退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
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先生との出会い(12)― 芸は人を助ける ―(愚か者の回想四)

2020年10月19日 16時52分14秒 | 日記

 その家のプールには飛び板もあった。小さいプールなのに足がつくところと水深が3m以上ある部分とがあった。その境目には目に見える境界は無かった。怖い。

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 仲間の女性の一人が、ふざけて年配の男性をプールに突き落とした。

 普通ならば笑って終わる悪ふざけだったが彼は泳げなかった。

 落ちた場所は深いところだ。

 明らかにパニックを起こし溺れている。

 すぐに私も水に入り支えた。

 彼は彼なりに文字通り必死に無我夢中に「泳いだ」。

 誰が見ても泳いでいるようには見えなかったが。

 そして、まもなく岸にたどり着いた。

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 ホストファミリーのママがこの出来事を何度も何度も他のママたちに話したのでママやパパたちの私に対する接し方が変わった。

 なぜか仲間たちの私に向けられる目も変わったような気がした。

 ちなみに、米国ではライフガードはプロでありその社会的地位は高いということを後日知った。今はどうだか分からない。

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 ホストファミリーとスーパーマーケットへ買い物に行った。普通の町のスーパーだが、ライフル銃や散弾銃が日本のモデルガンのようにショウケースに並べられていた。「Sale」の札もついていた。もちろん本物である。「アメリカだなぁ~。」と実感したが、日々、ガラガラヘビに注意しなければならない土地柄を思えば当然と言えば当然だ。

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 このスーパーはオリエンタルフードの専門店なので私は店員と間違われた。私を店員と誤解して話しかけてきた男性の冷たい目が今も忘れない。ここは南部だ。私はカラード(有色人種)。取りわけ東洋人は南部では危ない。改めてアメリカを感じた。

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 フィーニックスカレッジの全く分からない講義を聴いた後は教会に集まった。このとき初めて「ワンウェイジーザス」を知った。掲げられている旗には、人差し指だけを立てた手の絵が描かれている。ジーザスだけが信仰の対象なのだ。なかなか難しい。

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 観光バスでグランドキャニオンへも行った。これが川(渓谷)だと教わりスケールの大きさに度肝を抜かれた。

 お土産屋でボロータイを買った。元はポピーインデアンが狩猟につかった道具だったそうだ。帰国後だいぶたってから日本でも見かけるようになった。

 「もう二度と来ないと思うから目に景色を焼き付けて置こう。」と言った仲間の言葉がなぜか記憶に残っている。

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 約一週間のフィーニックス滞在が終った。

 ホストファミリーのママが泣いていた。

 私も涙が出て来た。

 言葉によるコミュニケーションはほとんどできなかった。

 しかし、ホストファミリーのメンバー全員と気持ちはつながっていた。

 言葉とは一体何なのかと不思議に感じた。

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 フィーニックスを出た後はただの観光だった。NYではデッキシューズに白の裾広パンツ、頭は坊主で市内を一人でうろうろしていた。エンパイアステートビルディングにも上った。ホテルに戻ってから、再び「あの格好はヤバかったな」と気付いた。まぁ~、東洋人を相手にする好き者はいないとは思うが、ガラガラヘビがいる国だから何が起きても不思議ではない。

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 夜、和服を来た女性たちがメトロポリタンオペラハウスへ「マス」というミュージカルを見に行った。何故か誘われたので同行した。

 もちろん何が演じられているのか全く分からない。それなのに感動した。芸術にも言葉はいらないのか。

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 帰り道が分からなかった。時刻は20時を過ぎている。私を含めて4人なのでタクシーに乗ればいいのだろう。だが、歩きたがる人がいた。「やめた方が良いと思います。」と提案し、タクシーに乗った。

 「道に迷ったらタクシーに乗りホテルのマッチを見せれば帰れる。」と例の研修で習った。女性たちの一人がドライバーへマッチを示した。研修会でも上手な英語で自己紹介をしていた女性である。「O.K.」との返事が帰って来たというので全員で乗り込んだ。

