映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「僕は、そして僕たちはどう生きるか」 梨木香歩

2011年06月09日 | 本(その他)
同調しないことを許容できる世界に

              * * * * * * * *

僕は、そして僕たちはどう生きるか
梨木 香歩
理論社


この本はかなりストレートに著者の主張が現れていると思います。
とても大切なことがかかれていて、是非青少年に読んでいただきたい・・・。


語り手はコペル君。14歳。
ちゃんと日本人ですよ。
この呼び名は「コペルニクス」から来ました。
ちょっとユニークだったりする彼の発想を
おもしろがった叔父さんが呼び始めた名前。
彼には親友と呼べる友達がいたのですが、
あるときから不登校となり、
何故かコペル君にもよそよそしくなってしまっていました。
その友人の名前がユージン。
(シャレじゃないですよ。)
こちらもちゃんと日本人です。
「優人」が本名ですね。
気に入りました、この名前。
私に男の子がいたら、こんな名前にしたかった!

ユージンの家には古い本がたくさんあって、
戦時中の子供向けの雑誌などもあったのです。
コペル君とユージンは、二人でよくそんな本を読んでいたのでした。
そんな本の中でコペル君が引っかかったのは、
次第に戦争へ向かい変化していく人々の心。
当時の人々の生活の有り様や、心の有り様は、全く今の自分と変わらない。
とてもよく解る。
けれど、次第に戦争のため、皆で一団となってのめり込んでいくのはどうしてなんだろう。
コペル君はそんな集団の有り様に違和感を覚え、
もし自分ならそんな風にはならないと思うのです。

さて、ところが。
久しぶりにコペル君がユージンの家を訪ねるのですが、
そこにコペル君の叔父さんや、ユージンの従妹など、何人かの人が集まり、
しばらくの時を過ごします。
そんな中で、どうしてユージンが不登校を始めたのかが明かされていきます。
それは、コペル君にはとても衝撃的なことでした。
実は、自分自身が無関係ではなかった・・・。


私たちは、群れで生活しています。
時にはその群れは、個人ではあらがえない方向へ走り出すことがある。
変だ、おかしいと思うスキもなかったり、
思っても、その圧力にはとうてい逆らいがたかったり。
そんな時にも、きちんと自分の主張を変えないでいることはとても勇気のいることですね。
でもせめて、群れに逆らえないまでも、
一人でいて、同調しないことを許容できる、
そんな社会ならいい・・・
この物語には、そんな願いが込められています。

この物語のコペル君は、とても辛い"気づき"をしました。
でも、彼のようにきちんとものを考え、気づくことができるのは幸いです。
たいていの大人はそんな気づきをしないまま、大人になっているのではないかな。
私とて、偉そうなことは言えません。


この本の内容には関わらないことですが、
かつて、原子力発電には反対の声がかなりありました。
私も、原発はイヤだ、危険だ、そう思っていましたが、
実のところ具体的な行動にでたことはありません。
そのうちにあれよあれよというまに日本中に原発が増設され、
しだいに当たり前のものになってしまった。
いえ、当たり前というよりも、なくてはならないものになっていたんですね。
危険性に目をつぶっていたのは、何も政府や電力会社の人たちだけではない。
私たち自身がそうだったわけで、
私は今さら人を責めることなんかできないと思います。
だけど、この度の事故を目の当たりにして思うのは、
やっぱり「イヤだ、危険だ」という気持ちは大事にすべきだということ。
そう簡単ではないかもしれないけれど、
今の"群れ"の方向を考え直す時ではないのかしら・・・と、思わずにいられません。
余計な話をしてしまいました。


さて私自身、みんなで気持ちを一つにわーっと盛り上がって・・・というノリが苦手です。
だから学校はどちらかというと苦手だったので、
ここに登場するユージンやインジャの気持ちはよくわかります。
けれど、この物語のラストで語られるように、
私たちは一人では生きられないのです。
何かしら人と人とが支え合わなければ、生きていくのは難しい。
だから、群れから外れて一人でいることは認めよう。
けれども、いつでも戻って来ていいし、
戻ってこられるように席をのこしておこう。

