(変わらぬ姿、変わらぬ駅@信濃竹原駅)
この日は終日天気の良かった長電の山ノ内界隈。久し振りに連絡があった同好の氏とご一緒させてもらったりしながら、特に目的も決めず、高社山の麓で晴れた日の休日を過ごす。お互いに積もる話をしつつ、リンゴ畑の片隅でカメラをパシャリ、パシャリ。撮れ高とかはどうでも良くなるような豊かな時間を過ごしました。この日の山ノ内ローカルは新鋭の3000系が入線していましたが、「午後からクジラが入りますよ」ということで、また信濃竹原の駅に戻って来ました。
古式ゆかしき木造駅舎。いつからか、駅入口の木造の引き戸は固く閉ざされ、中に入る事は出来ません。「のんびりゆけむり号」では信濃竹原の臨停があって、この駅舎の中を見学させてくれるというプチツアーみたいなものもセッティングされていたと記憶しておりますが、いつの間にかやらなくなってしまいましたね。竹原交換でそんなに時間も取っておれないという事なのかもしれませんが。
鍵が掛けられて閉ざされた駅舎の中では、「あの頃」の長野電鉄が、時間ごとそこに封じられたようにその姿を保っています。出札口上に掲げられた運賃表には、信州中野から木島に向かっての一駅一駅に、丁寧に運賃が振られていた。かつては上野から屋代を経由して湯田中まで直通急行が走った河東線、いや、廃止の頃は屋代線と呼ばれていたか。平成24年春の廃線には自分も立ち会ったのだけど、既にそれから9年の歳月が流れた。
壁に貼られた長野電鉄不動産部の広告、「不動産は信頼出来る業者を選びましょう。長野電鉄不動産部は、過去奥志賀高原別荘地、三笠台、丹波島、中越、大豆島、本郷と1,200区画の分譲の実績があります・・・」とある。「当駅にてお取次ぎご案内いたします」とあるが、駅の窓口で不動産の販売までやっていたのだろうか。なるほど長野の一大コングロマリット企業、ながでんグループらしい広告であると言えるのかもしれない。
ホームのブザーが電車の接近を告げ、3500系の信州中野行き(N8編成)がホームに滑り込んで来ました。ちなみに竹原の駅は右側通行の駅、湯田中側から40パーミルの勾配を降りて来て、手前の駅舎側のホームに入るのはカーブがキツ過ぎるのかな。竹原の駅と3500系のマッコウクジラ、それこそ長電で写真を撮るようになってから、ずーっと馴染みのこの風景だったんで、3500系もあと2編成?とか言われると驚いてしまうのだけども。
昭和50年代に長野~善光寺下間の地下鉄化のため、長電の旧型車を更新したのは東急の5000系でしたが、その5000系を平成初期に更新したのがこの日比谷線の3000系。長電では3500系を名乗り、以降30年の長きに亘って信州の風を浴びて走り続けました。東京の地下鉄から長野の地下鉄(?)へ活躍の場を移した車両でしたが、そんな旅ももうすぐ終わり。早春の西日が長く伸びる信濃竹原のホーム。歳月の染みたコルゲートに茜差す、老鯨(ろうげい)の窓辺です。
N8編成と言えば、長電で貸切列車を運行していただいたイベントの際に、湯田中側の先頭を務めたクルマ。この時はN3編成を後ろに従えての堂々の4連運行でした。大きなヘッドマークを付けて松川橋梁へのアプローチを加速してゆく姿。あと2編成の3500系、日比谷線03系の導入に伴い順次引退する計画でしょうから、こんな風景も早晩過去帳入りという事になりそうです。