田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『乱』

2021-04-24 15:24:32 | 映画いろいろ

『乱』(85)(1985.6.25.シネマ1)

 シェークスピアの悲劇『リア王』と毛利元就の「三子教訓状=三本の矢」を基にして、架空の戦国武将・一文字秀虎(仲代達矢)の家督譲渡に端を発する3人の息子との確執、兄弟同士の骨肉の争いと破滅を描く。

 前作『影武者』(80)は、勝新太郎から仲代への主役交代、宮川一夫、佐藤勝ら、スタッフの離脱など、製作過程で多くの問題を抱える中、黒澤のいら立ちや焦りが反映されたのか、作品全体に余裕がなく、俳優陣も硬直し、本来は笑いが起こるであろう場面も、笑うに笑えないところがあった。

 それに比べると、この映画は、破滅の美や人間の愚かさといったテーマを『影武者』よりもさらに突き詰め、神仏の不在にすら踏み込んで描いた割には、三男・三郎(隆大介)の気質を気に入り、婿に迎え入れる隣国の領主・藤巻(植木等)、秀虎付きの道化の狂阿弥(ピーター)、次男・次郎(根津甚八)の腹心・鉄修理(井川比佐志)のキャラクター設定や、それを演じる者にも余裕が見られる気がする。何より、黒澤自身が楽しみながら撮っているように思えるのだ。

 幽玄な武満徹の音楽、カラフルなワダエミの衣装、斎藤孝雄、上田正治、中井朝一の見事なカメラワーク、村木与四郎と忍夫妻の美術、そしてネガ編集の南とめなど、スタッフワークもお見事。

 ただ、ソ連で作った『デルス・ウザーラ』(75)、コッポラとルーカスが協力した『影武者』、今回はフランスのセルジュ・シルベルマンがプロデュースと、もはや日本単独では映画が作れなくなり、しかも5年に一本という製作ペースにならざるを得ない黒澤の悲劇を感じなくもない。となると、この映画の秀虎の姿は黒澤自身の進境を反映したものなのだろうか、と想像したくなる。



『影武者』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/aee35037fe2095b54bad388e8cdc2483

 

 

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熱海の海岸『金色夜叉』 熱海城『キングコング対ゴジラ』

2021-04-24 07:08:27 | 雄二旅日記

 過日、訪れた熱海のサンビーチには『金色夜叉』の貫一とお宮の銅像がある。「熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ」の歌でも有名な、尾崎紅葉の小説『金色夜叉』は、サイレント映画の時代から何度も映画化されている。

 さすがにどれも見ていないが、監督・野村芳亭、貫一(林長二郎=長谷川一夫)、お宮(田中絹代)の1932年版、監督・マキノ正博、貫一(上原謙)、お宮(轟夕起子)の48年版、監督・島耕二、貫一(根上淳)、お宮(山本富士子)の54年版あたりが有名どころか。

 最近では、三谷幸喜作の「笑の大学」でもパロディ劇中劇として登場したし、周防正行監督の『カツベン!』(19)の劇中映画の中では、上白石萌音がお宮を演じていた。

 寛一とお宮は、あくまで紅葉の創作であって実在の人物ではないのだが、こうして銅像があったりすると、実在したと勘違いする人も少なくないという。サンビーチには貫一のモデルとされる巖谷小波が、熱海と初島を遠泳した時に詠んだ「何の苦も 夏の汐路や 島三里」の句碑もある。

 奥の山上に見える熱海城は、観光用に作られたもので、本当の城ではないが、『キングコング対ゴジラ』(62)で、両雄が最後に対決した場所として印象深い。

 両雄が組み合ったまま海に落下し、泳いで去っていくコングのバックにコングとゴジラの咆哮が重なって聞こえるのだが、今回のハリウッド版『ゴジラvsコング』に、このシーンをほうふつとさせるようなものは全くなかった。

熱海映画
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7e51f84f28f222f3152849918a2262ed

「熱海対ゴジラ」「熱海怪獣映画祭」などが行われているようだ
https://www.littlemonsters.co.jp/atamivsgodzilla.html#a01
https://atamikaiju.com/

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