「やあ、よかったら、ここにおいでよ。
気に入ったら、ここが君の席だよ。」

と。


「僕は、そして僕たちはどう生きるか」梨木香歩 理論社
満足度★★★★★

真夜中のカーボーイ

2011年06月08日 | 映画(ま行)
真夜中のカーボーイ
(第2回 午前10時の映画祭 何度見てもすごい50本より) 

             * * * * * * * *

アメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品群の一つですね。
先日見た「マイ・バック・ページ」の中で、
ある女の子が「この映画のダスティン・ホフマンが泣くシーンが好き」といっていた・・・。
それでにわかに興味を持って見てみたわけです。
なるほど、確かに「マイ・バック・ページ」舞台でもある1969年作品。
ベトナム戦争のさなかのアメリカでは、
厭世観にとらわれて、こういう作品が多く作られていたということなのか。
その頃の私には、やはりよくわかっていませんでしたね。


物語は、テキサスの若者がニューヨークへ夢を持ってやってくるところから始まります。
その夢というのが、
自らの肉体の魅力で都会の女たちからお金を取り、富と名声を得ようという・・・、
まあ、あまり健全ではありませんわね。
でも、精一杯パリッとしたカウボーイスタイルで、
ニューヨーク行きのバスに乗り込むジョー(ジョン・ボイト)の高揚感、
なかなかステキです。
こんなとき彼は、幼い頃たっぷり祖母に愛された幸せな思い出をたどっています。
今ならなんだってできる。
何をやってもうまくいきそうな気がする。


さて、しかし。
もちろんニューヨークはそんなに甘いところではありません。
ジョーはたちまち一文無しとなって、
ある男の元に転がり込みます。
それは一度ジョーを騙してお金を巻き上げた男、ラッツォ(ダスティン・ホフマン)。
彼は足が悪く、おまけに肺を病んでいて、食うや食わずの生活。
取り壊し寸前の廃墟ビルに勝手に住み着いていて、
罪滅ぼしと思ったのか、そこにジョーを招き入れます。
ここで二人のおかしな共同生活が始まるのですが、
まともな仕事に付く気のない彼らは、
常におけらで、暖房もない部屋で震えている。
次第にラッツォは体が衰えていくのですが、
かつてからの夢であるフロリダへ行きたいといい出します。
ジョーはそんな夢は正に夢でしかなく、
フロリダへ行ったとしても食えないことには変わらない、と解っていたでしょうね。
だって、彼こそは夢に浮かされてこのニューヨークへ来たのだけれど、
厳しい現実があるだけだった。


孤独な二人が寄り添うようにして、やっと生きているニューヨーク。
こんなときにジョーが思い出すのは、子供の頃の辛い思い出です。
ニューヨークへ来るときは楽しい思い出ばかりわき出ていたのですが、
実際は両親の不和や祖母の孤独死・・・そういう現実が重く横たわっていた。
結局彼の人生は、その延長線上を歩いているだけというのが解ってきます。


そして、問題の、ラッツォが泣くのは、ラスト寸前。
ジョー同様不幸ばかりの人生で、
そうしたあげくが自分の体さえままならないというこの現実。
泣くしかない。
正に、泣くしかないのだろうな。
だけれど、その涙の意味をわかってくれる友がいるというのは幸いだと思うのです。
これが本当に一人ぽっちなら、こんな風には泣けなかったのではないかな。


ジョーのカウボーイスタイルは、彼の夢の象徴なのだろうと思います。
ニューヨークで厳しい現実にさらされながらも、彼はこのスタイルをやめなかった。
けれど、やがてそれを脱ぎ捨てる時が来る・・・。
アメリカン・ドリームは、所詮やはり夢でしかないのか・・・。
当時の時代色が色濃く、閉塞感たっぷり。
これぞアメリカン・ニューシネマなのでした。

「真夜中のカーボーイ」
真夜中のカーボーイ [DVD]
ウォルド・ソルト
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン


