青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

極超私的・西城秀樹ベストテン

2013年02月10日 00時34分32秒 | 日常
えー、最近電車ばっかのこのブログに、なぜにこんなエントリーが急遽登場してしまったのかと言うと、まあ今週は西城秀樹ウィークだった訳ですよ。私的には。うん。ブログなんつーもんは私的な感情の発露と言うものも持ち合わせているんだろうから、たまにはこんな投稿があってもいいだろうと思いまして。きっかけは、いっつも営業中に車の中で聞いてるAMラジオで、まー彼が出てたんですけどね。その喋りを聞いてびっくりしてしまったと言うか…

何年か前に彼が脳梗塞で倒れ、そして一昨年も同じ病気が再発し、現在懸命なリハビリをしている事をご存じの人も多いと思います。去年の24時間テレビでしたっけね、病魔に侵された彼が歌手として復活するがために病み上がりの身でムリヤリYOUNG MANを歌わされてた時にも感じてたんですけど、声が弱弱しくてロレツも回っていないその姿にアタクシはひどく心を痛めたものですが…本人は完全復帰に向けて努力をしているとは思うんですけど、AMラジオから流れて来る本人の声には正直その気配がなくて、ひどくショックだなあと思ってしまった訳です。単純にファンと言うか、ガキの頃からファンである以上に刷り込みを受けたヒデキのその圧倒的な歌唱力と名曲の数々は、ある意味自分の音楽シーンの原点ではなかろーかと思うのですよ。そう思うと、不謹慎だけどこのままヒデキが復活する事なく老いさらばえて亡くなってしまう前に、ヒデキの素晴らしさはもう一回くらいは語っておいたほうがいいだろうと思ってしまった訳なのよw

と言う訳で今週Youtubeで改めて色々見直したりしつつ勝手に決めた我が極超私的・西城秀樹ベストテンは以下の10曲。あ、でもヒデキの曲で1985年以降のはあんまり聞いてないんで、それ以前のいわゆる「新・御三家」と言われていた時代のものが中心になってしまうのはご了承くださいw

第10位 南十字星(1982年 作詞:竜真知子 作曲:水谷公生)
同名映画のタイアップソングじゃなかったかな。確か戦争映画で、テレビCMでもこの曲を流してたんで聞いた事ある人もいるかもしれん。Aメロの平歌の部分が悲しみを押し殺したようなフェザータッチの優しい感じと、サビの部分の三連符で盛り上げる部分の組み合わせが好き。名曲。

第9位 恋の暴走(1975年 作詞:安井かずみ 作曲:馬飼野康二)
ヒデキにおける安井かずみ&馬飼野作品って特に好きなんでランクインしました。あと、このレコードのジャケットのヒデキって仮面ライダーアマゾンみたいな無駄なワイルド感があった記憶が…ヒデキの声質が若い時期の歌なんだが、イントロから感じるラテン?っぽいノリと相まってこの曲が一番ヤンチャに聞こえる。♪ダメに、ダメに、ダメになりそおっおお~ って(笑)。

第8位 君よ抱かれて熱くなれ(1976年 作詞:阿久悠 作曲:三木たかし)
この曲のイントロって超独特じゃないっすかね。作曲した三木たかし氏の頭ん中はどうなってるのか知りたいくらい、女声コーラスで熱く盛り上げるイントロのツカミはヒデキ曲の中でも随一だと思う。淡々としたAメロからBメロでタメて、サビで転調して一気に朗々と歌い上げるジェットコースターのような曲で忙しいのだが、シメはやはり熱い女声コーラスでピタッと後腐れなく終わる。楽曲として名曲。

第7位 眠れぬ夜(1980年 作詞作曲:小田和正 編曲:船山基紀)
オフコースのカバー。実のところこの曲を聴いている時点ではカバー曲である事を知らず、ヒデキの曲だと思っていた(まあ子供だったからね)。でも本家よりセールスは行ってしまったと言うのが全盛期のヒデキマジックか。オフコースバージョンがクリスタルだとすれば、ヒデキバージョンはメロウ。ボーカルの甘さが楽しめる一曲だと思います。原曲と合わせて名曲。

