映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

シチリア!シチリア!

2011年07月11日 | 映画(さ行)
シチリアの激動の歴史と家族



             * * * * * * * *

ニュー・シネマ・パラダイスの名匠ジュゼッペ・トルナトーレ監督が
自身の生まれ育ったシチリアの村バーリアを舞台とした自伝的作品です。
ですが中心となるのは、彼の父、ペッピーノ。
1930年代~1980年代、シチリアの激動の現代史を背景に、
ペッピーノが幼い子供の頃から晩年を迎えるまでの人生を語っています。



おそらく村中がそうだったと思えるのですが、
トッレヌォヴァ家もまた貧しい暮らしをしています。
子供のペッピーノが雌牛を引き連れて乳を売り歩いたり、
何ヶ月も家を離れて牧場に出稼ぎに出たり。
シチリア版「おしん」・・・。
いえ、でも日本のそれほど湿っぽく重くはなくて、からっと陽性。
そういうところがシチリアの風土を感じさせます。
ある時、ペッピーノはある言い伝えを聞きます。
「山頂にある3つの岩山に一つの石を連続して当てることができたら、
黄金を隠した洞窟の扉が開く」というもの。
何度も試してみるのですが、全くうまくいきません。


ファシストが台頭した二次大戦を経て、やがてアメリカ軍による解放。
若く希望に燃えるペッピーノは、共産党に入党します。
やがてある女性と恋に落ち、結婚。
子供たち、両親、兄という大家族。
政治活動を続けながら、彼が家族を支える中心となっていきます。
シチリアといえば、マフィアとそしてその強い家族の絆を思い浮かべるのですが、
ここにもやはり強い絆があるのでした。
ペッピーノはやがて、イタリア議会の議員に立候補しますが・・・。



終盤、老いたペッピーノは、子供の頃馴染んだあの岩山にたたずみます。
いたずらに、石を一つ放ってみると・・・。


このラストのエピソードにはいろいろと考えさせられます。
いろいろな喜びや悲しみを乗り越えながら、
彼は信念を貫き、そして家族も守り通した。
それは社会的に名をあげたとか成功したとかいうことではないかもしれないけれど、
素晴らしい人生だった。
彼の人生が祝福されたように私には思えます。
けれど、その祝福された人生であっても、いつか終焉が来る・・・。
数十年の長い人生も、振り返れば夢のよう。
故郷を、そして家族を、
懐かしみ愛してやまない監督の情感あふれる良作です。


トルナトーレ監督はこのペッピーノの次男に当たりましょうか。
父に連れられて初めて映画館に入ったシーン、
そしてその後どんどん映画好きになっていくシーンなどが挿入されていて、
これもなかなか楽しい。

シチリア!シチリア!
2009年/イタリア/151分
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
出演:フランチェスコ・シャンナ、マルガレット・マデ、アンヘラ・モリーナ、リナ・サストリ

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

2011年07月10日 | 映画(あ行)
人の命を奪って生きる「罰」


           * * * * * * * *

トム・クルーズとブラッド・ピット主演、
しかも双方ヴァンパイア、というこの作品。
前から興味はありましたが、見る機会がないままでしたが、やっと見ました。


サンフランシスコ、とある一室でインタビューが始まります。
インタビューに答える青年ルイ(ブラッド・ピット)は、
いきなり自分はヴァンパイアだと語り始める・・・。

時は200年ほどさかのぼります。
ルイはニューオリンズの農場主でしたが、妻を亡くし生きる望みを失っていました。
そこへ接近したのがヴァンパイアのレスタト(トム・クルーズ)。
レスタトはルイに自らの選択の機会を与え、
彼を永遠の命を生きる仲間にするのです。

