概念を広げるとか、心を広げるという話をしていますが、
それには今の自分の状態や状況を自覚するのも必要だという話もしています。
大きな世界観で物事を捉えれるようになると答えも広いところから得る事も出来るし、凝り固まった考えと肉体によって辛い思いをしなくて済む (^^;)
何精神論言ってるんや!と怒られそうですね。
現実を生きている人は精神論なんてこれっぽっちも役に立たんと…!!
うちの旦那はそう言ってた!!
精神論で飯食えん!!というのです。
まあそれもその通りなんですが、
何か壁にぶつかった時には精神論も結構役に立つ !(^^)!
頑張って働いてる人やお金を稼ぐことだけに集中している人やこの世はそればかりだと考え頑張り過ぎている人は、既に世界観は狭い。
だからそれだけに集中していられる。
だから壁にぶつかった時には壁をぶっ壊さないといけない。
どっちが先なんでしょうと、いつもの話になりますね
卵が先か鶏が先か…鶏が先か卵が先か…ずっと続きます。
とりあえず、先に目の前にやってきたことに取り組む。
鬱になって、引きこもって、病気になって、痛みと戦って……
お金が無くて、彼彼女が出来なくて、欲求を満たしたくて……
こんな感じで、それが肉体レベルか精神レベルの問題かを
それを知って目の前に取り組む
そうするとどちらかの壁が目の前にやってきている。
その時にそのどちらかの壁をスルーしたとしても
人生にはいつかまたやってくるもんです。
人生は必ず壁をぶっ壊すんだというミッションになっていて、境界線も区別もない世界へ広がっているもんだと。
眠っている時にすぐに目が覚めてしまう時も3次元の壁の中でしか寝れていないのですぐ目が覚めるのです。
眠りの深い時には一瞬にでも宇宙ないしユングの言っている集合無意識の域への壁を越えていける。
今まで現実的に考えていた人は精神論でトライしてみる
精神論ばかりでやってきた人は現実論も加えてみる
病気でも痛みでも医者にばかり頼っていてもアカンというのはそういう時なんでしょう。
自分の考えや思いが窮屈になって来たのでは?
頑張ろうとかこうしたいああしたいと思っているよりまずやってみようとか。
心が窮屈になってきたら行動を広げみるとか。
精神論でいっても肉体レベルでやっても壁にぶち当たる時は
きっと魂と何かが食い違っているのでしょう。
これもバランスなんですよね
心と体と魂の。
だからこそ年齢を重ねて焦燥感にまで到達して答えを得られたと…。
それが人生でのバランスの取り方なんでしょうね。
良いバランスを取ってられるのですね。
心が倒れることにより、なに不自由ないと思える人でも自殺したりします。
逆もあるでしょう。
身体をもった人間でも、心のほうが根っこなのは、深く考えるとわかります。
若いとき、「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉の意味が、とても疑問でした。
心は大事であっても、人はまず、食べなければなりません。
若いときは経験がなくて、そう思っていました。
しかし、年をとり、経験をつむとわかってきました。
心の深い部分、なにかたましいののうずき、焦燥感に答えをだしてあげないと、人間の心は死んでしまうということを感じています。