火野正平を最初に認知したのは、テレビドラマ「飛び出せ青春」(72)の兵藤という足の悪い生徒役。レギュラーではなく、まだ本名の二瓶康一を名乗っていた。それが翌年、NHK大河ドラマの「国盗り物語」(73)で木下藤吉郎(羽柴秀吉)というはまり役を得て大ブレークしたのだから驚いた。秀吉役は何人もの名優が演じているが、火野の秀吉はその中でもトップクラスに入る名演であった。また、「傷だらけの天使」(74)の乾亨役は、当初は水谷豊ではなく火野で決まりかけていたという。火野の亨も見てみたかった気がする。
一方、私生活では次々に女性と関係を持ち、プレーボーイとして世間を騒がせる男としても有名になった。当時、中学生だった自分は、特に二枚目でもない火野が何でそんなにもてるのか不思議だったことを覚えている。
その後は、「長崎犯科帳」(75)出島の三次、「服部半蔵 影の軍団」(80)の大八、「必殺」シリーズといった時代劇や「2時間ドラマ」の名脇役として活躍した。
そんな彼のイメージを一新したのは、NHKの紀行番組「にっぽん縦断 こころ旅」(11~)で自転車に乗って全国を訪ねる姿を見せてから。そのイメージの違い加減は、まるで「釣りバカ日誌」シリーズの三國連太郎のようだと思ったものだった。
最近では、『生きててよかった』(22)のボクシングジムの会長、『鬼平犯科帳 血闘』(24)の相模の彦十、『ラストマイル』(24)の下請け宅配ドライバー役などで渋いところを見せていたので、自転車ばかり乗っていないでもっと映画やドラマに出てよと思ったものだった。
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