文化論ってすごく楽しい。
他者から見た自分って誰だって興味あるじゃない?
その証拠にこれだけ科学が発達しても噂話は減らないでしょ?
噂話の本質って、他人が見た他人の情報だと思うんだ。
まぁ、それの間違った使い方が噂話だとは思うけど。
私たち人間は社会を作る生き物だから、そういう機能があることはなんとなくわかる。
でも、その機能がだんだんとなくなっていってるのではないの?と思ったことがある。
タイトルにもあるように「文化論って誰が興味あるの?」と聞かれた。
聞いた人は私と同じ大学だった奴。
まぁ、こいつは昔から馬鹿だったけど、最近どんどんと知性を無くしている気がする。
気がしていただけだったんだけど、それが確信に変わったのが上記の質問。
なにも、文化論を知っていれば知性があると言いたいわけじゃない。
何かに対して興味を持っている、あるいは探索することを辞めないことが知性のある人だと思う。
例えそれが噂話でも、探求を辞めない人は知性がある(人間的には下劣だと思う)。
私はその質問を受けたとき、大学時代の彼のことを思い出していた。
馬鹿だったけど、少なくともあんな質問はしなかったはず……。
もはや懐かしい思い出を逡巡しつつ、私は答えた。
「文化論って他人から見た他人の話だから」と。
付け加えて「ほら、人のふり見て我がふりなおせって言うでしょ、他人を知ることで自分を知れるじゃないか」。
私なりの文化論を読む動機だ。
奴は腑に落ちない感じだったけど、言えた私は大満足。
しかし、その帰り道、ふと思った。
「最近文化論はもちろんの事、だれも他人に興味なさそう……」。
コロナ禍のただなかならいざ知らず、現在は多少緩和されてきているのに、人と人との関係性が欠落しているような出来事に多々合う。
職場はもちろんの事、私生活の関係性でも。
例えば会話。
自分のことを話したらスマホ見ちゃう友達とか、人の話を聞けない人とか。
これでいいのか?
私はイヤだ。
だから、せめて私は人の話を聞こうと思う。
自分を後回しにしてでも。
だって、私が人の話を聞かなくなったら私の周りでは誰も人の話を聞かないものね。
ひっどい世の中だなぁ!!!まったく!!!