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 しかし、いくら走っても同じ景色がめぐって来る。着かない。

 やむを得ず、今度は私の判断で全員下車した。元いた場所に戻っていた。私がそのドライバーに確認すると字が読めなかった。同じブロックを数回くるくる走っていた。

 「そのホテルならあっちだ。15分歩けば着く。」と言う。指さした遥か向こうに真っ黒な塊が見えた。

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 これは違う。そう思って、別のタクシーを拾い言葉で確認した。住所を告げた。ドライバーの目を見てゆっくり発音した。「Do you understand me?」と念を押すと、「Yes,sir.」との答えが返ってきた。大丈夫だと判断し全員で乗り込んだ。10分もかからずに無事着いた。

 その前のタクシーのドライバーが指さした先はNYのセントラルパークだった。

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 ナイヤガラ瀑布には度肝を抜かれた。下からも眺めたが壮観だった。そしてサンフランシスコまで戻って来た。空港のトイレに「男」、「女」の文字があったのには驚いた。

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 この頃になると言葉にあまり不自由を感じなくなっていた。不思議なものだ。そして、書き言葉と話し言葉とが同じ英語でも全く次元の異なるものだと感じた。あのネイティヴのドライバーは話ができても文字が読めなかった。

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 国は、近年、英語のspeakingとlisteningの教育に重点を置いている。小学校にまで学ぶ時期を下げ、入試にまで取り込んでいる。もちろん、言葉に関する4つの能力を身に付けていれば金儲けと友達作りには便利かもしれない。

 しかし、言葉は脳を形成するのに大きな役割を果たしている。いわゆる母国語脳を高めることは論理的思考力を高めると言われている。

 現実に、米合衆国最高裁判所は陪審員候補者からバイリンガーを排除してもそれは不合理な差別には当たらないとの見解を示したことがある。

 被告人が有罪か無罪かを判断する陪審員には高度な論理的思考力(及び推論力)が求められる。バイリンガルにはその能力が無いとされたのである。プレスの中にこの判断を批判するものは無かった。

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 今、日本では、日本語脳の形成過程にある若年者に英語のlisteningとspeakingの能力を高める教育を進めている。

 米合衆国最高裁判所の理屈に従えば、日本式の英語教育が進むと将来の日本人の論理的思考力は低下することになる。

 とりわけ児童や幼児期にある子供にこのやり方の英語教育をすると一言語思考力が低下し論理的思考力が極度に低下する危険がありそうだ。

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 ちなみに、当時、日本人の中には英語力について「読めるが聴くのや話すのが苦手だ」と言う人がいた。そのように言う人に書いたものを見せたことがある。分からなかった。

 ただの悪戯だ。この頃から私は外国語に限らず言語や言葉に関心を持つようになった。これは後に思いがけない結果をもたらすことになる。

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 私にとって珍道中だった米国への旅は無事終了した。帰国して自宅に戻ったとき畳の香りを強く感じたことを覚えている。

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 帰国したとき、空港にチーフのO先輩とサブチーフのT先輩が迎えに来てくれた。驚いた。嬉しかった。T先輩は笑わない人だと思っていたが笑顔だった。

 数日後、プールに復帰した。皆、歓迎してくれた。そして以前と同じように接してくれた。日本ではほとんど見かけなかったマクドナルドハンバーガーの話とhamburgerの発音がうけた。

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 すでに夏は終わり秋が近づいていた。遊びまくった1972年。そろそろ来年の入試の準備をしなければならない。

 そんなわけで10月に入試の準備ということでプールを休むことにした。

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 プールを休んで自宅にいてもとくに受験勉強をするということも無かった。

 理由を思い出せないが真空管アンプをつくり始めた。それも間もなく完成し、やることが無くなり、再びラジオ講座を聴き始めた。勉強らしい勉強もせず一年を過ごしたのだからラジオ講座を聴いても分かるようにはなっていなかった。時間だけが虚しく流れた。(つづく)

 

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。



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