人間として見た最後の朝日の美しさ。
そして、ヴァンパイアとして甦った時に見た夜の美しさ。
こういう情景が結構リアルで、瑞々しい情感をさそいます。
しかし、ヴァンパイアとして生きるためには、人の生き血をすすらねばなりません。
ルイはそのことに罪悪感と哀しみを持ってしまうのです。
そういう繊細さを持つからこそ、レスタトはルイを仲間に加えたわけですが・・・。
そんなルイの気持ちを変えさせようと、
レスタトは更にクローディア(キルスティン・ダンスト)という少女を仲間に加えます。
クローディアは子供らしい貪欲さで人を襲い
立派な(?)ヴァンパイアになっていきますが、
いつまでたっても姿は子供のまま、
心だけ大人になっていく自分に絶望し、
レスタトを憎むようになるのです。


この物語、意外にもヴァンパイアの敵は、
信心深い人間でも、十字架でもなく、
同じヴァンパイア同志という哀しい物語です。
永遠の命とは言いますが、
永遠に人を襲わねばならないし、日の光に当たることができない。
永遠に続く毎日の中で次第に心は頽廃し意欲を失う・・・。
これでは「生きている」とはいえないですね。
つまりは、なんの希望もなく永遠に生きなければならないということが、
人の命を奪って生きることの「罰」なのではないかと思うわけです。
この作中ではルイだけがそのことに気づいているのです。


トム・クルーズとブラピという思い切った起用。
でも、二人の若々しく美しい姿を遺すにはもってこいの作品であったと思います。
そして、キルスティン・ダンスト。
少女時代の彼女は既にもう大人びていて、
今とほとんど変わらないという印象です。

ルイとクローディアは、その後ヴァンパイアの発祥の地を目指してヨーロッパに渡ります。
パリで出会ったヴァンパイアのリーダー的存在役は、アントニオ・バンデラス。
とにもかくにも、記念碑的作品ではあります。


それにしても、どうして私たちはこのヴァンパイアという存在に惹かれるのでしょう。
古今繰り返される、もの悲しいヴァンパイアの物語。
今やヴァンパイアはホラーではなくロマンですよね。
しかし、なんといっても私の中で一番なのは萩尾望都さんの「ポーの一族」。
他の物語の追随を未だに許していません。
エドガーとアランとメリーベルこそ、永遠なのであります。

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア [DVD]
トム・クルーズ,ブラッド・ピット,アントニオ・バンデラス,クリスチャン・スレイター
ワーナー・ホーム・ビデオ


「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」
1994年/アメリカ/124分
監督:ニール・ジョーダン
原作・脚本:アン・ライス
出演:ブラッド・ピット、トム・クルーズ、アントニオ・バンデラス、スティーブン・レイ、キルスティン・ダンスト

「寝ながら学べる構造主義」 内田 樹

2011年07月08日 | 本(解説)
解りやすけれど、最後でつまずいた

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)
内田 樹
文藝春秋


              * * * * * * * *

先に「映画の構造分析~ハリウッド映画で学べる現代思想」という本を読み、
痛く感じ入ってしまった私は、
調子に乗ってこのような本を読むことにしてしまいました。
寝ながら学べる・・・? 
「読んでいる内に寝てしまう」なら、自信あるんですけどね(^^;)
つまりは、先の本の根本的思想となる「構造主義」について、分かりやすく解説した本。

今、とりあえずは一冊読み終えた私としては、
結局よくわかったという自信はありません。
でも、部分部分では理解できていたと思うので、
後はその総括的なところが自分の中で通じていないのだろう・・・と思うわけです。
もう一度読めばあるいは・・・。
しかし、もうたくさん・・・かな?

