入院中の楽しみはテレビだけだった。
字が読めないので本は読みたくなかったが、音声は聞こえるし画像も見られるので、テレビは楽しかった。
しかし、病室のテレビの視聴は有料で、公衆電話と同様に、カードを買う必要があった。
無駄遣いをしたくないし、楽しみな番組も少なかったので、見ていたのは、平日夕方の「はじめの一歩」と、日曜日の「ドラゴンボール」と「ワンピース」だけだった。
視聴時間は一日1時間弱だった。
館内を自由に動けるようになると、1階の外来でのテレビも見ることができた。数回は見てみたが、面白い番組がなかったことと、他の患者が居たこともあって、すぐに興味がなくなった。
「なんとなくテレビを見ているだけで満足。」
という人は幸せである。
一時帰宅ができるようになり、2~3か月ぶり、自宅でテレビが付きっぱなしになっていた時に、
「帰ってきたんだなかぁ。」
と実感したことを覚えている。
テレビ、そして風呂、布団という、当たり前の生活を実感させてくれる物が、「当たり前の我が家での生活」を実感させてくれるのだろう。
字が読めないので本は読みたくなかったが、音声は聞こえるし画像も見られるので、テレビは楽しかった。
しかし、病室のテレビの視聴は有料で、公衆電話と同様に、カードを買う必要があった。
無駄遣いをしたくないし、楽しみな番組も少なかったので、見ていたのは、平日夕方の「はじめの一歩」と、日曜日の「ドラゴンボール」と「ワンピース」だけだった。
視聴時間は一日1時間弱だった。
館内を自由に動けるようになると、1階の外来でのテレビも見ることができた。数回は見てみたが、面白い番組がなかったことと、他の患者が居たこともあって、すぐに興味がなくなった。
「なんとなくテレビを見ているだけで満足。」
という人は幸せである。
一時帰宅ができるようになり、2~3か月ぶり、自宅でテレビが付きっぱなしになっていた時に、
「帰ってきたんだなかぁ。」
と実感したことを覚えている。
テレビ、そして風呂、布団という、当たり前の生活を実感させてくれる物が、「当たり前の我が家での生活」を実感させてくれるのだろう。