1969年/アメリカ/113分
監督:ジョン・シュレシンジャー
脚本:ウォルド・ソルト
出演:ダスティン・ホフマン、ジョン・ボイト、ブレンダ・バッカロ

マイ・バック・ページ

2011年06月06日 | 映画(ま行)
懐かしく苦い「あの頃」を思う



            * * * * * * * *

この作品は、もと朝日新聞記者 川本三郎氏によるノンフィクションを映画化したものです。
現在、文学・映画・演劇などの評論家として活躍中の方。
あれ、何か見覚えのある名前だと思ったら、
旅先でビール」という氏のエッセイを、私も以前に読んでいました。
とても風情のあるすてきなエッセイでした。
この方が、こんな激動の人生の持ち主であったわけなんですね・・・。


作品は1969年から72年にかけてを舞台としています。
学生運動が華々しかった頃。
というよりも、冒頭東大の安田講堂占拠の敗北シーンから始まりますので、
学生運動が挫折し迷走していく、そんな時代です。
私はその頃中学~高校にかけてという時期でした。
ベトナム戦争のこと。
安保のこと。
当時のいわゆる大人たちと学生のお兄さんたちの言い分では、
学生たちに分があるようには思えたのですが、
むろん、本当に理解していたというにはほど遠い。
(今も多分そうだと思います・・・。)
そうして、彼らの挫折を目の当たりにしてしまい、
当惑、そして思考停止というのがその頃の私だったような気がします。
いえ、その頃大学生だったとしても、
私はきっと遠巻きにして見ているだけだったでしょうね・・・多分。


さて、自分のことはどうでもいいのでした。
理想に燃えるジャーナリスト沢田(妻夫木聡)は、
革命を目指す学生活動家梅山(松山ケンイチ)と知り合います。
沢田は梅山にシンパシーを感じ、取材として梅山らの活動を支援。
そして彼らのある危険な計画を知りながらも、
スクープをとるため、警察への通報もしなかったのですが、
実際、この計画実施がひどい裏目となる。



社会の変革という彼らの思想に同調しながらも、
傍観者でしかない自分を後ろめたく思う沢田。
また、スクープという野心を持ちながら、人を傷つけることに臆病でもある自分。
そんな中で揺れ動く沢田は、妻夫木聡にははまり役。
一方、「赤邦軍」リーダーの梅山は・・・実に危うい人物です。
彼は変革を夢見ているのではない。
自分がいっぱしの学生活動家であること自体に、ヒロイズムを感じている。
彼の言葉はインチキなのですが、
自分ではその自覚がないのです。
松山ケンイチは、「ノルウェイの森」ではあんなに寡黙で多感な好青年を演じておきながら、
こんな風なアブナイ男も演じるんですね。
さすがです・・・。



作品中、ある少女が「映画のなかで男性が泣くシーンがよかった」といいます。
一緒にその映画を見た沢田は、
「男が泣くなんてかっこわるいだろ」というのですが・・・。
ラストシーンでは、この沢田が男泣きに泣くんですよ。
さて、『沢田はどうしてここで泣くのでしょう。400字以内で答えよ』と、
国語の試験の問題になりそう。
そうですね、この答えを考えれば、
この作品のテーマを説明することになるでしょうね。
今、それをここに書けば
すべてストーリーのネタばらしになってしまいそうなのでやめておきますが、
非常に複雑な、もろもろの感情がないまぜになっているように思います。
400字では無理かな。
でもまあ、少しだけ思うのは・・・
学生とか、ジャーナリストは、観念が先に立つのだと思うのです。
特に、梅山はそうですね。
観念ばかりがあって、それは行動に結びつかないし、
自分の生活にも結びつかないんですね。
無理矢理行動に結びつけようとしたら、
行き詰まってついに自分の首を絞める結果にしかならない。
けれど、彼らがいつも見下している、
日銭を稼ぐ社会の底辺にいるような人たち。
「思想」なんて言葉からは遠いと思われる人たち。
こんな人たちこそ、実にきちんとたくましく「生活」して、
結婚して子供ができたりして、
豊かな心を持って生きているのです。