ですが興味深い話はいくつかありましたのでご紹介しますね。
著者は、まず近代の思想の歴史をたどって解説しています。

マルクスは、人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものであるか」では無く、
「何ごとをなすか」によって決定されると考えた。
つまり、「行動すること」に軸足を置いた人間の見方。
人間は生産=労働を通じて、何かを作り出す。
そうして制作されたものを媒介にして、いわば事後的に人間は自分が何者であるかを知る。


フロイトは、人間の一番内側にある領域に着目。
人間が直接知ることのできない心的活動=無意識が、
人間の考えや行動を支配している、としました。
そして「抑圧」のメカニズムを解きます。
ごくごく簡単に言えば、ある心理過程を意識することが苦痛なので、
それについて考えないようにすることですね。
私たちの自分の心の中にあることすべて意識化できるわけではなく、
それを意識化することが苦痛であるような心的活動は、無意識に押し戻される。


私たちは自分が何者であるかを熟知しており、その上で自由に考えたり行動したり、欲望したりしているわけではない。
・・・これが前―構造主義期、マルクスとフロイトの考え。


更にはニーチェも、人間はほとんどの場合、ある外在的な規範の「奴隷」に過ぎないという。
このニーチェの道徳論はかなり痛烈です。
彼の言う「大衆社会」とは、成員たちが「群」をなしていて、
もっぱら「となりの人と同じようにふるまう」ことを最優先に配慮するようにして成り立っている。
この社会の道徳とはみんな同じ、万人が平等であること。
みんな同じような顔つきをし、同じような考え方感じ方をする・・・。
まさに現代の大衆の有り様だ・・・。


また、私たちが思考するためになくてはならないのが言語。
哲学には言語学も絡んできたりするんですね。
確かに、私たちは言語があるからこそ考えることができるわけだ。
「私のアイデンティティ」は「私が語ったことば」を通じて事後的に知られる。
・・・ふうむ。


私たちは歴史の流れを「いま・ここ・私」に向けて一直線に「進化」してきた過程としてとらえたがる。
そうではなくて、何故ある種の出来事は選択的に抑圧され、黙秘され隠蔽されるのか。
何故ある出来事は記述され、ある出来事は記述されないのか。
その答えを知るには、出来事が「生成した」歴史上のその時点にさかのぼって考察しなければならない・・・・
と、考えたのがフーコー。
たとえば「狂気」は近代以前には人間的秩序の中に正統な構成員として、受容されていた・・・
という下りはとても興味深いものがあります。
その後社会から狂人たちのための場所はなくなってゆく。
権力は私たちの身体の有り様にまで影響を及ぼす・・・。
走り方、座り方・・・など。
農民が兵士として訓練されたり・・・。
政治権力が臣民をコントロールしようとするとき、
権力は必ず「身体」を標的にする。
こんな話はちょっと怖いですね。


ことばづかいに注目したのはバルト。
たとえば中学生が自分のことを「ぼく」から「おれ」に変更したとすると、
それは人称の変化だけではなくて、ことばづかいの全域に影響を及ぼすし、
さらには髪型、服装、生活習慣なども
「おれ」という一人称にふさわしいものに統制されるというのです。
何となく納得いきますね。
とすれば、日本語で考えること、英語で考えること、
おなじ問題を考えても何だか結論が違ってきそうな気さえする。
確かに、私たちは言葉使いで思考が左右される、そんなことはありそうです。

       

さて、拾い読み的解説も少し疲れてきました。
実は構造主義を語るには最も重要と思われるラカンのことについては、
私はイマイチ理解が及ばない。
「エディプス」という言葉が出てきます。
「エディプス」とは、図式的に言えば子供が言語を使用するようになること、
母親との癒着を父親によって断ち切られること、
この二つを意味している。
これは「父親の威嚇的介入」の二つの形である

・・・と。
む、難しい・・・・!
子供の成長とは・・・この世界は「すでに」に文節されており、
自分は言語を用いる限り、それに従うほかないという、
「世界に遅れて到着した」ことの自覚を刻み込まれることを意味している。

むむむ・・・。
どうも私の中でうまく具体的につながりません。
まるでこの章以前までじっくり説明しすぎたために、
肝心の所で時間切れ、いえ紙面切れでも起こして
端折ってしまったかのような・・・
いえ、単に私の理解力のなさの故かもしれませんが。

ラカンについては、もう少しかみ砕いた講義を
是非また機会があれば拝読してみたいところです。
勉強不足で申し訳ありません・・・。

「寝ながら学べる構造主義」内田樹 文春新書
満足度★★★★☆

007は二度死ぬ

2011年07月07日 | 007
B級のノリで・・・?

