昼食後、散歩しながらのんびりとスカイツリーを目指して歩きます
ネットで見学時間を予約してあったので時間が大分ありました
時間をつぶしながらテクテクと歩きます
途中隅田川沿いで観光船で時間つぶしをしようかと思いましたが
ちょうどいい観光船の時間がなかったのでパス
多分、2度目に来ることはないだろうと思い(ネットで)2700円の券を購入
行ってみると時間は関係なく上がれるようでした
10周年だそうです
コロナ禍のせいか、10年過ぎるとこんなものなのか、
エレベータの中は15人程度の人
エレベータは1分もかからずに到着します
地上から東京スカイツリー天望デッキ 4基(分速600m、約50秒)
東京スカイツリー天望デッキから東京スカイツリー天望回廊 2基(分速240m、約30秒)
スカイツリー概要より
エレベータを降りた時しばらくの間目眩のような感覚がありました
富士山
雲があり、時間的にも一番見えにくい時間でした
こちらは先ほど言ってきた浅草寺
「もう2度と来ることはないだろうから」
という言葉がフツーに出てくるようになりましたね
いろいろ記憶に残しておかなくちゃ、と思う反面
すぐ忘れるお年頃です
その昔、かなり幼いころ
浅草寺に母と出かけたことがありました
そのころは傷痍軍人と言われる人がいて、アコーディオンで演奏していました
みんな白い服を着ていました
帽子だったか缶だったか、前において頭を下げていました
母に言われてお金を入れてきました
昭和30年生まれの私です
この話、嘘みたいだけど本当ですよ
歩いた距離 8.1km
12,195歩
浅草寺とスカイツリーはセットのようだと思いましたがそうでもないようです。
スカイツリーだけ行ったという人もいましたし。。。
人工的な建物では日本一なのだから一度は行ってみたいなと、そんな気持ちでした。
傷痍軍人さんか引揚者か、なぜか白い服を着ていました。
私もとても怖かったと覚えています。
だからかなり昔のことなのに覚えているのではないかしら。
なぜ怖かったのかはわかりませんが。
浅草寺に出かけたその帰りスカイツリーを見ながら歩きました、
あの時スカイツリーに行きたいとは思わなかったです、
なぜだか分らないけど~
私の子供の頃に白い服を着た戦争から引き上げて来た方をみました、お金を入れる箱があったのも記憶しています、
私は何故か怖くって泣いてしまった記憶があります。
10年なんてアッという間ですね。
東京タワーで3時間待ちは何かイベントでもあったのでしょうか?
特別なことがないとなかなか出かけられませんね。
昭和35年生まれのオケイさんでも言い伝えられた言葉で記憶に残るんですね。
それも私たち世代までのことで、次の世代には伝わらないのかな。
今の若い人が聞いても分からないことなのでしょうね。
今の幸せな時代を大切にしたいですね。
あっという間ですネ。
もちろん私は行ったことないです。
東京タワーの50周年?の時に、娘と2人の甥っ子を連れて行った事があります。
10年以上前でした。
凄い行列で3時間待ちと言われ、諦めた覚えがあります。
スカイツリーには行ける機会があるかなぁ〜。
私は昭和35年生まれです。
戦後の記憶は全くないですけど、故郷が空襲を受け、母が被災しています。
ですから、空襲や戦時中の苦労話しはよく聞かされましたよ。
私は田舎町で育ちましたけど、義足で白い軍服を着た兵隊さんらしき人は見た事がある気がします。
ホント、今は平和で幸せな時代だと思いますね。
まだ行ってないところもたくさんあるんですけど。
傷痍軍人さんのことはとても印象に残ったから、ずっと忘れないでいたんだと思います。
滅多に見かけることはなかったんですが、繁華街に行くと見かけることがありました。
fufuさんのおっしゃる通り、今の時代は幸せです。
生きなくちゃならないんですから、それはそれは大変だったことでしょう。
ありがたいことです。
かりんとうさんは大都会にお暮しなのですね
浅草寺やスカイツリーにちょいとおお出かけされるのですもの
凄いです
私などはもう行ってみる事は無いでしょう
かりんとうさん、私より9年も遅くお生まれなのに
傷痍軍人さんなどがいらっしゃったのですね
私は熊本のお宮さんの参道脇にむしろに座っていらっしゃった
足や腕が無い、やはり白い服を着ていらっしゃったような?
前に箱を置いて有り小銭を入れていた事を今思い出しました
あの頃は生きて行くだけが大変な世の中だったのですね
わずかな年金生活者でも今の時代は幸せです