justice に関して研究が盛んで一定の共通理解が形成されている国の代表は米国ですね。
中でも John Rawls の A Theory of Justice(1971)は justice に関する代表的なテキストのひとつだとされています。
もとより、ここで本書を詳細に紹介することはできません(訳本として「正義論」(2010年)(紀伊国屋書店)が出ていますので是非ご一読ください。)が、私が通読して得た認識を極々簡単に文字化すれば「正直者が馬鹿を見ない仕組(状態、制度)」と言ってよいかと愚考しております。
我が国では「自由や平等が大切である。」としばしば言われます。
そしてさらに教育の場では「親切」だとか「愛情」だとか「思いやり」などという、いわば道徳や倫理の領域に属する言葉が頻繁に使われます。
もちろんこれらは重要です。
しかし、小学校や中学校、そして高校でも、種々の科目の中で自由や平等や平和について学ぶ機会は多く提供されているようですが「正義(=justice)」について学ぶ機会は多くないようです。
しかし、この justice こそが種々の難しい問題を解決する際に必要となる決定的な物差しであることを認識すべきだと思います。
法学では「正義、自由、平等」という順番で法概念を紹介しますが、この順序は気まぐれではなく原理として重要なものから並べているのです。
正義が実現されていない社会で自由や平等を強調すると弱者が排除され、弱者が不利益をこうむり、弱者が虐げられます。
John Rawls は同書のなかに「justice as fairness」という章を置き fairness との関係について詳論しています。
fairness は日本語では公正と訳されますが、その概念内容は若干不明瞭なままにされているようです。
私は、訳語は公正でも構いませんがその内容を実感として理解するひとつの方法として fair の反対語である unfair の意味からご案内しています。
unfair とはどんな内容でしたでしょうか。
「不公正」ですか。
fair に un が付いたのですから「公正」に「不」をつけて「不公正」とすれば単語のテストならば正解です。
しかし、これでは概念内容は分かりませんね。
unfair とは「やり方が汚い」という内容(≠訳)だと私は習いました。
(つづく)
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