あんなに大量に準備したのにぃぃぃ!
どんどん減って、ついに薪小屋貯蔵のものにまで手をつけるまでになったぜ。
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まぁ、まだまだ簡易屋根の下に2間×3列もあるし、風雪除けに西側の薪積みはそのまんま残っているから、薪が不足するってことはないんだけど。
柱の手前側に2列もあったんだぜ!それすべてすべて使い尽くしてしまったっ!
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なんか、痛ましいって言うか、切ないって言うか、やるせないって言うか・・・薪の大量ロスにちょい感傷的になってしまうんだよ。
冬到来前、積み上がった薪を前にした時のあの誇らしさ、どうだい見事なもんじゃないか!って自慢したころが懐かしい。薪運び、チェーンソーでの刻み方、薪割り、そして積み上げ、ひたすら我慢を重ね4か月!かつてないほど大量に薪を作ったのに。わずか3か月ちょいで、その大部分を失ってしまった。このやるせなさ、喪失感!できれば、あの見事な薪山をずっと残して置きたかった。
って、そりゃないだろ。薪は燃やすために作るもの。冬の寒さをやり過ごすために準備したんだ。減って行くのは当然だ。無くなって当たり前なんだ。
そう、わかっちゃいる。が、何か、虚しい。
でもなぁ、実はそれが暮らしってもんなんだぜ。それまでの積み上げや努力を食いつぶして生きて行くんだ、人間ってやつは。壮大な無駄のローテーション!
米や野菜作りだってそうだろう。
いい出来だ!豊作だって大喜びしたところで、それは残すべき芸術作品じゃない。飾っておけるお宝じゃない。命を支えるためのもだ。作っては食べ、食べて命を繋ぐ。
薪も同じ、割って積んでもそれは寒さをやり過ごすため。
そう、結局、人間はこういう無駄な労働を繰り返し続けて歳を重ねて行くんだ。
そう、それが生きるってことだ。壮大な無駄の積み重ね、それが暮らしってものなんだ。
わかっちゃいるんだけどなぁぁぁ・・・
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