頭でっかちではダメなんですね・・・。

学生運動の挫折の理由の一端が覗けるような気がしました。

2011年/日本/141分
監督:山下敦弘
原作:川本三郎
脚本:向井康介
出演:妻夫木聡、松山ケンイチ、忽那汐里、石橋杏奈

007/サンダーボール作戦

2011年06月05日 | 007
海中の007

           * * * * * * * *

さて4作目になりました。007シリーズ。
今回は、バハマが舞台で、海中のシーンがたっぷりなんですね。
オープニングタイトルも、海中を体をくねらせて泳ぐ美女のシルエット。
ムードを盛り上げます。
お馴染みの悪の組織スペクターの陰謀。
スペクターってのは、結局何者なのかな?
当時のことだから多分に東寄りの組織だよね。
やってることはマフィアみたいなものだけど、
これをうんと大がかりにやって、西側の経済を混乱させようという意図があるようだ・・・。
某東側国政府公認の悪の組織?
まあ、いくら何でも「ソ連」と名指しで、敵には回せないよね・・・。
だけど、任務に失敗した幹部を処刑するシーンがあるでしょう。
こんなので、部下がちゃんとついていくのかなあ・・・って気がする。
よほど成功報酬が莫大なのかもね。
今見ると、どうも、こういうシーンを漫画チックに感じちゃうんだなあ。
“ギャラクター”と、そう変わらない・・・。


さて、今作の内容は・・・
スペクターが原爆を積んだ戦闘機を略奪し、その原爆の身代金要求を突きつける。
その原爆の在処を突き止め、奪回するのがボンドの任務。
スペクター幹部ラルゴの元に身を寄せているドミノという女性が、ボンドの手助けをすることになるんだね。
作を追うごとにジェームズ・ボンドのアクションが過激にかっこよくなってくるね。
冒頭では、空を飛んじゃってるし。
あの、ジェット噴射のリュックサックみたいなのだよね。
ロケット・ベルトとか、ジェット・パックとかいうらしいけど、
あれは実在する装置で、撮影にも本物を使って実際に飛行したんだって。
その頃のオリンピックの開会式か何かで見たことがあるような・・・。
先日見た「キック・アス」にも出てきたな。
1965年当時既にこれがあった割りには、あんまり普及しなかったんだね・・・。
タケコプターならまだしも、あれではあまりにも大がかりだし、
音もうるさそうだしね。


さて、水中の戦闘シーンはなかなか迫力がありました。
1対1じゃなくて、集団同士。
地上の戦争シーンをそのまま水中に持って行ったという、今でもあまり見られないシーンかも。
そこに人食い鮫が寄ってきたりして、ムードが盛り上がるね!
今回の新兵器は・・・
腕時計型のガイガーカウンタ-。
う~ん、これ、今に日本では必需品になるんじゃないか、
なんて笑えない気分がしてしまいました・・・。
4分間呼吸可能という小型酸素ボンベ。
4分って、短かすぎませんかね? せめて15分くらいは欲しいところだ。
いや、何本か持てばいいんだよ。ほとんどペンシルサイズなんだから。
お次は、放射性カプセル。
このカプセルを飲み込んでおくと、特殊な受信機で位置を確認できるという・・・。
これはもう、今はスパイじゃなくても誰もがGPSとして使用できる・・・。
ケータイとして身に付けることができなければ、
マイクロチップを埋め込むとか、だね。
現在のICTは、当時のスパイ映画の夢物語なんだなあ・・・。


いつもボンドが司令室前の秘書室にくると、
帽子を投げて帽子かけに掛けるシーンがあるでしょう。
そうそう、だけど、今作では投げることができなかったんだよね。
なぜって、いつもは部屋の向こう側にある帽子かけが、
ドアを開けるとすぐ横に置いてあった。
いつもこの秘書室のシーンにはニンマリさせられるよね。
緊張の多いこの映画の中では絶対必要なシーンだ。

007が007として絶大な人気を得ていたこの頃の作品は、やはり花があります。

サンダーボール作戦 (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]
ショーン・コネリー,アドルフォ・チェリ,クロディーヌ・オージェ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン


