緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

「こだわり」も愛おしく

2021-06-05 | スピ的視点
  「こだわり」も自分の一部で

性格も心の現れでもあって

こだわりも潜在意識の現われでもあるので、今一度この世で体験したいと魂が望んでいる事でもあって

そのこだわりが自身の能力にもなり、それが自分の一部と吸収されれば(魂と心の一体化)次元も上がるけど

何でも度が過ぎると執着に変わり、身勝手なものと化したら広がりは無く、和らぐ柔軟性も無く単なる意識の塊となる

それが細胞であれば病気となったりもする

そんな「こだわり」の「執着」の塊も、少し違う角度から見てやれば、

自分が拘っている本質も観えてきたりする

例えば無我夢中で作っている物でも、度を超してお金の為だけになったり、体壊すまでやったり、人を裏切ってまで成功に執着したり

そんな裏側を客観的に見た時に、ふとその人の寂しさを感じたり、悔しさ、憎しみ、などの感情の裏腹だったとなったり

その本質というのは往々にしてネガティブな感情の塊です

手に入れたい欲望の裏には孤独の寂しさから自分の周りに色んな物を手に入れる事で満足したり…と

それに集中し過ぎがこだわりと変る

根底に在る感情が心を奮い立たせるものの、行き過ぎてこだわり過ぎると、その根底に在るものが邪魔になったりする

またそれが行き過ぎるまで行き着いて、根底の感情が開ける場合に凄い力となるんだけどね

よく感情の峠を越えると…って

怒りは、それを克服すると理解に変わり

恐れは、それを克服すると勇気に変わり、

寂しさや悲しみは、越えると愛に変わる

そんな具合にこだわりから解放に変わり開かれると潜在意識が働く

本来それを活かしきったり、自分の一部で吸収したりすると、潜在能力となったり、超能力となったりするもんなのに

ある意味こだわりから病気なんかになったり、不運だと気づいたりした時はチャンスですよね…って思ったりする

しっかり受け止めればね

「こだわり」も自分の我で、行き過ぎるとただの身勝手、

でも、広がり、共有すると潜在能力となる

今の世の中のコロナ禍ですが…

こんな時に、「命」にだけ執着すると、それも同じだと思います

命が死ぬ事だけにこだわるのか、生きる事に拘るのか、病気にこだわるのか、家族にこだわるのか

「命」に「こだわる」ならもっと違う角度で観ればやる事があるはず

出来るだろうと思います

こだわりを手放した時に潜在意識と繋がります (^.^)




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