(木の神様を祀る@伊太祁曾神社)
和歌山電鐵沿線最大の神社仏閣である伊太祁曽(いだきそ)神社。大正時代に山東軽便鉄道が開業する際、乏しい沿線人口に対して「沿線の神社仏閣への参詣者」を当て込んで建設された経緯があるのですが、沿線最大の社殿を持つのがこの伊太祁曽神社でした。明治43年の「軽便鉄道法」施行により、全国に雨後のタケノコのように軽便鉄道が建設されましたが、軽便法はそれまでの私設鉄道法に比べて設備の認可基準が緩く、個人でも許可申請が出来たうえ、開業10年間の欠損は国が補填してくれたという大盤振る舞いの法律でした。その中には鉄道会社としてはニーズも資本も乏しく短命に終わってしまった会社も少なくありませんが、大正から昭和の初期にかけては、国策として鉄道の建設が奨励された時期ではありました。
午後も非常に良い天気に恵まれた和歌山電鐵線沿線。これまたあてもなく何となく、途中の駅に降り立っては列車にシャッターを向ける。岡崎前駅にてたま電車を下車。春にしては強い午後の日射しの中、ボディの猫駅長が躍り出す。和歌山電鐵で使用されている車両は、南海からの転換時に承継された2270系。2Mユニットで組成された元高野線の22000系を1M1Tに組み替え出力をダウンサイジングし、ワンマン改造を施した車両。前面貫通路の埋め込みと、運転台側のドアだけが片開きになっているのが特徴。ワンマン車両に求められる降車時の運賃収受とスムーズな乗降の動線を作るためには、片開き扉で戸袋を運転台と反対側に寄せる事で、出入口と運転台をなるべく近付けておく事が必要だったのでしょうね。
岡崎前~交通センター前間。和田川と言う和歌山市内の小さな川の土手沿いを行く。チャリンコに乗った子供たちが駆け抜けていく後を追って、日本動物愛護協会ラッピングの2270系。さすがに「たま駅長」を通じて動物愛護に理解のある(?)和歌山電鐵らしいラッピングと申しましょうか。和歌山電鐵の車両は貴志側がダブルパンタになってるんですね。
電車を待って乗り込む貴志行きは「たま電車ミュージアム号」。車内に溢れんばかりのたま駅長の装飾、GW和歌山から乗って来た「たま電車」とはまた一味違ったデコラティブな車両である。車内は一日乗車券を持った小さな子供連れのお父さんお母さんで溢れていて、その中にデートでやって来た若い二人連れの姿なんかも。沿線利用は自動車に奪われ、南海本社からはそう目立った投資もなく、ジリ貧の気配が色濃かった貴志川線。この路線と車両自体を「たま駅長」の下でブランディングし、観光のアトラクションの一つとして沿線住民以外を呼び込み、路線自体を活性化させることに成功しました。
伊太祁曽駅で交換する「たま電車ミュージアム」と「たま電車」。車体前面上部に燦然と輝くティアラとネコミミ。 何でもありの圧倒的ファンタジックレールである。一般の乗客が躍起になってスマホで車内のあれこれを写真に収めるさまを見ると、貴志川線を再生させるために打ち出したプランが、ある意味鉄道路線自体のエンタメ化なんだろうなあと。
この鉄道会社に、いわゆる地方のローカル私鉄然とした鄙びた佇まいであるとか味わいだとかを求めて来ると、ここではそれを大きく裏切られることになります。地元に根差した利用の促進と全国へのアピール、これが地方鉄道の再生の一つの形なのかもしれません。
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