今日は初孫の初めての発表会の応援に、富士市のロゼシアターに応援に行って来ました。
どの子もみんな一生懸命、親や、祖父母達の期待に応えようと、真剣に踊りや、演奏を頑張っている。
自然と涙腺が緩む私。
話題のあの千両役者も、この子達と同じように、はじめは、舞台に純粋な気持ちで立っていたと思う。
それが物心がついて来ると、自分の置かれた特殊な世界に窮屈さを感じ始めたのではないかと思う。
WILLではなく、SHALLの世界
大変なプレッシャーを、生まれながらに背負って、金色のスプーンを持って、この世に生誕したと思う。
左,ロゼシアターの薔薇のステンドグラス
右,民家の前の畑で、餌をついばむつがいの雉
車で10分ほどの所にある対照的な風景
プレッシャーを背負わされているのは、役者だけではない。開業医、経営者、寺院、農家、等跡継ぎがいないと現役が困る。
子供に自分の仕事の後継者になって欲しいと願う親がいる。
伝統的な職業や、由緒ある家柄ならなってもらわないと困る!
子供に自分の果たせなかった夢を託す親がいる。親の夢を背負わされる子供もいい迷惑。
しかし子供は親の期待に応えようと、兎に角頑張る。
双方ともに大変だ。
士農工商の時代は200年以上も前の話
真面目に親の後継者になって、農業に取り組んで、日本の食糧の自給率を維持してくれている本当に親孝行の彼等には、お嫁さんが来ない。
明治維新よりも大変な平成の政権交代
100年後、日本史の教科書には、どのように記述されるのだろうか?