第6位 ギャランドゥ(1983年 作詞作曲:もんたよしのり)
セールス以上にヒデキ曲としては知られているような気がするのは、その曲名の持つもう一つの意味が有名になってしまったからなのかもしれない(笑)。なんかネタっぽく思われてるのが残念だけど、ヒデキ歌唱が円熟してからの曲なので、さすがにうめえなあ~って感じなんだよね。「おっとっこ~の視線集めては~」「そんな~仕草に憎いほど~」の部分の唸るコブシが円熟のヒデキ節でしょう。くやしいけれど名曲。

第5位 傷だらけのローラ(1974年 作詞:さいとう大三 作曲:馬飼野康二)
言わずと知れたヒデキの超名曲。触れないわけにはいかないのだが個人的にはこの位置で我慢して欲しいって感じですね。イントロのギターソロから終わりまで寸分の狂いのない世界観と言うか、ほんと楽曲面でヒデキのマカイノ先生は外さねえよなあ。サビ以外は極端に沈む曲で、陰鬱と言えば陰鬱ではあるのだが、若き日のヒデキが故の張りつめた純粋さがグイグイ引き込んで来る。大きく見るとローラ、ローラと叫び繰り返すだけで実際は3分ちょっとのとても短い歌なのだが、それが体感では5分以上の超大作に聞こえてしまう摩訶不思議。やっぱ名曲。

第4位 ジャガー(1976年 作詞:阿久悠 作曲:三木たかし)
これはぜひYoutubeで落っこってる映像を見ていただきたい(笑)。このアクション、ライヴパフォーマンス、曲間のセリフ回し、これぞヒデキ、これがヒデキ。うおおおかっけええええ!と圧倒される事請け合い。これをカラオケで歌うと知らない人でも無駄に大盛り上がりの大ネタ曲でもありますw盛りあがりのコツはとにかく恥ずかしがらない事です(体験談)。さあ来い、飛んで来い、抱いてやる、抱いてやるぅぅぅ!

第3位 ブルースカイブルー(1978年 作詞:阿久悠 作曲:馬飼野康二)
正直こっから先はどれが1位でも2位でも3位でもいいんであんまり順位に意味はないです(笑)。タイトル通りにどこまでも遠く青い空に吸い込まれて、若き日の実らぬ恋(まあ不倫なんだけど)を昇華してしまうような曲。Aメロ→Bメロ→サビと、とめどなく壮大になってしまうのでドラクエのエンディングを見ているような気分にさせられる。収まりが付きにくいのが難点と言えば難点か(笑)。実際コーラスでフェイドアウトするように曲が終わってるし…これカラオケでバッチリ歌えたら気持ちいいだろうなあ。文句なしの名曲。

第2位 ちぎれた愛(1973年 作詞:安井かずみ 作曲:馬飼野康二)
ヒデキにおける安井かずみの親和性と言うのは素晴らしく、「絶唱型」と言われた思い入れたっぷりの迫真の歌唱ってのは安井作品が生み出したものですよね。若かりし頃のヒデキの感情が思いっ切りぶつかって来るような、実に青臭い作品に仕上がっておりますよ。「♪この愛が終わる時は世界中暗い闇の中 空よ海よ悲しめよ 孤独な二人恋人」って歌詞も凄い。「空も海も悲しむよ」ではなく「空よ海よ悲しめよ」ってのが安井先生の凄さではないかと。愛の終わりの悲しみに打ちひしがれ、この世の終わりを感じるほどの気持ちのやり場のなさが「空と海」と言う漠然とした存在にすら傲慢さを強要してしまう。物凄くパーソナルな感情だけを凝縮した歌詞が、真に迫ったヒデキ歌唱とともに突き刺さるんだよなあ。手放しの名曲。

第1位 愛の十字架(1973年 作詞:たかたかし 作曲:鈴木邦彦)
安井作品で確立した真に迫る「絶唱型」歌唱を完成系にしたこの曲がめでたく1位。パチパチ。もうイントロからゾクッと来るよね。「ちぎれた愛」とどっちを1位にしようか非常に迷ったのだが。この曲はちぎれた~に続くシングル曲ですが、作詞者はたかたかし氏に変わってますけど作品としては前作の続きとはっきりイメージングされたニコイチの作品なんですよね。全面に亘って続く泣きの歌唱、最後の「幸せ…」の一言が、もう精魂尽き果てた末の絞り出すような泣き。愛に果てた末の慟哭がやはり突き刺さるのだけれども、それは既に愛の殉教者としてカテゴライズされた若き日のヒデキの、やはり張りつめた純粋さがなせるワザだと思うのであります。恐れ入りましたの名曲。

