(裏高尾から仰ぐ@高尾山)
慰霊碑の袂から高尾山方面を望む。現在高尾山の真下を圏央道の高尾山トンネルが貫いています。そういやこのトンネルを掘るに当たっては「高尾山は薬王院の信仰も篤い天狗様のお山、そのどてっぱらにトンネルを掘るとは何事じゃ!」みたいな意見やら環境アセスの問題やらあって結構揉めていた記憶がある。まあ神奈川県民からしてみたら開通によってめっちゃ便利になりましたよ圏央道。閑話休題。そう、あの日419列車を襲ったアメリカ陸軍のP51の編隊は、この高尾山の稜線の上からひらりと小仏の谷に姿を現したそうです。
目撃者、乗車していた方の話を総合すれば、朝8時頃からの断続的な空襲警報の発令のために、新宿発篠ノ井線経由長野行き419列車は八王子駅や浅川駅で退避を行い、乗客を何度も列車から避難させていたようです。相当の遅れを出していた列車は各駅から次々に乗り込む乗客ですし詰め満員となり、乗客のイライラもピークに達していた事もあったのでしょう。艦載機は去ったと判断し浅川の駅を昼前に発車したのですが、運悪く湯の花トンネル手前で高尾山上を旋回していた編隊3機に見付かってしまいます。乗客の証言として「さっきまで艦載機が飛んでたのに発車して平気なのか?」と訝るむきもあったようですが…
ここから先はトンネルも多く、「いざとなれば小仏トンネルまで逃げ込めば大丈夫だろう」という判断もあり浅川を出た419列車ですが、満員という表現をはるかに超える乗客を乗せて上り勾配を単機牽引ですからそうスピードが稼げたわけでもないでしょう。米軍のP51艦載機の敏捷性からすれば、列車の動きはノロノロと這いつくばるミミズのようにしか見えなかったのではないだろうか。立て続けに編隊からの機銃掃射を受けた419列車は、とうとう逃げ切れず湯の花トンネルに機関車と客車1両半程度を突っ込んだ状態で停車してしまいます。
以下は後述された当時の状況ですが、現地で手に入れた「いのはな慰霊の集い 三十年のあゆみ」からの引用のお許しを。
「突然米軍戦闘機P51数機が機銃掃射の雨を降らせました。車内は悲鳴とバリバリと例えようのない音で、私は無意識のうちに床に伏せました。「〇〇〇!(原文名前)」という姉の最後の声、銃声がなくなり起き上がりましたが、目の前の姉は身動きせず伏せたままでした。後頭部を銃弾が直撃、即死でした」
「突然光がこっちの方へ来たと思った瞬間、子どもの指が三本、根元からとんでしまい、私が『ワアー!』と叫び声をあげたので、みんながあわてだし、ギュウギュウ詰めの車内は大騒ぎとなりました」
「しばらくして静かになりました。起き上がりながら彼女の手を見ると、指が飛んでありませんでした。返事をしないのでひょいと見ると、三つ編みの両耳の間から大脳が飛び出し、既に息絶えていました」
「『列車がやられた!』という声が聞こえて早速現場に駆け付けると、列車の中から女子供の泣き叫ぶ声やうめき声が生々しく聞こえて来た。(中略)車内は死傷者で文字通り血の海と化し、二目と見られない悲惨な光景を呈していた。即死しているもの、膝を撃ち抜かれて立てないでいるもの、ハラワタが出ているのは背中から撃たれたのだった。私はすさまじい現場の光景に身震いが止まらなかった。」
419列車が機銃掃射を受けながら必死に登ったであろう小仏峠への勾配を、いとも軽やかな足取りでE257かいじが登って行く。証言によれば419列車の機関士も機銃掃射で負傷しながらマスコンを放さず、湯の花トンネルまで何とか辿り着いたそうです。結果だけを見るならば、このトンネル内での停車が無防備な後部客車の乗客の被害を拡大させた事には違いないのですけど、戦争末期で物資の欠乏極まる中、本土決戦に備えての兵站の根幹を担うのが鉄道輸送であり電気機関車であったはずです。必死の思いで湯の花トンネルに潜り込み、電気機関車の損傷と破壊を守ったとするならば、それが機関士としての使命だったのではなかろうか。人命より優先されるもののあった時代です。
現場でいただいたリーフレット。この小冊子を読めば事件の概要がほぼ分かるように簡潔にまとめられています。帰りのバスを待つ時間、バス停前の茶屋の縁側に座って子供と噴き出る汗を拭く。「今は日本はアメリカと仲良しだけど、ムカーシ日本はアメリカとケンカしてたんよ。それが戦争って言うんだけれど…」なんて子供に伝わるように話してくれたおばあちゃんは、慰霊碑の名前を見ながら「私この〇〇ちゃんのお姉ちゃんと友達だったんよねぇ~。」などと呟いておられました。子供は「え?日本ってトランプとケンカしてたの?」とか言ってたけど(笑)。
あまりの暑さに帰りは歩く気がせず、小仏から高尾駅北口を結ぶ京王バスへ。ハイカー利用の多い路線ですから土日は台数を増やしての続行運転です。冷房の効いた車内は山帰りのおっさんおばさんで座る場所もありませんでしたが、かりそめでも今の世の中がとりあえず平和なのは良い事である。その平和も、昨今の国際情勢を見るに極めて危ういバランスの上のものであることは否定しませんけどね。
帰りしな、高尾の駅前のサイゼリヤで口の周りを真っ赤にしてスパゲティを食べる子供の顔の向こうに、この平和がいつまでも続く未来であれと願うばかりです。