「007/サンダーボール作戦」
1965年/イギリス/131分
監督:テレンス・ヤング
出演:ショーン・コネリー、アドルフォ・チェリ、クローディーヌ・オージェ

「進々堂世界一周 追憶のカシュガル」 島田荘司 

2011年06月04日 | 本(ミステリ)
マイノリティにやさしく寄り添う

進々堂世界一周 追憶のカシュガル
島田 荘司
新潮社


            * * * * * * * *

この本は御手洗潔シリーズなのですが、少し時代をさかのぼります。
御手洗が世界一周放浪の旅から帰って、
京都大学医学部に在学している時。
つまり、石岡君ともまだ出会っていない頃です。
ここで彼の話し相手となり、また、この本の語り手となるのは予備校生のサトル。
二人はよく京大そばの珈琲店「進々堂」で顔を合わせるので、
話をするようになったのです。
サトルは御手洗が様々な国で見聞きした話に魅了されます。
この本ではそんな中から、サトル自身の話が一つ、御手洗が語るストーリーが3つ
紹介されるという趣向です。


私が一番好きだったのは「戻り橋と悲願花」の一篇。
「悲願花」・・・すなわち「彼岸花」なのですが、
なぜ「悲願花」なのか、
そこには大変奥深いストーリーが眠っています。
この花はもともと中国や朝鮮半島が原産のようなのですね。
御手洗がこの花を見て思い出したストーリーです。
戦時中、朝鮮が日本の支配下にあった頃。
朝鮮の学校で優秀だったソニョンは、
志願して女子挺身隊員となり日本にやって来ます。
挺身隊員になるのは名誉あることで、
お国(日本)のために、軍需工場で働くわけですが・・・。
特別に弟ビョンホンも連れて行くことを許され、
希望に燃えて二人は日本に来たのです。
でも、そこでもう想像はつきますが、
同じ工場に日本人もいて、ソニョンたちはいわれない差別を受けるわけです。
そしてきつい労働。
なんとそこでは風船爆弾を製造していたのです。
太平洋を越え、実際アメリカ西海岸に幾ばくかの被害を与えたという。
この姉弟の厳しい運命をたどっていくと
最後に、まるで奇跡の様な出来事がまっています。
ああ・・・。
切なさの中に、ほんの少しの救いがあります。
これぞ、島田荘司。


障害者、被差別民、少数民族・・・。
御手洗は(いえ、島田荘司氏は、というべきでしょうか)、
いつもマイノリティにやさしく寄り添います。
考えてみると、この本ばかりでなく、
ほとんどのストーリーはそういう風になっていますね。


「追憶のカシュガル」もすばらしい物語です。
カシュガルというのは現在の中国西域、
ウイグル自治区といわれるあたりの砂漠の街です。
長い歴史の中で、様々な民族・国に入れ替わり支配され続けてきた街、民族。
なかなか日本人には想像しがたいですね。
そういう話にも引き込まれるのですが・・・
この中の桜の話には驚かされました。
私たちがよく知っている「ソメイヨシノ」。
この桜は、元をたどれば江戸時代のたった一本の木だというのです。
突然変異で、葉が出るより早く花がびっしりとできて、狂ったように咲く木があった。
それが挿し木でどんどん増やされて
日本中に広がったのだとか。
つまりこれはすべてコピーというかクローンなんですね。
だから、すべて「自分」なので、受粉して実を結ぶことができない。
何とも、豪華で悲しい花なんですね・・・。
これからは、花を見る目が変わってしまいそうです。


過去と現在、世界の片隅・・・、
この本で、私たちは時空を超えて様々な人生と奇跡を見るでしょう。
著者の本の中でも最も好きな部類に入りそうです。

「追憶のカシュガル」島田荘司 新潮社
満足度★★★★★

エクスペンダブルズ

2011年06月02日 | 映画(あ行)
CGに頼らないアクション&アクション



            * * * * * * * *

自らエクスペンダブルズ、
すなわち“消耗品”部隊と名乗る、凄腕の傭兵部隊の面々。
彼らはソマリアの凶悪な武装海賊を討伐し、
本国で休息したのもつかの間、
次なる任務は南米のビレーナという島国。
この国の軍事独裁政権打倒を図る。
この国の将軍を操るのは実は元CIAの男で、
麻薬で巨額の富を得ようと企んでのこと・・・。