            * * * * * * * *

007の第5作ですが・・・。
ほとんど全編日本が舞台ですね。
う~ん、それにしても、私はこれ、ものすごいB級感を覚えてしまった。
007といえば、スパイ映画の王道と思っていたけれど。
でも、当時これも人気はあったみたいだよ。
そうなのか・・・。まあ、ある意味面白いと言えば面白いんだけどね。
今、いろいろな映画を見ている人にとっては、まともに見るのはつらいかな・・・。

それは、「日本」がまともに描かれていない、ということ?
いや、もとよりそれは覚悟の上。
この話、スペクターが米ソ両国の直接対決を画策するために、
双方の宇宙船を乗っ取ってしまうという暴挙に出るわけです。
それで、宇宙や宇宙ロケットの映像があったりして、多分にSF的。
でも、そのシーンがよくないんだな。
今の映画なら宇宙船の質感・重量感、そういうのはすごいよね。
でもこれはどう見てもミニチュアのオモチャだ。
それは時代が時代なんだからカンベンしてあげれば・・・?
う~ん。まあそうなんだけどね。
CGもなにもない時代の作品で、そこを責めるのは酷なのか。
そうだよ~。そこは目をつぶらなきゃ。
でもね、たとえば前作の水中シーンとかはホントによく出来ていた。
それを無理に今作では宇宙船なんかを出したりするから、
逆に安っぽくなっちゃったのが失敗だとおもう。
ストーリーも、これは結構むちゃくちゃというか陳腐というか、意味わかんない。
いちいちあげるときりがないからやめておくけど、
行き当たりばったり、面白ければそれでよしというのが見えすぎます。
ねえ、あんまり悪口言うのはやめることにしたんじゃなかったの?
はは・・・、そうでした。つい、口がすべっちゃって。
でも、むしろおもしろがって見たくなる人もいそうじゃないですか。
まあ、それくらいにしておきましょう。
そうそう、それから、今作で初めてスペクター首領プロフェルドが
「猫と手元」だけじゃなくしっかり顔まで出てくるよね。
でも、これはどうなんだろうね。
正体がわからないからミステリアスで不気味なのに、
ここまであからさまに出てきてしまっては、ただの普通のおっさんだ・・・。
おっと、そこまで。・・・どこまでもこき下ろすんだね・・・。
でも、私も一つ言わせてもらうと、ボンドが日本人に変装、なんてシーンもあるけど・・・
ど、どこが・・・(^^;)
えーとですね、というようなことで、
今作をこれから見る方は、B級作品を楽しむノリで見ることをオススメします・・・。
でもまあ、日本が舞台ということで、そっち方面の楽しみ方もあるよね。
そうだね。高度経済成長期のエネルギッシュな日本は感じるかな。
丹波哲郎氏が準主役級くらいで出てくる。
若くてかっこいいよ。「キーハンター」をやってた頃かな? 
ボンドガール、浜美枝さんと若林映子さんも
これまでのボンドガールに負けず劣らずおきれいで、この辺はぜんぜん遜色ないと思います。


それにしても、女なら誰でも彼でもイタダキというボンド氏、
結局それが命取り。
だから二度死ぬなんてことになる。
うんにゃ。そこまでいっても止めない、
というところが彼のすごいところなんだよ。
今回の帽子かけは、原子力潜水艦の中でした!!

