同調しないことを許容できる世界に
* * * * * * * *
この本はかなりストレートに著者の主張が現れていると思います。
とても大切なことがかかれていて、是非青少年に読んでいただきたい・・・。
語り手はコペル君。14歳。
ちゃんと日本人ですよ。
この呼び名は「コペルニクス」から来ました。
ちょっとユニークだったりする彼の発想を
おもしろがった叔父さんが呼び始めた名前。
彼には親友と呼べる友達がいたのですが、
あるときから不登校となり、
何故かコペル君にもよそよそしくなってしまっていました。
その友人の名前がユージン。
(シャレじゃないですよ。)
こちらもちゃんと日本人です。
「優人」が本名ですね。
気に入りました、この名前。
私に男の子がいたら、こんな名前にしたかった!
ユージンの家には古い本がたくさんあって、
戦時中の子供向けの雑誌などもあったのです。
コペル君とユージンは、二人でよくそんな本を読んでいたのでした。
そんな本の中でコペル君が引っかかったのは、
次第に戦争へ向かい変化していく人々の心。
当時の人々の生活の有り様や、心の有り様は、全く今の自分と変わらない。
とてもよく解る。
けれど、次第に戦争のため、皆で一団となってのめり込んでいくのはどうしてなんだろう。
コペル君はそんな集団の有り様に違和感を覚え、
もし自分ならそんな風にはならないと思うのです。
さて、ところが。
久しぶりにコペル君がユージンの家を訪ねるのですが、
そこにコペル君の叔父さんや、ユージンの従妹など、何人かの人が集まり、
しばらくの時を過ごします。
そんな中で、どうしてユージンが不登校を始めたのかが明かされていきます。
それは、コペル君にはとても衝撃的なことでした。
実は、自分自身が無関係ではなかった・・・。
私たちは、群れで生活しています。
時にはその群れは、個人ではあらがえない方向へ走り出すことがある。
変だ、おかしいと思うスキもなかったり、
思っても、その圧力にはとうてい逆らいがたかったり。
そんな時にも、きちんと自分の主張を変えないでいることはとても勇気のいることですね。
でもせめて、群れに逆らえないまでも、
一人でいて、同調しないことを許容できる、
そんな社会ならいい・・・
この物語には、そんな願いが込められています。
この物語のコペル君は、とても辛い"気づき"をしました。
でも、彼のようにきちんとものを考え、気づくことができるのは幸いです。
たいていの大人はそんな気づきをしないまま、大人になっているのではないかな。
私とて、偉そうなことは言えません。
この本の内容には関わらないことですが、
かつて、原子力発電には反対の声がかなりありました。
私も、原発はイヤだ、危険だ、そう思っていましたが、
実のところ具体的な行動にでたことはありません。
そのうちにあれよあれよというまに日本中に原発が増設され、
しだいに当たり前のものになってしまった。
いえ、当たり前というよりも、なくてはならないものになっていたんですね。
危険性に目をつぶっていたのは、何も政府や電力会社の人たちだけではない。
私たち自身がそうだったわけで、
私は今さら人を責めることなんかできないと思います。
だけど、この度の事故を目の当たりにして思うのは、
やっぱり「イヤだ、危険だ」という気持ちは大事にすべきだということ。
そう簡単ではないかもしれないけれど、
今の"群れ"の方向を考え直す時ではないのかしら・・・と、思わずにいられません。
余計な話をしてしまいました。
さて私自身、みんなで気持ちを一つにわーっと盛り上がって・・・というノリが苦手です。
だから学校はどちらかというと苦手だったので、
ここに登場するユージンやインジャの気持ちはよくわかります。
けれど、この物語のラストで語られるように、
私たちは一人では生きられないのです。
何かしら人と人とが支え合わなければ、生きていくのは難しい。
だから、群れから外れて一人でいることは認めよう。
けれども、いつでも戻って来ていいし、
戻ってこられるように席をのこしておこう。
「やあ、よかったら、ここにおいでよ。
気に入ったら、ここが君の席だよ。」
と。
「僕は、そして僕たちはどう生きるか」梨木香歩 理論社
満足度★★★★★
* * * * * * * *
僕は、そして僕たちはどう生きるか | |
梨木 香歩 | |
理論社 |
この本はかなりストレートに著者の主張が現れていると思います。
とても大切なことがかかれていて、是非青少年に読んでいただきたい・・・。
語り手はコペル君。14歳。
ちゃんと日本人ですよ。
この呼び名は「コペルニクス」から来ました。
ちょっとユニークだったりする彼の発想を
おもしろがった叔父さんが呼び始めた名前。
彼には親友と呼べる友達がいたのですが、
あるときから不登校となり、
何故かコペル君にもよそよそしくなってしまっていました。
その友人の名前がユージン。
(シャレじゃないですよ。)
こちらもちゃんと日本人です。
「優人」が本名ですね。
気に入りました、この名前。
私に男の子がいたら、こんな名前にしたかった!
