何時頃から[俳句の日]ができたか寡聞にして知らない。
言葉の変化は忍び寄る寒気のように忍び足で入ってきて気が付くと全国を覆っている。
そういえば、台風と云う言葉も僕が子供の頃は使われていなかった。大風(おおかぜ)といっていた。此処で思い出すのが、今のようにテレビも新聞の無かった頃。大風が来るという予測は村の古老によってなされていた。
大風が来るということになると、各家庭のお爺さんやお父さんは急に忙しくなる。
屋根の頂《いただき;棟》の両端の東側か南側に草刈鎌(かま)を立てなければならなかった。
理由は風の神様が体を鎌で切られないように、除けてお通りになるからである。
そして、そうした準備をしていて、突風にやられて、転げ落ちないようにと云う注意をテレビで云ったりはしない。
当たり前の注意だからである。もし、当時、テレビでそんなことを云ったら「子ども扱いするな!」と云って大人はテレビを消したことだろう。
最近のテレビは大人に向かって、親切顔をして、幼児に云うような注意をする。当たり前の注意は云われなくてもするというのが大人になったということである。
更に最近の新聞用語で困るのは、TPPのようにアルファベッドを並べた見出しである。分かっている人には便利かもしれないが高齢者泣かせである、
僕の友人なんか怒って新聞購読を止めたといっていた。日本の新聞は、我が国の義務教育で教えている表記で書くべきである。
ニューヨークタイムズと同じ「見出し」を縦書きで用いて何処が嬉しいのだろう。(T)
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