007は二度死ぬ (デジタルリマスター・バージョン) [DVD]
ショーン・コネリー,ドナルド・プレザンス,浜 美枝,若林映子,丹波哲郎
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン


「007は二度死ぬ」
1967年/イギリス/117分
監督:ルイス・ギルバート
原作:イアン・フレミング
出演:ショーン・コネリー、丹波哲郎、浜美枝、若林映子、ドナルド・プレザンス

アンダルシア 女神の報復

2011年07月06日 | 映画(あ行)
それぞれにキマって・・・



            * * * * * * * *

外交官黒田康作シリーズ第2弾。
第一作の「アマルフィ」のときから、これはシリーズになりそうだということで、
TVシリーズにもなり、
そしてこの2作目となったわけですが・・・。

前作は全編海外ロケ、そしてアマルフィの美しい風景に、
浮き立つような華やかさを覚えました。
しかし・・・慣れてしまうものですね。
今作ではもうそれが当たり前のことになってしまっている。
まあ、だからこそなのか、
前作よりはじっくり練られたストーリーになっているように思いました。


今作は、ある日本人投資家の死が大きな謎となりますが、
巨額の資金が絡む国際金融犯罪が根底にあります。
でも実のところ私は、マネーロンダリングというのがよくわからない・・・。
まあ、それでも何とか、ストーリーにはついていけましたが・・・。
謎の美女銀行員、新藤結花(黒木メイサ)、
インターポール捜査官神足(伊藤英明)、
そして外交官黒田康作(織田裕二)が絡みながらストーリーが進んでいきます。

神足が、日本の警察から左遷のような形でこちらへ来ていて、
しかもこの事件は、警察上層部が握りつぶしたがっている
という事情も絡んで悩みどころ。
しかし、さすがになかなかかっこよく決まっているのでした。
いい役です。

また、新藤結花の最後に明かされる子供の頃のエピソードが効いていまして、
余韻が残ります。
これも見所たっぷりの役。



そんな中では今回、黒田のおいしい場面はあまりなかったかも・・・。
いえ、実は大変な危機が彼を襲うのですけれどね・・・。
しいていえば、今作中、
何故か彼はいつも珈琲を飲み損ねているという茶目っ気のある設定。
いつもしかめっ面の黒田には、それくらいのシーンがないとね・・・。
そして、何だか唐突感がありますが、
時折出てくるフリージャーナリスト佐伯の福山雅治は、
いつも女性とべたべたの軟派。
硬派の黒田と対比関係を表したかったのでしょうけれど・・・、
ますます主役が誰なのかわかりにくくなっちゃいました・・・。



「アンダルシア 女神の報復」

2011年/日本/125分
監督:西谷弘
脚本:池上純哉
原作:真保裕一
出演:織田裕二、黒木メイサ、伊藤英明、戸田恵梨香、福山雅治


ファイト・クラブ

2011年07月04日 | 映画(は行)
失われた獣性を取り戻して・・・

             * * * * * * * *

この作品は、以前見ていましたが、
このたび、ジャレット・レトが出演していたということで、再見。
その彼は、ほんのチョイ役で、別に感想を述べるほどのことでもなかったのです。
でも、それにしても、以前私は何を見ていたんだっ!!
と驚きあきれてしまいました。
この作品中最もキモであるタイラーの正体だけは覚えていたのですが、
その他のストーリーは忘れ果てていましたね・・・。
確かに、タイラーの正体は衝撃的ですが、
この作品、現代社会に生きる私たちの失われた野生を語る
・・・とでもいうのでしょうか、
根源にもっと深いテーマを持っているのでした。


主人公(エドワード・ノートン)は不眠症に悩む青年。
その彼が、あるときタイラー(ブラッド・ピット)という男と出会います。
タイラーは突然「俺を殴れ」といい出し、
二人で殴り合いが始まります。
そんなことから、夜な夜な殴り合いの試合が繰り広げられる
「ファイト・クラブ」という秘密の集会が始まるのです。
しかし、タイラー率いるその集団は、
次第に拡大・暴走し、テロ集団へと変貌していく・・・。