西城秀樹と言う歌手に関しては、ここで何回か触れた事もあると思うのだけど、親がファンでしたものでね。もう毎日のように物心ついた時から聞かされ続けて来まして、親に連れられて後楽園球場の「球場リサイタル」に連れられて行った事も覚えています。この他にも「白い教会」とか「情熱の嵐」とか「ラストシーン」とか、もちろん「ブーメランストリート」に、カバー曲なら「抱きしめてジルバ」に「ナイト・ゲーム」、ポップなとこでは「聖・少女」とか「エンドレス・サマー」とかめっちゃ語りたい曲はいっぱいありますが…w

今一度、復活を待っております。
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そうだ、実家、帰ろう

2013年02月09日 21時55分39秒 | 小田急電鉄

(ヘビ年ですから@百合ヶ丘~読売ランド前間)

普通三連休だと週末を目指してココロもテンションも上がって来るものですが、アタクシ迂闊にも今週末が三連休だと言う事を金曜日退社するまで忘れておりましたwこんな事って久し振りだわ。従ってフツーの週末感ハンパない状態で何の予定もないまま突入した連休。とりあえずする事もないんで、今日は子供を連れて実家に帰る事にしました(笑)。まあ、たまには孫の顔でも拝ませてやるのも親孝行ってもんでしょうか…
実家に帰るのに空手で行くのもなんなんで、ちょっと手土産でも…と立ち寄った地元の和菓子店。店から見える小田急の線路。子供は当然「小田急見るぅ~」とこうなる訳でして、交差点の上の歩道橋からまんじゅう片手に小田急線。MSEのメトロはこねが通過、デビューした時からこの車両ってヘビみたいだなあって思ってましたけど、多摩丘陵のカーブを走る姿はまさに青い大蛇の如し。まあ巳年だからいいのかもしれないけどw


バイトの頃は毎日見てましたけど、新百合ヶ丘から向こうに住んでると営団車ってだけでも新鮮な気持ちになるもんですが、デビューから40年を過ぎた今日も営団6000は元気いっぱい。都度車体の更新作業を受けてリニューアルされてはいますが、やって来た6002編成は調べたら昭和46年製造らしい。御年43歳、いつまで元気なんだお前はと言いたくもなります(笑)。近年になって若干の廃止が出たとはいえ、まだ20編成以上が現役で在籍しているこの長命&大所帯ぶりは何なんでしょう。廃車扱いになった編成も、結局まだ働けるからってインドネシアに持ってかれて、そっちでは冷房付きの新型車両としてチヤホヤされてるらしいしなあ。インドネシア国鉄ってODAの一環じゃないけど日本の鉄道車両がいっぱい輸出されてるんで、HP見ても意味は分かんないけど東急の8500とか国鉄の103系とかいきなり出て来て笑えますw
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ガード下の白昼夢

2013年02月03日 20時04分23秒 | JR

 

(画像:青空の国道駅前)


毎週毎週子供を連れての神奈川鉄ネタ掘り起こし、いつかはネタも尽きるのでしょうけれども、ない頭をひねり出せばそれでもまだまだあるものである。昼から雨の上がった土曜日、春のような暖かな風に乗って訪れたのは横浜市鶴見区。一応ここも横浜市ではありますが、いわゆる世間一般的なハマ(関内やみなとみらいや元町)の雰囲気とは一線を画した、煤けた工場と路地裏の世界。そして今でも日々の生活に密着した大きな唐破風の銭湯が似合う、いわゆる品川から大田を通って川崎の流れを引き継ぐ町工場の下町。青いガードがイチコクを跨ぎ、そのたもとにある駅から電車に乗ってみましょう。え?どこに駅があるって?


