『月の輝く夜に』(87)(1988.4.15.日比谷映画)
移民の国アメリカ
ニューヨークを舞台に、イタリア系アメリカ人の未亡人と、彼女に求愛する2人の兄弟の姿を描いたラブ・コメディ。
この映画を見始めた時は、この手の話を実にうまく撮るウディ・アレンのことが絶えず頭に浮かんできて、アレンならもっとうまく撮るのでは…という気がしたのだが、映画が進むに連れて、この映画が描いているのは、一見ウディ・アレン風だが、実は似て非なるものだと気付いてきた。
アレンの映画はとてもユダヤ色が濃いのだが、この映画のベースにあるのはイタリア系アメリカ人の姿であって、描かれる人たちは底抜けに明るくて、家族のつながりが深く、キリスト教の影響が強い。
つまり、アレンの映画よりもコッポラが描いた『ゴッドファーザー』(72)の方に近いのだ。そして『ゴッドファーザー』がイタリア系アメリカ人の暗の姿を描いていたとすれば、この映画は明の部分を描いたとも言えよう。
監督のノーマン・ジュイソンは、ニューシネマ時代からの数少ない生き残りの一人であり、過去に『屋根の上のバイオリン弾き』(71)や『ジーザス・クライスト・スーパースター』(73)といったミュージカルも撮っているが、この映画はオペラを意識して作っている。改めて、その多才さを知らされた思いがして、健在ぶりがうれしく感じられた。
それにしても、こうした映画を見るたびに、アメリカが移民の国であり、他民族国家であることを思い知らされる。それ故、さまざまな人種問題が根強く残っているのも仕方がないのかと思う半面、国民には幅広さがあり、それがいい意味で、こうした映画にも反映されているのだろうと思った。
主演のシェールは、歌手からの転身にしてはいい味を出していたが、最近のティナ・ターナーの女優転向発言も含めて、果たして女優とはそんなに簡単になれる、おいしい仕事なのかという思いがするのは否めない。それとも、一芸に秀でた人はやはりものが違うのだろか。