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娘が結婚式までのいろいろプロセスを踏んでいる時に私もやっぱり自分の時の事を思い出します (^.^)
いつもいつも逆切れして逃げて捨て台詞を吐いて、自分が起こした問題にも関わらず向き合わないで、無視して脅して、脅せば許してくれると思ってるのか、絶対に負けたくないという、大の大人が未熟な子供のようで、人の真似ばかりして目には目をで意味のない言葉と意味のない行動でこれ見てくれとばかりに勝ち誇ったようにどや顔する旦那だった (-_-)
付き合っている間には気づけなかったぐらい私が未熟で世間知らずだっただけ。
娘たち見て何かあるたびにそんな旦那や自分たちの事が蘇ってくる!! (^^;)
挨拶だったり、プロセスを考えたり、式に向けていろいろ考えを共有したり、家に泊まりに来た時の二人を見たり、そんな二人を観ててです。
いろいろ蘇りながらもちろん旦那の悪いところばかり探してた訳でもない、
良いところもあったし、仲も普通に良かったと思う。
意味のない事は思考も働かない野生脳だったかも。
幸せでもあったなと。
自分が幸せでないと結婚生活の卒業も出来ないと思っていたのでとことん頑張ったと (^^;)
ただ、赦してばかりの私がこんな風に育ててしまったのかと、
どんどん嫌な人になって行ってた旦那。
それでも許してた私はそれも依存だったんだなと。
普通は子育てでは、こんな子に育てたのは私のせいか、とか、こんな子に育ってしまったとか、こんなにも素晴らしい人に成長してくれたとか、子供にはそんな風に思ったりするのが世間一般だろうけど。
私の場合、多分だけど、きっとだけど、子離れを考え、子供って一人の人間として認めてあげよう、理解してあげようと思い出した時から案外子供の成長が観れるようになっていったと思う。
子育ては子供から教わる事が多くて、その教わった事で自分の心を自分で育てて行けたと思うのです。
気づくばかりでも駄目で、自分の心は自分で育てる。
これが無いと、アカンなと。
みんなそれぞれが自律して自尊心を育てて行くんだと。
同じように旦那のいろいろもただ許すというより、どうしてそうしたのか心理や心を理解しようと思ったりしたからこそ許して見守ってた様に思うんだけど。
常に味方になりたいと、そして理解者になりたいと。
まあ仕事ばかりしていたせいでもあるんでしょうね、職場で戦っていたのが旦那。
友達も相談する人もいなかった、それは自分が常に上に立ちたかったからだと思う。
そのうちに我見失って行った!!
自分の居場所は勝てるところで、勝つ事。
そう育てたのも私かなと反省した時もあったのかなと。
奉り過ぎたのか……、配慮しすぎたのか……、
最後は強制終了だったけど、それでも絶対に許してくれると思っていたのか、誤りを正す事も謝る事も無く、何度もこれでもかと私が折れると思い脅してきた旦那。
でもこっちは反対に折れすぎてもうすべて捨てようと覚悟は出来てたので、
脅す事でどうにもならんところまで自分を追い込んで行った旦那だった。
最後は哀れで惨め?いや!滑稽だったかも知れない、可哀そうだった!!
仕事も追われ、会社にも裏切られ失業し、膝蓋骨骨折で歩けなくなり入院したりと散々だと聞かされた!!
多分、そんな最後にまた「しゃーないな」と一言私が言えばまた元通りになったかも知れなかったけど、それでも自分を守ろうと勝ちに行った旦那は、全てこうなったのはお前のせいだと私に牙をむいた!!
それも全くのいわれのない言葉を出してきてです。
青天の霹靂!!
一気に私のシャッターは降りた (^^;)
こんな人間もいるのかと!!
それもその人の人生だったんだなと。
成長も無く。
気づくの遅すぎだったぐらいかな。
最後の強制終了は神様から私への贈り物だと思うぐらいでした (^.^)
DVでも〇ハラでも知らないうちに依存してしまうのも人間。
私自身、依存を断ち切る勇気が無かっただけだったなと、神様に感謝したし、自分を粗末に自分の心や人生を大切にしていなかった自分に謝ったし、そんな自分を許した !(^^)!
娘夫婦を観てて、これから始まるいろんな事あるよねと思うけど、
なぜ結婚があるのか、なぜ縁があるのか、それが誰のためにあるのか、そんな何故の真理を知ったからこそ見守れると思う。
それぞれの人生がそこに在るという事を忘れてはアカンかなと。
そして人生は魂のためにもあるという事。
その上でお互いが楽しく幸せであって欲しいな~と思う。
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