「第93回アカデミー賞」授賞式
『ノマドランド』が、作品、監督、主演女優賞を受賞
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【ほぼ週刊映画コラム】『ノマドランド』
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『ファーザー』
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記憶や脳内こそが最大のミステリーなのだ
ロンドンで独り暮らしをしているアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、認知症で記憶が薄れ始めていたが、娘のアン(オリビア・コールマン)が手配した介護人を拒否する。
そんな中、アンソニーはアンから、新しい恋人とパリで暮らすと告げられる。だが、アンソニーの前に、アンと結婚して10年以上になるという見知らぬ男(マーク・ゲティス)が現れ、ここは自分とアンの家だと主張するが…。
日本を含め世界30カ国以上で上演されたフロリアン・ゼレールの戯曲を、ゼレールとクリストファー・ハンプトンが脚色して映画化。認知症で記憶と時間が混迷する父親の視点で描いた点がユニークで、現実と幻想の境界を描き、時空を超えるという意味では、映画向きの題材だとも言えるだろう。ミステリー映画のような趣もあり、記憶や脳内こそが最大のミステリーなのだと感じさせる。
老いた親と子の葛藤や相克という点では、シェークスピアの「リア王」とそれを基に映画化した黒澤明の『乱』(85)を、ある老人の、家族に対する時空を超えた妄想という点では、アラン・レネの『プロビデンス』(77)を思い出した。
ホプキンスが実年齢と重なる認知症の老人を演じ、彼の頑固さや、戸惑い、崩壊などを見事に表現しているが、それと互角に渡り合ったコールマンもまた見事だった。アカデミー賞で、脚色賞と主演男優賞を受賞したのも納得の出来だ。
1975年の広島カープ初優勝に貢献したゲイル・ホプキンスとリッチー・シェインブラム(シェーン)に代わって、ジム・ライトルと共に77年に広島カープに入団したヘンリー(エイドリアン)・ギャレットが亡くなった。
当時、ある人が、西部劇に例えて「シェーンが去って(ビリー・ザ・キッドを撃った)ギャレットがやって来た」と評していたのを覚えている。うまいことを言うなと思ったものだ。
メジャーでの実績は、後に中日でプレーした弟ウエインの方が上だったが、日本での成績は兄の方が断然上。78年には40本塁打を放ち、時には捕手としてプレーし、79年の球団初の日本一にも貢献した。打率は低かったが、豪快なホームランが印象に残っている。
ちなみに78年のカープの主なラインアップは
1.高橋慶彦(遊)打率302.7本塁打.47打点
2.三村敏之(二)打率249.11本塁打.23打点
3.ジム・ライトル(右)打率296.33本塁打.108打点
4.山本浩二(中)打率323.44本塁打.112打点
5.水谷実雄(一)打率348.25本塁打.75打点
6.ヘンリー・ギャレット(左)打率271.40本塁打.97打点
7.衣笠祥雄(三)打率267.30本塁打.87打点
8.水沼四郎(捕)打率271.7本塁打.46打点
いまさらながら、すごい打線だったと思う。
あるオンラインの映画トークに参加した。この日のテーマは、第2次世界大戦中、米陸軍の軍人として多数の勲章を受章した“戦場のヒーロー”から、戦後、映画俳優に転じ、主に西部劇や戦争映画に出演したオーディ・マーフィ。
とは言え、彼の出演作は、ジェームズ・スチュワートと共演した『夜の道』(57)と、テキサスの平原で牧場を営むー家の次男を演じたジョン・ヒューストン監督の『許されざる者』(60)しか見ていないので、彼について語る資格はない。というわけで、参加者の皆さんのご意見を興味深く拝聴した。
マーフィは、早撃ちのガンプレーはもちろんだが、乗馬もかなりの腕前だったらしい。今はDVDで見られる作品もあるようなので、これを機に見てみようかと思った。
かつて執筆・編集した1998年版の『外国映画 男優名鑑』には500人、2009年版には300人が載っているが、いずれもマーフィは載っていない。前者では、人選の際に師匠・長谷川正が「入れなくてもいい」としたので、落としたことを覚えている。
川本三郎の『ハリウッド大通り』にマーフィのミニバイオグラフィが載っているが、戦争の英雄が、皮肉にもPTSD(戦争後遺症)に苦しんだ事実を知らされて胸が痛んだ。
『乱』(85)(1985.6.25.シネマ1)
シェークスピアの悲劇『リア王』と毛利元就の「三子教訓状=三本の矢」を基にして、架空の戦国武将・一文字秀虎(仲代達矢)の家督譲渡に端を発する3人の息子との確執、兄弟同士の骨肉の争いと破滅を描く。
前作『影武者』(80)は、勝新太郎から仲代への主役交代、宮川一夫、佐藤勝ら、スタッフの離脱など、製作過程で多くの問題を抱える中、黒澤のいら立ちや焦りが反映されたのか、作品全体に余裕がなく、俳優陣も硬直し、本来は笑いが起こるであろう場面も、笑うに笑えないところがあった。
それに比べると、この映画は、破滅の美や人間の愚かさといったテーマを『影武者』よりもさらに突き詰め、神仏の不在にすら踏み込んで描いた割には、三男・三郎(隆大介)の気質を気に入り、婿に迎え入れる隣国の領主・藤巻(植木等)、秀虎付きの道化の狂阿弥(ピーター)、次男・次郎(根津甚八)の腹心・鉄修理(井川比佐志)のキャラクター設定や、それを演じる者にも余裕が見られる気がする。何より、黒澤自身が楽しみながら撮っているように思えるのだ。
