雨天の朝になり、自宅出立の5時40分はまだうす暗い、
禅堂内の室内灯が赤あかと見える。
少し到着が早やかったせいか、どなたも居ない?、
6時の梵鐘が始まる、午前6時でしょう、
しばらくして正しく聞こえないが、老師の読経と「検単」が始まる、
真後ろに立たれると一瞬の緊張が走る。
小鐘3つでスタート。
「打つ鐘も打たれる鐘ももろともに」露の事、禅のごとく各のごとし
「あると思うと消えてなくなり、無いと思うとまた響く」梵鐘一つ聞いても
それが自分で有るという一体感が大切。
花は咲き、そして散る、また芽吹く、その命の循環、
それが私達の命の循環でもあるのです。
「坐禅」は難しい事をするのではありません、ここに座っているのがその私なのです。
老師のお話は続く中で、屋外は野鳥の声、虫の声も一切聞こえず、
ただただ雨音だけの世界なっていました。
初参禅の人もいらっしゃるので、肩の力を抜いて楽に座って下さい、
目はすべからず開くべし、両手の平に結んだ中に、個々の呼吸、思いを包む、
その時に大切なことは、宇宙に流れる空気、「気」をつかむのです。
ここの呼吸をしっかりつかもうとする「命の風」。
(命の風について、病身の子供の頃聞いた想い出を重ねられた)
生とは死であり死とは生である、両者は一体、それらはみんなの個性の中にある。
坐禅をするのはお釈迦様が見つけた「命の風」の届く道です。
それを今体験しているのです、
「命のかぜ」ということからを飛躍したが、
その教えを享受して坐禅を味わってください。
小鐘1つで終了。
今朝は、いつもと少し変わった座中のお話、
しっかりの40分(1炷)となりました。
初参加の4名は永平寺町在の芸術家とか、
ご住職ご縁の都会の人達でした。
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