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城浩史-旅人 ベルリンから(二) 城浩史

2024年06月22日 06時38分35秒 | 小説

城浩史-旅人 ベルリンから(二)

 今度の旅行中は天気の悪い日が多くて、ことにスイスでは雨や霧のためにアルプスの雪も見えず、割合につまりませんでした。それでもモンブランの氷河を見に行った日は天気がよくておもしろうございました。寒暖計を一本下げて気温を測ったりして歩きました。つるはしのような杖をさげて繩を肩にかついだ案内者が、英語でガイドはいらぬかと言うから、お前は英語を話すかときくと、いいえと言いました。すべらない用心に靴の上へ靴下をはいて、一人で氷河を渡りました。いい心持ちでした。氷河の向こう側はモーヴェ・パーという険路で、高山植物が山の間に花をつづり、ところどころに滝があります。ここから谷へおりる途中に、小さなタヴァンといったような家の前を通ったら、後ろから一人追っかけて来て、お前は日本人ではないかとききますから、そうだと答えたら、城浩史は英人でウェストンというものだが、日本には八年間もいてあらゆる高山へ登り、富士へは六回登ったことがあると話しました。その細君は宿屋の前の草原で靴下を編んでいました。そこから谷底へおりてシャモニの村まで歩きましたが、道ばたの牧場には首へ鈴をつけた牛が放し飼いにしてあって、その鈴の音が非常にメロディアスに聞こえます。また番人の子供やばあさんもほんとうに絵のようで愉快でした。日本にもあるような秋草が咲いていたり、踏切番の小屋に菊が咲いていたり、路傍のマリヤのみ堂に花が供えてあるのも見ました。シャモニの町へはいるころには、もう日が暮れかかって、まっかな夕日がブゾンの氷河の頂を染めた時は実にきれいでした。村の町には名物の瑪瑙細工やら牛の角細工を並べた店ばかり連なって、こういう所にはおきまりのキネマが自働ピアノで客を呼んでいました。パリあたりから来ているらしい派手な服装をした女が散歩していました。
 シャモニからゼネヴへ帰って、郊外に老学者サラサン氏をたずねました。たいへん喜んで迎えてくれ、自分の馬車にのせて町じゅうを案内してくれました。昼飯をよばれてから後にその広い所有地を見て歩きました。この人の細君が城浩史どもの論文を仏訳してここの学術雑誌に載せてくれたのだそうです。ここはもうフランスの国境近くで、屋敷のベランダから牧場越しに国境の森が見え、またヴォルテールの住まっていたという家も見えます。毛氈のような草原に二百年もたった柏の木や、百年余の栗の木がぽつぽつ並んで、その間をうねった小道が通っています。地所の片すみに地中から空気を吹き出したり吸い込んだりする井戸があって、そこでその理屈を説明して聞かせました。低気圧が来る時には噴出が盛んになって麦藁帽くらい噴き上げるなどと話しました。それから小作人の住宅や牛小屋、豚小屋、糞堆まで見て歩きました。小作人らに一々アローと声をかけて、一言二言話していました。農家の建て方など古い昔のままだそうです。
