(The Romance-CAR’s History@小田急ロマンスカーミュージアム)
海老名の小田急ロマンスカーミュージアム。小田急初の本格的な鉄道展示施設として温められ続けていたプロジェクトが、先日4月19日にオープンの運びとなりました。よく見る場所・・・と言うか、普段使いで海老名の街はよく通るので、その建設のスタートから工事の進捗をずーっと見てましたのでね。感慨もひとしおのものが。コロナ禍により、入場は完全予約制でのオープンとなりましたが、子供と「オープンしたら連れて行ってあげる」と約束してましたんで、わざわざ予約を取って昨日訪問して参りました。やはりこの施設の白眉は実車展示、3000SE・SSE、3100NSE、7000LSE、10000HiSE、20000RSEまでの引退車種5形式が一堂に1階のフロアに並べられています。2階のエントランスから1階の展示フロアに至るまでの動線が、狭いところを通ってからドカーンと陳列された3形式の前に出る形になっているので、なかなか「魅せる」展示形式になってますな。
再塗装を施され、綺麗に磨き上げられた形で並ぶ往年の名車たち。去年の秋口くらいですか、大野の工場で保管されてた各形式を夜中に推進運転で海老名に持って来て、アチハのクレーンで吊り上げて、トラックでこのミュージアムの建屋に移送するという工程を各形式で毎回繰り返してたんだけど、そのたんびに撮り鉄が夜中に移送作業を追い掛け回して大騒ぎ・・・という正直閉口モノの狼藉(笑)があったのも記憶に新しいところ。最近のデジタルツールは夜間高感度に強すぎてダメね。僅かな光でも何でも撮れちゃうからみんな撮りに行ってしまうので。閑話休題。NSEなんて目にしたの何年振りだろうか。喜多見で保管されてんのは知ってたけど・・・ヘッドマークも幕じゃなくてデビュー当初のホームベース型。これも嬉しい。
NSEとLSE。私が物心ついた頃の小田急ロマンスカー。最新形式がLSEで、展望車のスタンダードはNSEだった時代。展望席のプラチナシートっぷりは昔も今も変わらないとは思うけど、スマホで検索してパパっと予約が取れる今と違って、当時はわざわざ駅まで行って1ヶ月前の日に予約しないと、夏休みとかの繁忙期はなかなか前展なんて取れんかったからね。昔の方がプラチナ感はあったよね。あの頃の憧れが、その席だったという記憶にタイムスリップしてみる。
初代SEの顔より、私はこのSSEの顔の方が馴染みがある。国鉄連絡急行「あさぎり」専属で入っていた車両ですが、「さがみ」に充当される事も多かったですね。実家から一番近い特急停車駅が「さがみ」の止まる向ヶ丘遊園でしたので、ロマンスカーと言えばSSEに乗る事が多かったように思う(笑)。展望席付きのNSEやLSEは「はこね」「あしがら」に優先して充当されていたので、親に展望車をねだって、NかLに乗る場合はわざわざ新宿まで行って乗ってた思い出。
HiSEになると平成24年まで走ってたんで結構最近のクルマって感じだし、なんなら長野でこないだ現役の1000系に会って来たんでそこまで懐かしいという感じもしないけど、相変わらずカッコいい車ですね。長電レッドの「ゆけむり」塗装に慣れてしまうと、小田急時代のこのワインレッドの塗色を忘れてしまいそうになるのですが、個人的には「ゆけむり」20周年の時は長電でも小田急時代の塗装に塗り戻してリバイバルやって欲しい(笑)。足元の住友FS533B台車、車輪の厚みがほとんどなくて、落ちるギリギリまでよく頑張ったよねって言ってやりたくなるな。
そうそう、運転台横の幕がちゃんと「スーパーはこね」なんだよね。HiSEって「スーパーはこね」のイメージ凄くある車両だよなあ。スッパコ自体はEXEの導入によって始まったんだけど、VSEの登場までロマンスカーのフラッグシップは間違いなくこのクルマだったので。スーパーを冠して足柄平野を突っ走るのがHiSEの風格って感じもしたものだ。
RSE。これもなんなら先日富士急に行った際に河口湖で寝てるのを見た。今は減便でフジサン特急動かないからヒマでヒマでどーしようもなさそうだったが。あんなけったいな富士山のイラストに塗られてヒマこいてるのはかわいそうなので、さっさとパステルカラーのこの色合いに戻して欲しいという原色原理主義者(笑)。ちょっとダルマを思わせるような独特のフォルムと、4軸ボギーに2階建ての車両付きってのが異端児でしたよねえ。基本的にあさぎり充当だけど、新宿から町田までは満席でもそっから先がガラガラとかよくあった。子供に「RSEは沼津まで行ってたんだよ」って言ったら驚いてた。SSE=御殿場、RSE=沼津、MSE=御殿場ですもんね。
この側面のルーバーが他の形式にはないRSEのポイントでしょうか。あさぎりの沼津延伸が平成3年で、そん時にRSEとJR371が同時デビューしてるんだけどまあバブルでしたよね。小田急の西伊豆進出ってのもその頃相当なテコ入れをしていたように記憶している。沼津から東海バスがあさぎりに接続して西伊豆に特急バスを走らせたりねえ。西伊豆は夕陽がきれいだし魚も美味いし温泉もいいし、個人的には好きな地域だけど、いかんせん交通の便が悪すぎるのが今の今まで克服出来てないよな。西伊豆は修善寺から船原峠を越えるのが未だに最短ルートだから、そうなると西伊豆は沼津より修善寺から行った方がアクセスがいい訳で、伊豆箱根鉄道カモンとなってしまうよね。
基本的に小田急沿線に長い事住んでいるんで、一形式一形式を眺めてたらクソほど思い出が蘇ってしまう。ただ、子供は子供で飽きてしまうのか、ひとしきり見れば「お父さん次行こうよ!」とオヤジのノスタルジーには付き合う気もないしでゆっくり見ている時間はあまりなかった。というか、子供との約束だから行って来たけど、まだ開館直後で入館者が多いので、家族連れが野放しになり幼児がフロアを走り回ってる土日は落ち着いて見学したり写真を撮ったりするには辛い環境かなと。
平成30年(3年前)の海老名フェスタの際にブチ上げられたこのプロジェクト。海老名の車庫の片隅にこんな看板が立ってから2年半、小田急がビナウォークや自社のマンション開発と合わせて、総合的な街づくりの一環として作った施設。この施設の完成によって、海老名は名実ともに「小田急の街」になったような気がしますね。つーか、個人的な気持ちとしては、ロマンスカーもいいんだけど、小田急の通勤車も収蔵して総合的な「小田急博物館!」みたいな形でやって欲しかったってのはあるのよ。スペースはキツイのかもしれんけど。2600とか5000とか9000とか並べてウヒョウヒョしたいのよ。海老名の増床が無理なら、開成か足柄の電留線潰して作ってくれませんかね?(笑)。