚だったんですけど」
「そうだよねぇ。たぶん、その当時はまだ性別違和っていう概念や症状自体、一般的なものじゃなかったから、先生達もそういう認識がなかったと思うのよ」
「そうですよね」
「となると、他の男子からするとあなたって凄く女の子に人気がある風に映ってたんじゃないの?」
「はい。だから妬みとかやっかみだったんですよね」
「うん、そうだと思うよ。あなた自身も嫌がらせとか虐めとか受けたりしたの?」
「そうですね、ピークは小学校五年生の一年間でした。同じ学年のほぼ全員から無視されて、一部の男子からは殴る蹴るの暴行を毎日受けてました」
「そうだったのねぇ。辛い記憶だと思うんだけど、その頃のこと、もう少し詳しく話してくれる?」

この話をする時が来た。
硬く閉ざした心の扉の一番奥へ仕舞い込んでいた虐めの記憶。
この話をするには、先にあることを話しておかなければならない。

「はい、大丈夫です。でもその前に、小学校三年の頃の話をしないとわからないと思うので・・・」
「そうなのね、じゃあそのことから聞かせてくれる?」
「小学校三年の時に性教育の授業があったんです」

性別違和と性自認、自分自身が他の人とは違うと明確に認識した生々しい記憶。
少し後ろの椅子に座った彼女を見ると、涙で潤んだ瞳を私に向けたまま、ゆっくり頷いた。
先生は黙って、私が続けるのを待ってくれた。

「私、その頃から立ってトイレすることができなかったんです」

DIC川村記念美術館で和菓子をいただく🍀

2020年06月16日 | 日々のこと🍀
千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館
今はCOVID-19の影響で事前予約制になっていますが、二年ほど前に息子と行ってきました。

林を抜けて開けたところにある美術館。落ち着いた佇まいもですが、敷地内の自然散策路も美しい。
館内は広々としており、ゆっくりと様々な作品、作者の意図に触れることができる空間。
その奥に茶席があります。そこの和菓子がとても美味しい。
お抹茶と生菓子。夏に行ったのですが、目に涼しくとても上品なお味。
今年の夏、また二人で行ってこようかな💁🏻‍♀️






今年もところてんの季節がやってきた☀️

2020年06月15日 | 日々のこと🍀
私、暑いの苦手なんです。
特に高湿度がほんとに駄目で、湿度が上がると途端に具合が悪くなっちゃう。

これはホルモン療法に入る前、きちんと先生から説明があったのですが、女性ホルモンを投与するようになってしばらくすると、汗の出かたや体臭、体感温度が変化するらしく、ホルモン療法を始めて1ヶ月ほどで変化を感じるようになり、今ではすっかり変わってることを感じています。

まず汗。
男時代は例外なく、顔から出る汗の量が多く、脂質も高かったのでねっちょりしてたのが、脂性な感じは無くなって乾燥肌に変化。去年の夏なんかも顔の汗がグッと減っているので、お化粧崩れは少なくなりました。
体も全体的に汗の量が減ってきていて、脇汗はある程度出ますけど、腕や足、腰回りもあんまりな感じ。ただ、胸と下半身の汗はちょっと増えたかな。でも男時代よりはぜんぜん少ないんですけどね。

体臭はほんと減りました。
加齢臭なんてほぼ無くなってるようで、息子だけじゃなく、友達に確認(笑)してもらっても全く出ていない様子。気遣いされてるのかなと思って皮膚科へ行った時に仲良しの女医ちゃんに確認してもらいましたが、全く感じないとのことなので間違いなさそうです。よかったよかった(笑)。

こうなるとね、以前よりは夏に耐性ができてる気がするので、去年も突然思い立って21:15にお家を出てそのまま新潟の日本海を見に行きましたけど、今年は「日本一うまいトコロテン」へ行ってみようかなと。
お箸一本で食べるところてん、本当に日本一と思えるほど美味しいらしいんですよね。高速乗り継いで4時間くらいだし、今年はやっぱり行ってみようと思います💁🏻‍♀️

それまではスーパーで安売りしてた普通のところてんで充分。
安上がりなのよね、私ってば(笑)。