青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ボロボロの年度末

2014年03月29日 23時40分47秒 | 日常

忙しいのは、心を亡くすと書きますが…
言葉は凶器。
ヒカリは、射すか。
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驚異の年度末

2014年03月26日 00時22分43秒 | 日常

(春の夕日を浴びて@喜多見駅定番)

平日は毎日午前様に近い帰宅時間と見事に社畜化しております。年度末ってのはそりゃ忙しいもんだけど、なんか今回のは近年稀に見ると言うレベル感で我が職場を襲っている。仕事中にふと空を見ると青空に伸ばした桜の枝先には花弁がポロリと開花宣言。と言うか、ホントにこのままだと桜も撮らずにそのままGWくらいまで流れて行ってしまうような気がしてそれは我慢ならん!

抜きつ抜かれつ複々線を忙しく行き交う電車より、単行の一閉塞くらいがちょうどいい。
関東鉄道竜ヶ崎線みたいな単純労働希望(何やそれ)。
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春分の日

2014年03月21日 21時32分43秒 | 京浜急行

(気まぐれな 春雨に濡れ 散る桜@三浦海岸駅前)

週中4日のハードスケジュール&年度末進行で先週は毎日午前様に近い過酷なスケジュール。そんな中で金曜日は相鉄がストライキやってましたが、職場では「俺らもストライキやってやろうか?」と言う冗談とも本気ともつかない話も出る始末。子供が起きる前に家を出て、寝てから帰って来る生活ではほとんど子供との会話もない一週間でしたから、週末くらいは親子の時間があってもいいよね。んで、朝起きた子供にどーしたいと聞いたら「けいきゅうがいい」って…よく飽きませんね。何でと聞いたら「せんしゅうはぶるーこなかったから」と言う事らしい。ウダウダしてたら家出るのが遅くなっちまったが、外は春分の日らしくすっきりした青空。んじゃあ行ってみますかリベンジマッチ。


青空の横浜駅から2100形を狙って快速特急に乗り、上大岡で席が空いて、子供と二人で三浦半島を南下…したら何やら空がにわかに掻き曇り、金沢文庫は黒い空。横須賀中央で途中下車してメシを食ったのだが、空からはポツポツ雨も落ち始め、風は変わって北風に。話が違うじゃねえかよ!と恨み節の新大津。晴れてれば午後からいい光線なんでしょうね。


600形快特地下鉄直通青砥行き。円筒案内式の無骨な台車が主力の京急にあって、軸梁式のスマートな台車が軽快な感じがして好きです。後発の新1000形がまた円筒案内式に戻っているので、あまり軸梁式は京急の好むところではなかったのかもしれませんが…しかしまあ新大津ってのは横須賀大津の高校生がぽつりぽつり現れる程度で実に静かな駅である。本線の京急大津が近くにあってそっちの方が栄えているのと、まず一見さんには分かりにくい駅の場所にその理由があるのではなかろーか(笑)。街道沿いの「大津家」って家系ラーメンは結構美味しいけど。

 

地味にホームからの線路の角度のよさげな津久井浜。京急久里浜を越えて来るとめっきり乗客が減るので、ホームで撮るのも気を遣わなくていいので気が楽。通過列車に気を遣わなくていいのも子連れ鉄にはポイント高い。花月園前とか、快特通過時に子供から目離してファインダーなんか危なくて覗けません…真面目に通過時の風圧で子供が吹っ飛ばされる危険性があるので(笑)。「なるホ!」のホクレンラッピングでお馴染みの604Fがやって来た。結構長い事このラッピングで走ってますねえ。久里浜線は側面太白帯のいわゆる優等系車両が多くて撮りごたえがあります。


通り雨の過ぎた三浦海岸からは子供と歩いて小松ヶ池公園へ。三浦海岸の河津桜は先週まで、週中の春の嵐でトドメを刺されてすっかり花は落ちてしまいました。公園脇の道路のお立ち台もすっかり葉桜になった今では誰もおらず…それでも道を挟んだ丘側には種類の違う桜が咲いてたりして。弱く弱く戻って来た春の朧の夕日にほんのり染められて、トップナンバー2101編成が三崎口へのラストスパート。


そしてやっと逢えたねブルスカ2157編成。子供が橋の上から手を振れば、ファンファーンと二段のホーンで声援に応える。先週あたりから某お台場のテレビ局の「世界フィギュアスケート選手権2014」のラッピング車輛になってまして、1車両ごとに「フィギュアスターギャラリー」と称して浅田真央だったり羽生結弦だったりの写真展が車内を彩っております。既に通勤から何度か2157ブルスカに当たってるんだが、何の気なしに乗ったら朝から鈴木明子車輛で萎えた(笑)。


先週の天気で頑張ってここまで来れば良かったんだけど、これはこれで詮無き事でしょうか。
子供と歩く道端の菜の花が色付いて、強烈な花の香りを放っていました。

♪菜の花畑に 入日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし
♪春風そよ吹く 空を見れば 夕月かかりて 匂い淡し

