通算本塁打3位の門田博光(南海、オリックス)、名捕手の岡村浩二(阪急、東映)、そして鈴木康二朗と、このところかつての名選手たちの訃報が続く。
1977年9月3日、後楽園球場で巨人の王貞治が通算本塁打の世界記録となる756号を放ったが、相手投手はヤクルトの鈴木だった。
あの日、高校の悪友たちと「今日あたり打ちそうな気がする」と思い立って、学校帰りに球場に行き、当日券でレフトスタンドに入ったのだった。
第1打席はフルカウントからフォアボール。第2打席もフルカウントとなると、球場内には野次とブーイングが広がり、異様な雰囲気に包まれたが、鈴木が投球動作に入ると今度は一転して静かになった。
そして運命の6球目を王がフルスイングし、打球は一直線にライトスタンドに飛び込んだ。その瞬間、雰囲気は一変し、歓声と叫び声と拍手が湧き上がった。この球場内の劇的な変化は今でもはっきりと覚えている。
鈴木は、この年は14勝し、翌年は13勝を挙げて、ヤクルトの日本一に貢献。近鉄に移籍後は抑えとして活躍した。長身で眼鏡を掛け、少し体を折り曲げるようにしてスリークオーターから投げるフォームが印象的な投手だった。今考えると、彼はプレッシャーのかかる中、よく勝負したと思う。
「王に756号を打たれた投手」と呼ばれたが、後年、鈴木は「自分が潰れたら、王さんが一人の投手を殺したことになる。打たれたことで頑張れた」と語っていたという。「王に756号を打たれた投手」は立派な称号だ。
後日、球場に入場券を持っていくと、王さんのサイン色紙(印刷だったが…)をくれた。赤丸は引き換えの証。
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