寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島県福山市本庄町中の再開発状況

2015年11月22日 | 日記
福塩線のルートより少し東側に位置するJRアパート4号棟(本庄町中4丁目4)の解体が終わり更地となった。こうして見ると結構なスペースを使っていたのだと実感できる。

JRアパート

民家

民家2

アパート前から旧道を通って長者町方面へ向かう途中でシートで半分を覆った民家(本庄町中1丁目19‐15)を見つけた。裏手の様子からはどうもリフォームのような気がする。

ビルの解体

西町3丁目と長者町の境から南下してつちやストアーまで来ると斜向かいのビル(本庄町中1丁目14‐33)がほとんど解体されていた。少し前まで売地の看板が出ていた所で、確か介護用品を扱うカムラックという名の会社があった。裏通りの方が開発は進んでいるようだ。

ビルの解体2

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滋賀県彦根市長曽根町の白山神社

2015年11月22日 | 
乕徹(虎徹)の井戸跡のすぐ北側が白山神社である。石鳥居(※井戸から北東へ約40m)を潜ると社殿まで石畳が続いているが、参道右手に五連の朱塗り鳥居が見える。

参道

稲荷神社

社殿

社殿の脇に祀られているのは稲荷であろう。現在地に白山神社の社殿が建立されたのは明治八年(1875)ということだが、その歴史は相当前まで遡る。境内の片隅にあった記念碑の全文を書き写しておく。

白山神社
一、御祭神 菊理媛命
当社の創建年代、由緒は不詳であるが、平安末期には長曽根と云う地名が古文書にみられ、彦根の地が里根・彦根・長曽根の三根によって形成されていた時代から三根の守護神として北野寺[現北野神社]の地に白山大権現として鎮座していたが、彦根城築城の際に山頂にあった彦根寺がこの地に移され、併せ[天神さん]を勧請奉斎し、彦根寺を北野寺と改め井伊家の守護神として尊崇するようになった頃、白山権現社は取り壊されたものと考えられる。その後藩主直興により再建されたが、長曽根の大火により天満宮と共に焼失。
御祭神菊理媛の命は再建された天満宮に合祀されていたが、明治八年氏子民相計り、当時道場のあった現在地に新社殿を建立。明治十一年には、元の白山大権現社のあった北野神社の一角に社殿も建てられ、現在は御旅所としてその歴史を残している。
因みに、社霊とも云うべき神輿は、元亀二年[一五七一]信長、佐和山城攻めの折り、現甲良町池寺西明寺に神輿を移し難を逃れたと村の古書にある。
今回境内の拡張整備、石玉垣・燈籠建立を期に由緒石柱にその歴史を記すものである。
文、宮司 滝澤隆司

石碑

「次回彦根に来た時には北野神社に立ち寄ろう」と無知な旅人は心に誓い市の中心部に向かうことにした。当初の予定より1時間遅れとなってしまったが、収穫した事柄は多かった。

白山神社周辺地図

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広島県福山市・とおり町ストリートガーデン計画進行中

2015年11月22日 | 日記
福山市の本通・笠岡町エリアにも柱と柱の間にワイヤが張られていた。アーケード屋根の撤去から開放感あふれる空間へと町並みを変える取り組みが「とおり町ストリートガーデン計画」である。

ワイヤー

はぶ文泉堂のホームページから「福山本通り商店街の歩み」をクリックすると一連の流れ(写真を多数掲示し工事の進捗状況を説明)がよく分かるので特に広島県外や福山市外の人たちにおすすめである。江戸期の通町(とおりちょう)の近くには福山藩の獄舎が置かれ、木綿橋(※北詰辺りが現・はぶ文泉堂)付近で罪人が晒し者にされていたという。

本通1st

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