「おぼろ月夜」でも口ずさみたくなるような、長くなった陽射しに春を感じての三崎巡りです。
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ダイヤ改正の週末

2014年03月14日 23時00分00秒 | 京浜急行

(青空とスカーレット@文庫検車区)

鉄界隈はダイヤ改正にまつわる悲喜こもごもに埋め尽くされる今週末ですが、こちらも住居のダイヤ改正…まあ今の家が手狭になったんで転居する事になりまして、2月からは新しい家探しから始まって諸々の環境整備に邁進する週末。いきおいカメラを握る時間も少なくなるのですが、今日は午前中に家のガラクタを重さにして80kgくらい処理してから子供と金沢文庫へ。あけぼのも、E7系も、特に関係のないただの京急です(笑)。まーこうやって天気のいい春の日に線路際に立つってのも久し振りではあるな。カメラ、カビてねえか?w


別段京急に関しては今日も平常運行…毎日通勤で乗ってるしな。それでも子供には京急が見れたと言う事自体が嬉しいようなのでまあいいか。文庫以遠では普通車の主力800形、京急界隈では一番古くそしてまだまだ主要戦力なのでありますが、日々優等車に追われながら退避駅まで逃げ切るその鬼ロケット加速は縁の下の力持ち。快特があんなにビュンビュン走れるのもコイツのおかげなのです。快特/普通の10分ヘッドで金沢文庫から南太田まで逃げるのって結構大変だと思うのだけど。しかし何で600形と800形って「816-1」みたいなハイフン番号なんだろうね。そもそも6000形と8000形にしておけばよかったんじゃないのか(笑)。


今日は白帯2001Fは現れず…の2000形。8連はほぼAP急行専属車なので八景より先の本線で見る事はあまりない。横須賀方面では朝の上り特急とかで見るくらいか。京急には新町・文庫・久里浜と検車区があるけど、新町は1000形のグループ、文庫には800と2000グループ、久里浜には600と2100のグループが集まっているような気がする。あとはバラバラといる感じで、1500はどこにでもいるような。それにしても子供の京急識別能力が日増しに高まっているようで、この立ち位置から文庫駅入線時に「こんどは2000だよ」とか「つぎは800がた」とか言うのには驚かされる(笑)。


青空の下でおけいきゅんマーク付き2100のトップナンバー2101F。車内がオール換装されてドア上に液晶カラービジョンが入りました。たまに乗りますが、内装がツヤッツヤのピッカピカでいいです。最近は「水9リットル備蓄号」と言う謎のラッピング編成が走ってますね。職場の若いのと一緒に乗った時、ビーチク列車ビーチク列車と言っていたがそんなんで喜ぶなんて小学生以下だと思いました(笑)。子供から「ぶるーすかいとれいんは?」と聞かれてHPの運用状況を調べてみたんだけど、今日は運用ナシって事で残念ね。


大川と泥亀の街を結ぶ跨線橋の上から。検車区の上を通る跨線橋なので、入換の列車がちょこちょこ動き回るのも楽しい。奥では都営車も寝てたりして。なんだかんだと夕方の4時半くらいまで見てしまったのだが、久し振りに線路際に立って日が伸びたなあと言う事を実感。今年の冬は2回も大雪にヤラれて往生したけど、そろそろ桜の話なんかもし始めなきゃいけないですかね。桜の時期ってのはそれこそ会社を休んででもカメラを持ちたくなるものだけど、ちょうどその頃に生活が落ち着いていればいいけどなあ…(笑)。
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あれから三年

2014年03月10日 23時21分52秒 | 日常

(在りし日の新北上大橋@平成19年5月)

ここのところ休みの日でも全く自分の時間が持てなくてカメラを触っている時間もない。おそらく三月一杯は何も出来ないであろう事をここにご報告しておきますが、そんな忙しさの中でもまた3月11日がやって来ます。画像は震災から4年前の旧雄勝町(現石巻市)にあった国道399号線新北上川大橋。牡鹿半島方面にドライブに行った時に撮ったんだが、東北の大河である北上川の河口付近の雄大な景色の分かる1枚。大津波で手前の2スパンが破壊されたそうだが、この画像で言うと右側の橋のたもとには、大川小学校があったはずです。

大川小遺族、3・11の真相究明求める「提訴、最後に残された道だった」(産経新聞)

まさかこのような事になるとは、この写真を撮った時には微塵も思わなかった。
日本人の価値観を変えるほどの大震災、ほとんどの日本人が多かれ少なかれ心に一生背負った業のような天災でありました。もちろん3年程度ではその傷の癒える事はないものと思いますが、改めて犠牲者の方々に哀悼を。そして被災者の方々…なんか「被災者」ってくくりもかわいそうな人とそうでない人みたいに区分けしているようで嫌なんだけどさ、何もかも元通りにはならんと思うのだけど、少しずつでも前を向いていける新たな4年目である事を切に祈っています。祈るだけじゃダメなのかもしれないけど。
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