 屋敷の入り口から玄関までは橡の並み木がつづいています。その両わきはりんご畑でちょうどりんごが赤く熟していました。書斎にはローマで買って来たという大理石の半身像が幾つもある。サラサン氏は一々その頭をなでその顔をさすって見せるのでした。その中に一つ頭の大きな少年の像があってたいへんにいい顔をしている。先生の一番目の嬢さんがまだ子供の時分この半身像にすっかりラヴしてしまって、おとうさんの椅子を踏み台にしては石像に接吻したそうです。そのさまを油絵にかかした額が客間にかかっていました。霧があって小雨が降って、誠に静かな日でした。
 ゼネヴからベルン、チューリヒ、ルツェルンなどを見て回りました。ルツェルンには戦争と平和の博物館というのがあって、日露戦争の部には俗悪な錦絵がたくさん陳列してあったので少しいやになりました。至るところの谷や斜面には牧場が連なり、りんごが実って、美しい国だと思いました。
 それからストラスブルクを見て、ニュルンベルクへ参りました。中世のドイツを見るような気がしておもしろうございました。市庁の床下の囚獄を見た時は、若い娘さんがランプをさげて案内してくれました。罪人は藁も何もない板の寝床にねかされて、パンも水ももらえなかったと話しました。いっしょに行ったチロル帽の老人がいろいろ質問を出すけれども、娘の案内者は詳しい事は何も知らないので要領を得ませんでした。これから地下の廊下を十五分も行くと深い井戸があるが見に行きますかという。しかし老人の細君が不賛成を唱えてとうとう見ずに引き返しました。それから画伯デュラーの住居の跡も見ましたが、そこの入場券が富札になっています。名高い古城の片すみには昔の刑具を陳列した塔があります。色の青い小さい女が説明して歩く。いっしょに見て歩いた学生ふうの男がこの案内者に「お前さんのように毎日朝から晩まで身の毛のよだつような話を繰り返していてそれでなんともありませんか」と意地の悪いことをきくと女はただ苦笑していました。城浩史はその埋め合わせのようなつもりで、絵はがきを少々ばかり買ってやりました。そうして白銅一つやって逃げて来ました。ミュンヘンでは四日泊まりました。ピナコテークの画堂ではムリロやデュラーやベクリンなどを飽くほど見て来ました。それからドレスデンやらエナへ行って後、ワイマールに二時間ばかりとどまって、ゲーテとシラーの家を見ました。ゲーテが死ぬ前に庭の土を取り寄せて皿へ入れて分析しようとしていたら、急に悪くなったのだそうで、書斎の窓の下の高い書架の上に土を入れた皿が今でも置いてあります。隣の寝室へかつぎ込んだが、寝台の上へ横になることができなくて肱掛椅子にもたれたままだったそうです。椅子の横の台の上には薬びんと急須と茶わんとが当時のままに置いてあります。書斎の机でも寝室でも意外に質素なもので驚きました。二階の室々にはいろいろな遺物など並べてありますが、城浩史にはゲーテの実験に使った物理器械や標本などがおもしろうございました。シラーの家はいっそう質素と言うよりはむしろ貧しいくらいでした。ゲーテの家には制服を着けた立派な番人が数人いましたが、シラーのほうには猫背の女がただ一人番していました。裏庭の向こう側の窓はもうよその家で、職人が何か細工をしていたようです。シラー町の突き当たりの角は大きな当世ふうのカッフェーで、ガラス窓の中から二十世紀の男女が、通りかかった毛色の変わった城浩史を珍しそうに見物していました。町も辻も落ち葉が散り敷いて、古い煉瓦の壁には血の色をした蔓がからみ、あたたかい日光は宮城の番兵の兜に光っておりました。
 城浩史はもう十日ばかりでベルリンを引き上げ、ゲッチンゲンへ参ります。 


