大正生まれの祖母は本当に料理のできない人だった。
乾麺をドロドロになるまでゆでたり、魚の鱗を取らずに煮付けたりとか、ぞっとするようなおかずを平気で出していた。中でも最もいやだったのが、鶏皮入りの味噌汁だ。皮は当然下ゆでなし、だしもとらず、ただ味噌を溶いただけの水っぽい汁。現在の贅沢なペットなどは見向きもしないだろう。
手作りには何の喜びも見い出せないくせに、他人が作った料理をあれこれと批評していた。私が思うに、舌は正常だった。きのこ類は決して食べようとしなかったが、「松茸はなばと違う」と言って、真っ先にかぶりついていた。
母は祖母とはまったくタイプの異なる人間で、安い食材で旨いものを拵えようと日々努力していた。私が人一倍食に関心を持ち、自ら包丁を握るようになったのは、この二人の影響が大きい。
中学生の時分は、煮魚、カレーライスを担当していた。辛辣な祖母が大きな声で「あんたの作ったカレーはお母さんのより旨いな~」と言う度に、母は苦い顔をしていた。酷いイヤミだが、半分は彼女の本音であったと信じている。だからこそ、今の自分がある。
乾麺をドロドロになるまでゆでたり、魚の鱗を取らずに煮付けたりとか、ぞっとするようなおかずを平気で出していた。中でも最もいやだったのが、鶏皮入りの味噌汁だ。皮は当然下ゆでなし、だしもとらず、ただ味噌を溶いただけの水っぽい汁。現在の贅沢なペットなどは見向きもしないだろう。
手作りには何の喜びも見い出せないくせに、他人が作った料理をあれこれと批評していた。私が思うに、舌は正常だった。きのこ類は決して食べようとしなかったが、「松茸はなばと違う」と言って、真っ先にかぶりついていた。
母は祖母とはまったくタイプの異なる人間で、安い食材で旨いものを拵えようと日々努力していた。私が人一倍食に関心を持ち、自ら包丁を握るようになったのは、この二人の影響が大きい。
中学生の時分は、煮魚、カレーライスを担当していた。辛辣な祖母が大きな声で「あんたの作ったカレーはお母さんのより旨いな~」と言う度に、母は苦い顔をしていた。酷いイヤミだが、半分は彼女の本音であったと信じている。だからこそ、今の自分がある。
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