田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

フレデリック・フォレストの出演映画『カンバセーション…盗聴…』『地獄の黙示録』『ワン・フロム・ザ・ハート』

2023-06-25 13:12:43 | 映画いろいろ

『カンバセーション…盗聴…』(73)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5d28d09f859de86469874f3fc42ffb60


『地獄の黙示録』(79)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7aa55490013bc2c9808a32194c8eb7b7


『ワン・フロム・ザ・ハート』(82)(1982.9.16.渋谷文化)

 見る前にさまざまな不評を耳にした。そして、確かに前半は、自分も納得ができない映画だという気がしていた。映像の美しさは認めるにしても、そこで展開する何ともとりとめのないラブストーリーに違和感を抱かされたのである。

 ただ、これは全編をラスベガスを模した街並みを再現したセットで撮影し、映画の中にビデオを入れ込むという新たな試みをコッポラが実験的に行ったのだと思い直せば、ストーリーの粗雑さはさておき、美しい映像とトム・ウェイツとクリスタル・ゲイルの歌声に素直に酔っていればいいのかもしれない。

 そう思うことで、自分自身を納得させ、もう一度映画の中に入り込んでみたら、不思議なことに、面白くないと思っていた映画が輝き始めた。つまり、自分の中から現実感を取り去った時に、初めてこの映画の中に入り込めたのだ。

 実際、この映画の内容は、男と女の愛の難しさ、悲しさをベースに作られているのだが、どこまでが夢で、どこからが現実なのか…という不思議なストーリーになっているし、全体がセットで撮影されているため、ばかばかしいと思いながら見れば、これほどうその世界に見えてしまう映画も珍しい。

 だが、いったんこの映画の持つ不思議な魅力がある世界に入り込めば、あとは深く考えずに、見続ければいいのだ。きっとこの映画を酷評した人たちは、あまりにも人工的な美しい映像の中で繰り広げられる男女の愛憎劇にアンバランスなものを感じたのではないだろうか。

 フレデリック・フォレストとテリー・ガーの新たな魅力を発見した。

【今の一言】まあ支離滅裂な映画ではあるので、40年前の自分の文章も支離滅裂、と言い訳を。


『ワン・フロム・ザ・ハート』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/53fb3781a6f5d2e581cd0077a9d3d8cf

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フレデリック・フォレストの出演映画『タッカー』

2023-06-25 12:42:59 | 映画いろいろ

『タッカー』(88)(1988.11.5.日本劇場)

 1945年、革新的な自動車を開発し旧来的な業界を変えたプレストン・タッカーの実話を、フランシス・フォード・コッポラ監督&ジョージ・ルーカス製作総指揮で映画化。

 この映画は、監督のコッポラが言うようにプレストン・タッカーという忘れられた男の生涯を掘り起こすことによって、全てのクリエーターや職人たちの夢に捧げられたような映画に仕上がった。

 タッカーの生きざまを見ながら、ピーター・ボグダノビッチがジョン・フォードの映画に送った「敗北の中の栄光」という言葉が浮かんできた。

 だがそこに、物を作り出す際に生じる苦悩や、個人の才能を押しつぶそうとする権力や体制を同時に描き込むことによって、コッポラのアメリカン・ゾートロープ、ルーカス・スタジオ、そしてスピルバーグのアンブリンといった個人の映画製作会社の存在とイメージが重なるところがあった。

 そして、この映画の最も愛すべきところは、描かれた時代が40年代ということもあるが、久々にアメリカの古き良き家族像やデモクラシーの美しさをストレートに描き、昔の心温まるアメリカ映画をほうふつとさせた点だろう。

 このあたりは、コッポラとルーカスのタッカーに対する思い入れの強さもあろうが、この映画を亡き息子に捧げているコッポラの、家族に対する思いも大きく反映されているのだろうと思う。

 加えて、相変わらずの見事なカメラワークを示したビットリオ・ストラーロの撮影、好漢タッカーを見事に演じたジェフ・ブリッジス、大人の女の色香を感じさせた妻役のジョアン・アレン、驚くべき老け役のマーティン・ランド―、ジェフとの親子共演となった上院議員役のロイド・ブリッジス、タッカーの息子役でクリスチャン・スレーター、技師役にはコッポラお気に入りのフレデリック・フォレスト、おまけにマコ岩松まで出てくる。こうしたいいキャスティングにも魅せられた。

 このところ不振が続いたコッポラだが、久々に本領を発揮した映画といってもいいだろう。それだけに、うわさされている引退など、まだしてほしくないと強く感じた。

 タッカーの法廷での最後の演説に全く脚色がなかったとしたら、まさしく彼は自動車産業の未来を予見していたことになる。あまりにも今の状況と類似しているのだ。これには驚かされた。

【今の一言】珍しくフォレストが主演したビム・ベンダースの『ハメット』(82)もなかなかよかったが、彼はやはりコッポラの秘蔵っ子という印象が強い。故に、コッポラの凋落と重なって活躍の場が失われていった気がするのが残念だ。


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