幽玄な武満徹の音楽、カラフルなワダエミの衣装、斎藤孝雄、上田正治、中井朝一の見事なカメラワーク、村木与四郎と忍夫妻の美術、そしてネガ編集の南とめなど、スタッフワークもお見事。
ただ、ソ連で作った『デルス・ウザーラ』(75)、コッポラとルーカスが協力した『影武者』、今回はフランスのセルジュ・シルベルマンがプロデュースと、もはや日本単独では映画が作れなくなり、しかも5年に一本という製作ペースにならざるを得ない黒澤の悲劇を感じなくもない。となると、この映画の秀虎の姿は黒澤自身の進境を反映したものなのだろうか、と想像したくなる。
『影武者』
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過日、訪れた熱海のサンビーチには『金色夜叉』の貫一とお宮の銅像がある。「熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ」の歌でも有名な、尾崎紅葉の小説『金色夜叉』は、サイレント映画の時代から何度も映画化されている。
さすがにどれも見ていないが、監督・野村芳亭、貫一(林長二郎=長谷川一夫)、お宮(田中絹代)の1932年版、監督・マキノ正博、貫一(上原謙)、お宮(轟夕起子)の48年版、監督・島耕二、貫一(根上淳)、お宮(山本富士子)の54年版あたりが有名どころか。
最近では、三谷幸喜作の「笑の大学」でもパロディ劇中劇として登場したし、周防正行監督の『カツベン!』(19)の劇中映画の中では、上白石萌音がお宮を演じていた。
寛一とお宮は、あくまで紅葉の創作であって実在の人物ではないのだが、こうして銅像があったりすると、実在したと勘違いする人も少なくないという。サンビーチには貫一のモデルとされる巖谷小波が、熱海と初島を遠泳した時に詠んだ「何の苦も 夏の汐路や 島三里」の句碑もある。
奥の山上に見える熱海城は、観光用に作られたもので、本当の城ではないが、『キングコング対ゴジラ』(62)で、両雄が最後に対決した場所として印象深い。
両雄が組み合ったまま海に落下し、泳いで去っていくコングのバックにコングとゴジラの咆哮が重なって聞こえるのだが、今回のハリウッド版『ゴジラvsコング』に、このシーンをほうふつとさせるようなものは全くなかった。
熱海映画
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「熱海対ゴジラ」「熱海怪獣映画祭」などが行われているようだ
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https://atamikaiju.com/
1970年代中盤に「ビートルズの再来」と呼ばれ(笑)、一世を風靡したベイ・シティ・ローラーズのリードボーカル、レスリー・マッコーエンが亡くなったという。
中学生時代、同級生の女の子たちが熱狂していたが、俺たちは、彼らはロックバンドではなく、アイドルグループだとみなしてバカにしていた。
でも、実は「バイ・バイ・ベイビー」(後からフォー・シーズンズのカバーだと知った)と「サタデー・ナイト」(Saturdayのスペルはこの曲で覚えた)は結構好きで、仲間に隠れてシングルレコードを買ったのだ。
訃報に接して、久しぶりに聴いてみたら、あの頃のいろいろな出来事が思い出された。もう半世紀近く前のことになるのか。
https://tvfan.kyodo.co.jp/music/news-music/1271655
Bay City Rollers Bye Bye Baby
https://www.youtube.com/watch?v=zVxAj-Mis6o
Bay City Rollers S-A-T-U-R-D-A-Y NIGHT
https://www.youtube.com/watch?v=HfS_QKGjwzw
隆大介が亡くなった。彼が、黒澤明監督、仲代達矢主演の『影武者』(80)で演じた織田信長は見事だった。その風貌、扮装、そして独特の口跡から発せられた、宣教師への「アーメン」や、徳川家康(油井昌由樹)への「また会おう」の一言。CMスポットにも使われた「さすがは信玄、死してなお三年の間、よくぞこの信長をたばかった」の名セリフ、それに続く「敦盛」の舞…。まさに、信長のイメージ、ここに極まれりといった感じがした。
無名塾の師匠・仲代と再共演した『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(81)でも、事件の鍵を握る謎の男役で強烈な印象を残し、『遠野物語』(82)の主人公、大河ドラマ「峠の群像」(82)の浅野内匠頭役と続いた。
そして、再び黒澤監督、仲代主演の『乱』(85)で演じた、劇中、唯一の良心の人とも言える一文字三郎直虎役では、信長とは全く違った味わいを出して、これもまた見事だった。この後、一体どんな素晴らしい俳優になるのか、と大きな期待を抱かせた。
ところが、何故かメインにはなれず、その後は、大河ドラマ「翔ぶが如く」(90)の司法卿・江藤新平、実写版「ブラック・ジャック」(96)が印象に残る程度で、同種の俳優である役所広司や渡辺謙に追い抜かれ、いつの間にか尻すぼみ状態に。数年前、台湾で傷害事件を起こして話題になったときは、何ともやるせない気持ちにさせられた。
彼には、もし映画全盛時代にいたら、大型スターになったかもしれないという夢想を抱かせるようなところがあったのだが、結局は才能を生かし切らないまま、自滅してしまったということなのか…。残念でならない。
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