惹句は、寅が訪ね歩いたのは、今や決定的に失われた風景、人情、ニッポン。映画に「動態保存」された役者を、鉄道を、時代を辿る。寅さんの跡を辿って「失われた日本」を描き出すシネマ紀行。
『男はつらいよ』の大ファンを自認し、軽い“旅テツ"でもある、物書きの端くれの自分にとっては、うらやましいことこの上ない企画。
最初は偶然だったのだろうが、シリーズの途中から、山田洋次は失われゆく日本の風景を記録することを強く意識していたと思う。だから、今や寅さんは記録映画の側面も持っていることになるのだ。それにしても「動態保存」とは言い得て妙である。
また、柴又の隣町の金町に住む身としては、「すべては柴又に始まる」「京成金町を行き来して」が特に印象に残った。
読後、YouTubeで名場面を見直してみたら、それぞれの場面ごとに、絶妙なタイミングで流れてくる、山本直純の音楽の素晴らしさに改めて気付いた次第。
こんなところにシェーンが!
2000年に始まった『X-メン』シリーズの第9作。シリーズを支えたウルヴァリン=ローガン(ヒュー・ジャックマン)の“最後の戦い”を描く。
時は2029年。老いたミュータントのローガンとチャールズ(パトリック・スチュワート)の前に、謎の少女ローラ(ダフネ・キーン)が現れる。ローラの命を狙う武装集団から逃れるため、ウルヴァリンは衰えた体に鞭打って戦いを繰り広げるが…。
先年、西部劇『3時10分、決断のとき』(07)を撮ったジェームズ・マンゴールドは、今回も激しいアクションの根底に、3人の逃避行という西部劇的な要素を盛り込んでいる。その点では「車を使った西部劇」とも言われた『マッドマックス 怒りのデスロード』(15)と通じるところもある。
だが、『マッドマックス~』が終始ドライなタッチで押し切ったのに比して、この映画は『シェーン』(53)を引用することで、ローガンの孤独や、ローラとの心の絆などを浮き立たせ、見る者のウエットな感覚を刺激する。
だから、もし『シェーン』の引用がなかったら、この映画のラストシーンへの感慨は全く違ったものになっただろうと思うのだ。意外な形とはいえ、こうして西部劇の魂が受け継がれていくのはうれしい限りだ。
史実を超えた自由な発想
時は安土桃山時代。花僧の初代池坊専好が、前田利家邸で豊臣秀吉に披露したとされる「大砂物」の伝説を基に、京都の町衆でもある専好(野村萬斎)が、生け花で豊臣秀吉(市川猿之助)に物申すという新たな物語を創造した。織田信長(中井貴一)、千利休(佐藤浩市)、利家(佐々木蔵之介)、石田三成(吉田栄作)ら、多彩なキャストが脇を固める。
父・三國連太郎が『利休』(89)で演じた役を、今回、佐藤が演じたことに時の流れを感じるが、この映画の監督は、佐藤が新境地を開拓した『起終点駅ターミナル』(15)の篠原哲雄だけに、今回の感情を抑えた利休像も、俳優・佐藤浩市にとっては大きな役になったのでは…と感じた。
脚本は大河ドラマ「おんな城主 直虎」の森下佳子。その史実を超えた自由な発想、あるいは、狂言(萬斎)対歌舞伎(猿之助)のいささか大げさな演技合戦を、楽しめるか否かが、この映画に対する評価の分かれ目となるだろう。
ぜひ完結編を
『イップ・マン 序章』(08)『イップ・マン 葉門』(10)に続く、ウィルソン・イップ監督、ドニー・イエン主演によるパート3。今回も実在の人物であるイップ・マンを主人公に、フィクションを巧みに入れ込んだオリジナルストーリーが展開する。『~葉門』のラストに登場した少年が成長し、李小龍(後のブルース・リー)となって弟子入りを志願するシーンも楽しい。
舞台は1959年の香港。大筋は、町を牛耳ろうとするアメリカ人(何とマイク・タイソン!)の前に、イップマンが立ちはだかるというもの。その中に、タイソンとの異種格闘技戦はもちろん、ムエタイの使い手、詠春拳の後輩(マックス・チャン)との対決など、ドニー=イップ・マンの見せ場が満載。タイソンとは3分間の限定、ムエタイとはエレベーター内外と階段、後輩とは棒、剣、素手の三段階と、アクションの見せ方にも工夫を凝らしている。
今回の新味はがんに侵された妻(リン・ホン)との夫婦愛が描かれているところ。二人の身長差も含めて、イップ・マンの恐妻家としての一面がほほ笑ましく描かれていただけに、死を覚悟した妻の前で木人を打つ姿が余計に切なく映った。ここはアクターとしてのドニーの見せ場である。
さて、『~葉門』でドニーのイップ・マンと初めて出会った時、「最初は賢者なのか愚者なのか分からない雰囲気を持って現れたのだが、見ているうちに彼の不思議な魅力にはまっていく。とにかくアクションシーンは、驚きを通り越して思わず笑ってしまうほどすごい」と記したが、そうした彼のアクションは、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(16)『トリプルX:再起動』(17)といった客演的なハリウッド映画よりも、やはり主戦場である香港映画の方が映えるのだと、この映画を見て再確認させられた。
本シリーズの完結編として、ぜひイップ・マンと李小龍の師弟関係を描いてほしいものだ。
良く出来たほら話を聞かされたような気分になる
破産寸前の探鉱者(マシュー・マコノヒー)と落ち目の地質学者(エドガー・ラミレス)が、インドネシアの山奥で巨大な金鉱を発見する。と、実話を基にした、どん底から金鉱を掘り当てた男たちのサクセスストーリーかと思いきや、物語は終盤にあっと驚く展開を見せる。何と170億ドル相当の金が一夜にして消えてしまったのだ…。
スティーブン・ギャガンが、山師による一獲千金話を、ジョン・ヒューストンの『黄金』(48)や『王になろうとした男』(75)にも通じる、男のロマン、夢の挫折、祭りの後の空しさを切り口にして、テンポ良くまとめているので、良く出来たほら話を聞かされたような気分になる。ヒューストンの時代と違うのは、金鉱ビジネスや投資の実態を並行して描いているところか。そこがこの映画のユニークなところだ。
1980年代独特の胡散臭さを漂わせたマコノヒー、ラミレスの好演に加えて、脇役として懐かしいステイシー・キーチとクレイグ・T・ネルソンの顔が見られたのもうれしかった。