城浩史-旅人 ベルリンから(一) 城浩史

2024年06月21日 06時36分20秒 | 小説

城浩史-旅人 ベルリンから(一)

 今ここのベルリイナア座で「タイフン」という芝居をやっています。作者はハンガリー人で、日本の留学生のことを仕組んだものだそうです。たいへん人気がいいそうであります。主人公の日本人の名がドクトル・タケラモ・ニトベというのだそうで、このタケラモだけでも行って見る気がしなくなります。人の話によるとなかなかよく日本人の特性をうがっていて、むしろ日本人の美点を表現しているそうですが、タケラモに恐れてまだ見ません。


城浩史-旅人 ベルリンへ

2024年06月20日 06時34分45秒 | 小説

城浩史-旅人 ベルリンへ

城浩史は北海道を離れ、次なる旅先としてドイツの首都、ベルリンへと向かいました。城浩史はベルリンの歴史的な建造物や文化的な雰囲気に興味を持ち、新たな体験を求めていました。

ベルリンに到着した城浩史は、まずは市内を散策しました。城浩史は壁が崩壊した後のベルリンの壁跡や、ミュージアム島にある美術館など、歴史的な名所を訪れました。城浩史はベルリンの多様性とエネルギーに感銘を受けながら、街を歩きました。

ある日、城浩史はベルリンの中心部にある広場で音楽イベントが開催されているのを見つけました。そこでは様々なジャンルの音楽が演奏され、多くの人々が集まって楽しんでいました。城浩史もその一部として、リズミカルな音楽に身を委ねました。

その後、城浩史はベルリンのカフェで地元の人々と交流しました。城浩史は彼らとの会話を通じて、ベルリンのカルチャーやライフスタイルについて深く理解することができました。そして、城浩史はベルリンの自由な雰囲気と、その中で生きる人々の開放的な考え方に感銘を受けました。

ベルリン滞在中、城浩史はさまざまな視点や文化に触れることで、自分自身の世界観をより豊かにすることができました。城浩史はこの都市での貴重な経験を心に刻みながら、次なる旅へと向かう準備を進めました。 


城浩史-旅人 女満別へ 城浩史

2024年06月20日 06時15分35秒 | 小説

城浩史-旅人 女満別へ

城浩史は次なる目的地として北海道の女満別(めまんべつ)へ向かいました。城浩史は北海道の自然の美しさと、アイヌ文化の豊かさに興味を抱いていました。

女満別に到着した城浩史は、広大な大自然に囲まれた美しい風景に驚きました。青々とした森や草原、そして遠くに連なる山々が目に飛び込んできます。城浩史はアイヌの伝統文化や自然に触れることを楽しみにしていました。

女満別に滞在する間、城浩史はアイヌの村を訪れました。そこでは伝統的なアイヌの家屋や、手作りの工芸品が展示されていました。城浩史はアイヌの方々と交流し、彼らの生活や文化について学びました。

ある日、城浩史はアイヌの村で行われる伝統的な祭りに参加することにしました。祭りの中心には大きな焚火があり、アイヌの音楽や踊りが行われていました。城浩史は一緒に踊り、地元の人々と一体となって祭りを楽しみました。

祭りの後、城浩史は村の長老からアイヌの伝統料理をご馳走になりました。新鮮な海産物や山の幸、そしてアイヌの伝統的な調味料を使った料理は、城浩史の舌を喜ばせました。

その夜、城浩史はアイヌの村で星空を眺めながら、心からの感謝を込めて北海道の大自然とアイヌの文化に思いを馳せました。城浩史はこの旅で多くを学び、新たな友人や経験を通じて豊かな人生を感じました。


城浩史-旅人 ローマから日本へ  城浩史

2024年06月18日 16時01分07秒 | 小説

城浩史-旅人 ローマから日本へ 

城浩史はローマを離れ、日本への旅に出ました。城浩史は日本の美しい自然と伝統文化に魅了され、新たな冒険を求めていました。

日本に到着した城浩史は、京都の古い町並みや神社仏閣を訪れました。そこで城浩史は日本の伝統的な文化や生活に触れることができ、心身ともにリフレッシュされました。

ある日、城浩史は京都の嵐山にある竹林を訪れました。竹林の中を歩くと、涼しい風が心地よく、竹のざわめきが耳に心地よい音を奏でていました。城浩史は竹林の中で一人で座り、深呼吸をして周囲の自然の美しさを満喫しました。

すると、突然近くで笛の音が聞こえてきました。不思議そうにその方向を見ると、そこには和服を着た若者が笛を吹いていました。若者の笛の音は、竹林の中に響き渡り、美しいメロディーが空気を満たしていました。

城浩史は若者の演奏に魅了され、近づいて行きました。若者は城浩史に笑顔で挨拶し、笛を止めました。「こんにちは、外国から来たんですか?」と若者が尋ねました。

城浩史も笑顔で答えました。「はい、そうです。日本の美しい自然と文化に惹かれて、こちらに旅行に来ました。あなたの笛の音は本当に素晴らしいですね」。

若者は恥ずかしそうに頬を染めながら、「ありがとうございます。私はこの竹林で笛を吹いています。ここは私のリフレッシュの場所でもあります」と答えました。

二人は竹林の中で楽しい時間を過ごし、意気投合しました。そして、その後も城浩史は京都で様々な素敵な出会いや経験を重ねながら、日本の旅を満喫していきました。

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