子どもは学んで人間になる
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世界中の子どもたちに愛されている、あやつり人形の物語の完訳。
丸太棒から生まれたとたんにいたずらをはじめ、失敗ばかりくり返す
――ピノッキオはまさに子どもの原型です。
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福音館古典童話シリーズ 第3巻。
ディズニーの映画を見たことがあるくらいで、これまでまともに読んだことはありません。
この度読んでみると、実のところ楽しくない・・・。
あまりにも、ピノッキオが無知で愚か。
そのほとんどゼロの状態から成長していく物語なので仕方のないことではありますが、
その過程もあまりにも教訓的で、気が乗りません。
無知で何も知らないピノッキオの姿=「子ども」ということなんですね。
この「ピノッキオのぼうけん」は、「ピノキオ」として1940年にディズニーでアニメ化、
そして同じくディズニーで2022年に実写映画化されていまして、
ということは子どもたちにはそれなりに人気があるのでしょうか。
原作は、1881年イタリアの作家コルローディによって新聞の連載小説として書かれました。
本来は途中で終わっていたものの、子どもたちの人気があって、
続きをせがまれ、今日の形となったそうで。
怠けてばかりのピノッキオに、子どもたちはうんと親近感を持ったのかも知れません。
作中で私が驚いたのは、ピノッキオが悪いキツネとネコに騙され、
大切な金貨を盗まれてしまったのに、
なぜかいきなり牢屋へ入れられて数ヶ月を過ごす、というところ。
不条理の物語・・・?
いやいやつまり、無知で自分で考えもせず
簡単に人に騙されてしまうことこそが「罪」であるということなのかも知れません。
学校へ行って知識を身につけ、自分で考え、労働して自分や親の面倒を見ること。
これこそがあるべき正しい姿です。
ピノッキオはあちこちで誘惑に負けて大きく道をそれてしまうのですが、
それでも紆余曲折のすえようやく念願の「人間」になることができます。
すなわち、未熟な子供はまだ人間ではない。
いろいろなことを身につけ自立することでようやく「人間」となる。
・・・というのは西洋的子供観で、日本ではちょっと違うかもしれませんね。
ともあれ、あまり面白くないといいながらも、
終盤は感動してしまいましたので、さすがの物語の力と言えましょう。
ディズニー作品はかなり内容をアレンジしているでしょうし、
原作とどう違うのか比べながら見てみるというのも一興かも知れません。
私はやりませんけど・・・。
あ、それと私が読んだのは1970年に初版発行されたものですが、
今で言う「差別用語」がわんさか出てきます。
今ではほとんど見聞きしなくなった言葉・・・。
言葉は消えても実態は根強く残っているのですが。
時の流れを感じます。
図書館蔵書にて
<福音館古典童話シリーズ>
「ピノッキオのぼうけん」C.コルローディ 安藤美紀夫訳
満足度★★.5
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