ユージンの家には古い本がたくさんあって、
戦時中の子供向けの雑誌などもあったのです。
コペル君とユージンは、二人でよくそんな本を読んでいたのでした。
そんな本の中でコペル君が引っかかったのは、
次第に戦争へ向かい変化していく人々の心。
当時の人々の生活の有り様や、心の有り様は、全く今の自分と変わらない。
とてもよく解る。
けれど、次第に戦争のため、皆で一団となってのめり込んでいくのはどうしてなんだろう。
コペル君はそんな集団の有り様に違和感を覚え、
もし自分ならそんな風にはならないと思うのです。
さて、ところが。
久しぶりにコペル君がユージンの家を訪ねるのですが、
そこにコペル君の叔父さんや、ユージンの従妹など、何人かの人が集まり、
しばらくの時を過ごします。
そんな中で、どうしてユージンが不登校を始めたのかが明かされていきます。
それは、コペル君にはとても衝撃的なことでした。
実は、自分自身が無関係ではなかった・・・。
私たちは、群れで生活しています。
時にはその群れは、個人ではあらがえない方向へ走り出すことがある。
変だ、おかしいと思うスキもなかったり、
思っても、その圧力にはとうてい逆らいがたかったり。
そんな時にも、きちんと自分の主張を変えないでいることはとても勇気のいることですね。
でもせめて、群れに逆らえないまでも、
一人でいて、同調しないことを許容できる、
そんな社会ならいい・・・
この物語には、そんな願いが込められています。
この物語のコペル君は、とても辛い"気づき"をしました。
でも、彼のようにきちんとものを考え、気づくことができるのは幸いです。
たいていの大人はそんな気づきをしないまま、大人になっているのではないかな。
私とて、偉そうなことは言えません。
この本の内容には関わらないことですが、
かつて、原子力発電には反対の声がかなりありました。
私も、原発はイヤだ、危険だ、そう思っていましたが、
実のところ具体的な行動にでたことはありません。
そのうちにあれよあれよというまに日本中に原発が増設され、
しだいに当たり前のものになってしまった。
いえ、当たり前というよりも、なくてはならないものになっていたんですね。
危険性に目をつぶっていたのは、何も政府や電力会社の人たちだけではない。
私たち自身がそうだったわけで、
私は今さら人を責めることなんかできないと思います。
だけど、この度の事故を目の当たりにして思うのは、
やっぱり「イヤだ、危険だ」という気持ちは大事にすべきだということ。
そう簡単ではないかもしれないけれど、
今の"群れ"の方向を考え直す時ではないのかしら・・・と、思わずにいられません。
余計な話をしてしまいました。
さて私自身、みんなで気持ちを一つにわーっと盛り上がって・・・というノリが苦手です。
だから学校はどちらかというと苦手だったので、
ここに登場するユージンやインジャの気持ちはよくわかります。
けれど、この物語のラストで語られるように、
私たちは一人では生きられないのです。
何かしら人と人とが支え合わなければ、生きていくのは難しい。
だから、群れから外れて一人でいることは認めよう。
けれども、いつでも戻って来ていいし、
戻ってこられるように席をのこしておこう。
「やあ、よかったら、ここにおいでよ。
気に入ったら、ここが君の席だよ。」
と。
「僕は、そして僕たちはどう生きるか」梨木香歩 理論社
満足度★★★★★