などと、一応の背景はあるのですが、
この作品、そんなことはただの付け足しに過ぎません。
というのも、何しろ監督・脚本・主演がシルベスター・スタローン。
他の出演がジェット・リー、ジェイソン・ステイサム、ミッキー・ローク、
ほんのちょい出演だけれど、ブルース・ウィリスに
アーノルド・シュワルツェネッガー。
これでもかと肉体派アクション俳優を集めたお祭り作品。
往年のファンには、うれしい作品だと思います。
私としては、そこまでの思い入れはなかったのですが・・・。



まあ、一番楽しかったのは、シュワルツェネッガー登場のところですかね。
言いたいことを言うだけ言って、忙しいからとすぐに退場。
あいつは大統領にでもなるつもりか・・・とつぶやく彼ら。

あまり深く考えず、相変わらずの肉体派、元気なおじさまたちの活躍を
単純に楽しみましょう。

「エクスペンダブルズ」

2010年/アメリカ/103分
監督:シルベスター・スタローン
出演:シルベスター・スタローン、ジェット・リー、ジェイソン・ステイサム、ミッキー・ローク、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェエネッガー。

アジャストメント

2011年06月01日 | 映画(あ行)
運命に抗い、愛を貫くことができるか



           * * * * * * * *

さる映画紹介サイトでは、この作品を
“SFサスペンス・アクション”という言葉で表現していましたが、
これだと少し誤解を与えるのではないかと思います。
確かにSF的、サスペンス的、アクション的ではあるのですが、
これは結局ラブストーリーなのです。
私にいわせればむしろロマコメ・サスペンス・アクション。
え?少なくてもコメディではないだろうって?
でも、なんだか思わず笑ってしまうシーンも多かったんですよ・・・。


若き政治家デビッド(マット・デイモン)は、バレエダンサーのエリースに一目惚れ。

ところがここに、
決められた運命を逸脱しないよう世の中を監視する組織
「アジャストメント・ビューロー(運命捜査局)」が現れ、
この二人を引き離そうと躍起になります。
本来、出会ってはならないはずのこの二人。
彼らは一般人誰でも監視しているのかと思えば、そういうわけでもないのですね。
それはデビッドの職業に関係するのですが、
ゆくゆくは米大統領にもなろうという、デビッドの予定された人生上に、
エリースは邪魔な存在というわけなのです。

しかし、障害が多いほど恋は燃え上がるものです。
デビッドは運命に抗い、エリースとの愛を貫くことができるのか、
つまりはひたすらそれだけのストーリーなのですが、
途中ある事情でデビッドが自ら身をひき、3年が過ぎるなどの紆余曲折。
恋愛ドラマとして、私はたっぷり楽しませていただきました。


欲を言えば、このドラマ、
もっとすれ違いシーンが多いと盛り上がったのではないかな?
いつもへまばかりの運命捜査局なのですが、
実は成功例もたくさんあったということにして・・・。
実際、運命捜査局のエージェントは、かなりのお人好しに思えます。
皆帽子をかぶっている、なんていうのも妙に笑えちゃいますよね。
居眠りしていてタイミングを逃してしまうとか、結構ドジですし。
この方たちに冷酷な任務は所詮無理なのでは?と思えます。

それにしても人一人の運命を変えるのがこんなに大変だなんて。
というよりはこの場合、デビッドの意志がそこまでに強いというべきなのでしょう。
だからこそ、政治家として成功するわけですよね。
マット・デイモンが選挙に出るなら、
そりゃ私だって投票します(^^;)。
次の上院議委員選挙の結果を見たいところでしたが・・・。



楽しいのは“どこでもドア”。
ドラえもんのアイテムの中では最もあったらいいな、と思うものの一つ。
あ、もちろんここではドラえもんアイテムではないのですが・・・。
日本人なら、ほとんどの方が連想したのではないでしょうか。

でも、ドア一つでどこへも行けるなんて
(この作品中では、いくつもドアを通らないと目的地に行けないのですが)、
なんと便利!!
私は自宅のドアと映画館のドアを是非ともつなげたい・・・。

2011年/アメリカ/106分
監督・脚本:ジョージ・ノルフィ
出演:マット・デイモン、エミリー・ブラント、アンソニー・マッキー、ジョン・スラッテリー、マイケル・ケリー