巨大な経済社会の中で“消費”に踊らされ、
本来的な『生きる』意味を失われた現代社会の私たち。
それはこの作品中では、ほとんど「去勢されている」とでもいうべきでしょうか。
タイラーは、その失われたものの象徴なのでしょうね。
それは、「考える葦」としての人間ではなくて、
もっと根源的で「動物」的な生きる力。
しかも、“男性”性です。
圧倒的に暴力的でセクシー。
素手で殴り合い、骨をきしませ、血を流し、痛みを実感することで、
男たちはその失われた獣性を取り戻す。
その思いの行き着く先は、
この現代社会の象徴である巨大なオフィスビルを破壊すること
・・・と、そういうことなのだろうな。


こんな中で登場する女性はただ一人。
彼女も主人公と同じく不眠に悩んでいる。
が、しかし、彼女の存在は、男たちの暴走を引き戻すという役割なんですね。
いつの世も女の役割はそういうところか。
ただ、元々の現代社会に適応しないという彼女の設定により、
完全に秩序を取り戻す、というところまでは引き戻さない。
実によく出来ている構成です。

「セブン」とこの「ファイト・クラブ」で脚光を浴びた
デビッド・フィンチャー監督。
最近傾向の異なる「ソーシャル・ネットワーク」でまた、注目を集めました。
そして、次作はあの「ドラゴン・タトゥーの女」ハリウッド版リメイク。
元の作品があれだけいいのに、リメイクなんて・・・と思っていたのですが、
デビッド・フィンチャー監督となれば、にわかに楽しみになってきました。
これは期待していいのではないでしょうか。

ファイト・クラブ [DVD]
ブラッド・ピット,エドワード・ノートン
20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント


1999年/アメリカ/139分
監督:デビッド・フィンチャー
出演:ブラッド・ピット、エドワード・ノートン、ミート・ローフ、ヘレナ=ボナム・カーター、ジャレット・レト

「作家の口福」 恩田陸 ほか

2011年07月03日 | 本(エッセイ)
作家それぞれの生活感たっぷり、食べ物の話。

作家の口福 (朝日文庫)
恩田 陸
朝日新聞出版


          * * * * * * * *
 
20人の作家が自分だけのご馳走を語る。
食べ物の話題ばかりのエッセイ集です。
私、根が食いしん坊なので、こういう本にはつい手がでてしまうんですね・・・。

恩田陸、村上由佳、山本文緒、
川上未映子、森絵都、三浦しをん、 
江國香織、角田光代、道尾秀介・・・・
豪華なメンバーがずらり。
それぞれの文章がとても楽しいのですが、
中でも私の記憶に残ったのは・・・


村山由佳さん。
インドネシア、バリ島の棚田のこと。
「どうか今年も、日本中の山々におわす田の神が、
忘れずにすべての田んぼに降りてきてくれますように。」

というきもち。

モンゴルの大草原で食べた「ヤギ肉のシチューのこと」。
生きたヤギを風牧民たちが無言のまま肉にしていく過程をずっと見ていた、といいます。

食の根源のあり方、犠牲の上のいのちのこと・・・。
「自分のいのちが他のいのちの犠牲の上にあることを決して忘れないでおく。」
「いのちへの<感謝>などという言葉では生やさしすぎる。
それはむしろ<哀しみ>にちかい。」

