『一日だけの淑女』(33)(1997.12.9.)
街でリンゴを売り歩きながら、細々と暮らしているアニー(メイ・ロブソン)の元へ、留学中の娘が婚約者とその父親を連れて戻ってくるとの連絡が入る。彼女は貧しい暮らしを隠すため、ギャングの親分デーブ(ウォーレン・ウィリアム)の協力を得て一日だけ淑女に成り済ますが…。
後年の『ポケット一杯の幸福』(61)のオリジナル映画。確かに、これを見てしまうと『ポケット~』に対する世評の低さも仕方がないと納得させられる。
両作の大きな違いは、やはり作られた時代にあるのだろう。大不況の最中に人々が映画に対して夢を抱いていた30年代と、価値観が大きく変転し、テレビが映画を追い越した60年代とでは、同じ話を語っても、観客の心への響き方は大きく異なるからだ。
また、キャプラが映画監督として最も脂が乗り切っていた30年代の作品と、引退作とでは比べるべくもない。『一日だけの淑女』には、キャプラの自らの映画に対する自信がみなぎっており、時代が変わっても、見る者を酔わせる夢物語としての迫力があるからだ。
いつか黒澤明が「オリジナルには、作られた時代故の力があるのだから、リメークは無意味だ」と語っていたが、まさしくその通りだった。
名画投球術No.1「たまには幸せになれる映画が観たい」フランク・キャプラ
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/9e99f5d4aed0879a4acec261f63f830c
『ポケット一杯の幸福』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1c3156811cfee161832ad7a1aeb7fca6
『或る夜の出来事』(34)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/6378baebc12f8f5501d9152e81ceb4b3
『其の夜の真心』(34)(1997.12.9.)
大富豪の令嬢と結婚したダン(ワーナー・バクスター)は、義父と衝突し、愛馬ブロードウェイ・ビルを連れて家を飛び出す。ダンは、愛馬をダービーに出走させるべく奮闘するが…。
これまた、後にビング・クロスビー主演で『恋は青空の下』(50)としてリメークされたものとは比べるべくもない、自信に満ちあふれた映画で、オリジナルの圧倒的な勝利であった。
この映画の白眉は、ラスト近くのブロードウェイ・ビルの馬券に、大衆が流れていく様子を描いた、マスヒステリー的な状況におけるたたみかけのシーンであった。キャプラ映画お得意の“ラストシーンの奇跡”に大いなる説得力を与える伏線がここにも如実に表れていた。
ただ、「フランク・キャプラのアメリカン・ドリーム」によれば、この映画のラストに示されたブロードウェイ・ビルの死について、観客は「ノー」と叫んだという。
つまり、この映画の時点では、キャプラ自身も“ラストシーンの奇跡”を信じ切ってはいなかったことになる。初めから楽天家のキャプラではなく、観客のニーズによって変身していった事実が、この映画には示されているのである。
『恋は青空の下』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/e5e72684bd8c56814501e8ba2f3fa17e