ここにあるじゃん、JR鶴見線・国道駅。
心なしか…いや心なさなくても何となく色褪せた看板に風味があるよね。もちろん国道ってのはこの駅の下を走るイチコクの事なんだけどさ。あ、「イチコク」=第一京浜国道=国道15号で、「ニコク」=第二京浜国道=国道1号で、「ダイサン」=第三京浜=国道466号ってのは城南地区から川崎・横浜の一部地域特有の呼び方ですね。これが戸塚の向こうになるとコクイチ=国道1号になるので、県内でもちょっと紛らわしかったりする。


この国道駅、改札口は鶴見線の高架下のガードにあります。まあお好きな方には有名ですけど、昭和5年に鶴見臨港鉄道として開業した当時のそのままの姿を世に残しておりまして、そのガードの佇まいたるや…なんかね、昭和21年の上野とか言われても不思議じゃない。昭和レトロと言うよりも、焼け跡とか闇市とか戦災孤児って言葉が似合うような「戦後間もなく感」がある。…野坂昭如の「火垂るの墓」の雰囲気と言えばいいのかね。


長さにしてみりゃものの100m程度のガード下、ガード下に露出を合わせると向こう側の路地が吹っ飛ぶのだが、それだけこのガードの薄暗さと言うか陰気臭さが際立つというもの。実際このガード下は一杯飲み屋やら釣り船宿やら一般の住居やらがそれこそゴチャゴチャとひしめき合っていたようなのだが、最後の最後に焼鳥屋が長期休業に入って全ての店が活動を終えているようだ。ボロいのに、上部が鶴見線の高架になっている以上躯体としてのガード下を撤去できないため、今更どうにもならないと言うのは去年秋に訪問した電鉄魚津の駅に似ている。


雨上がりで暖かくなった土曜日、このガード下だけ寒く暗く湿っぽく、瘴気のような薄モヤがたなびく木造ラッチの残る改札口。鶴見線の駅は起点の鶴見以外基本的には無人化されてしまっており、ここも簡易のSuica読み取り機が番をしているにすぎない。監視している人間もおらず、鶴見線内での乗降ってのは基本的に乗客の良心に任されているようなものである。が、沿線の工場へ通勤する客が定期を買っててくれれば、あとのモノ好き(私のような)が来る程度はもはやどうでもいいのかもしれない。いや、PASMOで入りましたけどね。ちゃんと。
子供が不思議がり、ヨメが不気味がる国道駅ガード下。…少なくともヨメと子供を連れて来る場所ではなく、本来なら一人でふらりと訪れてその雰囲気にどっぷり浸るべきだったか(笑)。ヨメが「なんかヘンなニオイがする」と言うのだが、そのニオイの元は改札横にあったトイレだった。おっそろしく臭いのはともかくこの時代に堂々と男女共用だったのを見て、どっかでこの雰囲気を見たようなデジャヴ感が湧き上がって来たのだが…
…ここの雰囲気、薄暗さといい木造の改札といい共用トイレといい川崎球場のバックスクリーン裏にあった外野席入場口とそっくりじゃね?(笑)。そういやこっから川崎球場なんて直線距離で5kmも離れてないしなあ…あの雰囲気をライブで体験してる世代はもういいオッサンだと思うのだけど、知ってたらこの感覚は絶対分かってくれるような気がするんだけど(笑)。


改札口を入って、ホームに向かう階段の踊り場から一枚。そう思うと、この階段が川崎球場の外野席に繋がってて、「家具のオケウシ」とか「酒は会津の花春」とかの看板があって、ロッテ対阪急がやってて、先発が山沖とシャーリーとかでも全然驚かないっすよアタクシはw


国道駅のホーム。ホームの上屋の柱がそのまま架線柱になってアーチのように架線のカテナリを吊ってるこの感じ、JRと言うより国電で、国電と言うより省線電車、と言うのがぴったり来る。こんな雰囲気は京急だと日ノ出町とか、戦災で焼失したまま平成まで存置された旧平沼駅を思い出します。本来であれば73系とかのチョコレート色の旧国がしっくり来る国道駅にやって来た205系の浜川崎行き。きっついカーブの上にあるホームと車両の隙間が半端なく、乗り降りにはご注意されますよう。


この後家族で浅野→海芝浦→浅野→浜川崎→八丁畷→花月園前と回って来たんだけど、海芝浦の話は前もした事あるので割愛します(笑)。鉄道雑誌とかで取り上げられる機会が多くなったせいか、以前に比べて海芝浦も来る人が多くなったような…

つーか、ウチの息子は南武線に乗る前に南武支線を体験してしまったんだなw
これって結構レアケースかもしれん。
大人になったらみんなに自慢していいぞ!(するのか?)

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