と、彼女は言う。
どんなご馳走の話より、ずしんと心に響きました。


それから、もう一つ胸に残ったのは朱川湊人さんの
「父の弁当 きれいだが、 食べられなかった」
著者は、子供の頃ご両親が離婚して、
お父さんと暮らしていたそうなのです。
家事などはすべてお父さんがやっていたけれど、
料理は苦手で、遠足などの時にはパンを買っていた。
けれどあるとき、どうしてもお弁当が食べたくて、
お父さんにねだったことがあった。
お父さんはやむなく早起きして一生懸命にお弁当を作ってくれた。
しかし、多分熱いうちにフタをしてしまったのであろうそのお弁当は、
昼食時にはすっかり傷んでしまっていて、
食べることができなかった。
せっかくお父さんが一生懸命作ってくれたお弁当を
食べることができない悔しさに、号泣したというのです。
そしてその日の夕、お父さんには「おいしかったよ!」と報告。
食べられなかったとは言えなかったとのこと。
どんな豪華なお弁当より心に残るお弁当。
しんみりします。


全体的に見ても、グルメ番組風の豪華料理ではなく、
素朴で質素、普段着的な食べ物のの話が多かったように思います。
そこがまた、親しみが持てて、
作家それぞれの生活感もああふれていて、楽しく拝読できました。

「作家の口福」 恩田陸ほか 朝日文庫
満足度★★★☆☆

シン・レッド・ライン

2011年07月02日 | 映画(さ行)
天国と地獄を分ける“細く赤い線”

           * * * * * * * *

この作品、戦争映画なのですが、
派手な銃撃戦やヒロイズムを期待してはいけません。
この作品は、戦争と人間の不可解な関係について、静かに語っているのです。

1942年、太平洋戦争時。
映画のオープニングは、とても平和で美しい南の島から始まります。
一人の若者が南洋の島で、子供たちと戯れている。
何とものどかな光景。
これは米軍ウィット二等兵。
実は彼は無許可離隊、つまり隊から脱走していたことが解ります。
この作品は多くの兵が代わる代わるに主体となり、
その主観を示しながらストーリーが進んでいきますが、
その中でも、ちょっぴり詩的なこのウィット二等兵のモノローグが中心になっています。
まもなく彼は部隊に連れ戻され、
日本軍との激戦地となるガダルカナル島へ向かいます。


ニューカレドニア島を「天国に一番近い島」などと呼ぶことがありますね。
そのように、通常南洋の島々は、
平和でのどかで、美しく、
『楽園』と称されることが多くあります。
ガダルカナル島も、本来はそんな島の一つであるはず。
ところが、この美しい島で繰り広げられるのは、殺し合い。
個人的に憎しみあっているわけでもないのに、
「戦争」という名の下で、
本来タブーであるはずの殺戮が公然と行われている。
・・・まるで皮肉のように、確かに一番「天国」に近い場所だ・・・。
いや、天国ではなく地獄ですね。

シン・レッド・ライン、つまり細く赤い線。
これは、楽園と地獄の境界であり、
人間の通常と狂気の境界でもある。
この境界は一体何なのか。
この境界はどこから来るものなのか。
自ら問いかけながら、ウィットはあえて危険な任務に近寄っていきます。
自分の中に、のどかな平和を愛する心と、人を殺す邪悪さが同時にあるのを
いぶかしく思い、まるで試しているかのように・・・。


このような極限状態では、その人の人間性がまともに出てしまうのですね。
命がかかった状況で、何かを取り繕う余裕なんてないということか。

任務を終え、生き残って帰る兵士たちの顔は、
皆疲れ果てて重いのです。
帰国の喜びは少しもない。
そんなシーンが印象的でした。


この作品はテレンス・マリック監督前作から20年ぶりの作品、
ということで話題になったようです。
渋い作品ながら、実はものすごい豪華な出演陣。
それぞれほんのチョイ出演ではありますが。
映画制作陣の良心を結集した・・・という感じです。

シン・レッド・ライン [DVD]
ジェームズ・ジョーンズ
パイオニアLDC


「シン・レッド・ライン」
1998年/アメリカ/171分
監督:テレンス・マリック
原作:ジェームズ・ジョーンズ
出演:ジム・カヴィーゼル、ジョン・トラボルタ、ジャレッド・レト、エイドリアン・ブロディ、ジョン・キューザック、ショーン・ペン、ジョージ・クルーニー