『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(63)(1982.11.5.自由ヶ丘武蔵野推理劇場)
東西冷戦下、アメリカの将軍(スターリング・ヘイドン)が正気を失い、ソ連への核攻撃を命令。大統領(ピーター・セラーズ)や政府高官は事態を収拾しようとするが、核兵器を搭載した爆撃機は目標に向かって進んでいく。
この映画は、先日見たシドニー・ルメット監督の『未知への飛行』(64)とほぼ同時期に作られている。『未知への飛行』が徹底的にシリアスなドラマとして作られているのに対し、この映画はブラックコメディとして風刺を効かせた作りになっている。そこにルメットとキューブリックの違いが感じられて面白い。
実際のところ、キューブリックにこれほどまでのユーモアのセンスがあるとは思ってもみなかったし、もしチャップリンが原水爆や核戦争を皮肉ったら、こんな映画を作るのではないかとまで思ってしまった。
さて、この映画と『未知への飛行』を見るまでは、アメリカは映画を使って自国のうみを出す、あるいは問題を告発する姿勢を、こと核問題に関しては持ち合わせていないのではないかと思っていたのだが、この2本を相次いで見ることができたおかげで、その思いは一変した。
『猿の惑星』(68)まで行きついてしまえば、あくまでもSF上での話になるが、この2本が描いた事態は、ばかな指導者が一人いれば、明日起こっても何の不思議もないほど切実で現実的なのだ。キューブリックは、そんな恐ろしいことを、正面切って深刻には描かず、どこかおかしなばかげた話として描いている。これはすごい。
ピーター・セラーズ。先の『チャンス』(79)で改めてその芸達者ぶりを知らされたが、先にこの映画を見ていたら、自分の中で彼の評価はもっと上がっていただろうと思う。何しろ、アメリカ大統領とイギリス軍大佐、兵器開発局長ストレンジラブ博士を1人で演じたのだから。まさに怪演の極致。改めて惜しい人を亡くしたと思う。
スリム・ピケンズ。西部劇の脇役として有名なおっさんだが、この映画は彼の代表作と言っても過言ではないほどの活躍を見せる。ロディオのように水爆にまたがったまま、カウボーイハットを振りながら落下していくさまは傑作以外の何物でもない。
『未知への飛行』
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