『ザ・フライ』(86)(1987.8.29.新橋文化)
この映画を見終わった瞬間は、ハエ男(ジェフ・ゴールドブラム)のあまりにもグロテスクな姿に気味悪さを感じて、後味がよくなかったのだが、同時に、やるせなさや切なさも感じた。そして、時間がたつにつれて、前者よりも後者の印象の方が強くなってきた。
そこには、ベロニカ(ジーナ・デイビス)のハエ男に対する力強い接し方や、愛の形への驚きもあったのだが、己の意思に反して、肉体が破壊される悲しさに心を動かされ、流行のSFXを駆使したスプラッター映画とは一味違う、一種のラブロマンスとして、この映画を見たからだろう。
これまでデビッド・クローネンバーグの映画は『シーバース/人喰い生物の島』(75)を見ただけだったが、肉体破壊や異形化をグロテスクに描きながら、ラブロマンスに仕立て上げるとはいささか驚いたし、どこか捨て難い魅力もある。それは、正面切っては見たくない、人間の毒や汚れを形を変えて見せられるからなのかもしれない。
この映画を見ると、30年近く前のオリジナルの『ハエ男の恐怖』(58)の影をほとんど感じさせない点も含めて、改めてテクノロジーの進歩や、遺伝子の組み換えなど、時代の急速な変化を感じずにはいられなかった。
また、『エレファントマン』(80)のジョン・ハートもそうだったが、この映画のゴールドブラムのすさまじいばかりの怪演を見ていると、向こうの俳優はなぜこうした役にここまで入れ込むのだろうと思ってしまった。
(2010.10.17.ムービープラス)
この映画を最初に見た頃(80年代後半)は、グロテスクにハエ男化していく主人公のセス(ジェフ・ゴールドブラム)を見捨てないジーナ・デイビス演じるベロニカを、強い女だと評価し、2人の愛を賞賛する声が多かった。だが、当時から、自分には「本当にそうなのだろうか」という釈然としない思いがあった。
今回見直してみて、その疑問の根がはっきりした。ベロニカは、上昇志向の強いジャーナリストで、特ダネを狙ってセスに近付く。
そして、かつての恩師のスタシス(ジョン・ゲッツ)には公私共に世話になりながら、セスに興味が湧くと一方的に彼を嫌う。ところがハエ男化したセスの子どもを身ごもると、今度はスタシスに泣きつくという。なんともわがままな女なのだ。
女性の社会進出をただ闇雲に礼賛するところがあった当時の風潮が、ベロニカを悲劇のヒロインたらしめたのか。早い話、彼女がセスにきちんとした態度を示してさえいれば、彼はやけを起こさず、物質転送にも慎重を期し、ハエと合体してしまうこともなかったのだ。
全てはこの女の煮え切らない態度が原因を作ったともいえる。つまりこの映画に切なさを感じるのは、セスとベロニカの愛にではなく、ベロニカに振り回されるセスとスタシスの姿が悲しいからなのだ。
監督のデビッド・クローネンバーグは、執拗に肉体の変化や崩壊を見せたが、CGが発達した今となっては何だかかわいらしく見えてくるところもあった。キリスト教的に言えば、人工的な進化は神への冒とくに当たるから、それを行った者は罰を受けることになるのか。多分この話の奥にはそうしたものが含まれているのだと思う。