アメリカの薄っぺらなポップカルチャーを描くために、表現もうすっぺらくしたら、薄っぺらそのままの評価を頂戴してしまったという作品。映画ラストで、主人公が滞納していた部屋を見学にやって来た新しい住人が、部屋のイタズラ書きを見つけて思わず「けしからん」と罵り始める。それをむかいの部屋から自嘲ぎみに眺めるガーフィールド君。この映画に対するそんな評価は見こしていたよ、とでもいいたげなデヴィッド・ロバート・ミッチェル(本名?)監督の演出だろうが、それをどうとるかで評価が真っ二つに割れる1本だ。
LAが舞台というだけあって『マルホランド・ドライブ』との共通項を指摘する人も多いが、ゲームとSEXにあけくれているオタク青年を私立探偵におきかえれば、失踪した女の子の行方を追ううちにポップカルチャーを牛耳っていた巨悪にたどり着くというストーリーは、PTAの『インヒアレント・ヴァイス』に限りなく似ている。そんなカルト映画の上部だけをまねて中味がまったく伴っていない本作が“いたい”と評価される由縁にもなっているのだ。
みなさんが普段見聞きしている映画、ドラマ、音楽、コミックのなかにサブリミナル・メッセージが隠されていて、我々は無意識のうちに導かれていると考える主人公サムのゲーム脳は、ほとんど中二レベル。そんなガキんちょの妄想に長々と付き合わされる観客としてはたまったものではないだろう。ストーリーの伏線かどうかもはかりかねる複数のコネタの意味をRPGよろしく宝探ししてみたところで、何もみつからないのは明らか。現実的には、家賃滞納の無職男が向かいにすむ露出狂おばさんに誘惑されそのヒモになるまでの、しょうもない転落物語だからである。
エマ・ストーンとの破局をくやんでいるアンドリュー・ガーフィールドのセルフストーリーととれなくもないが、それらが映画のテーマとまったく結びついていない点に本作の欠陥が浮き出ているのである。冗談のような名前のこの監督、劇中でわざわざ便器に浮かぶゲ○やう○こを映し出し、映画そのものを時の流れとともに跡形もなく消えうせていく薄っぺらな偽カルチャーであると侮辱してみせた勇気は買えるものの、映画を芸術と語ることによって飯を食っている人々からの反感は目に見えていたはずなのだ。その監督のやっちまった感が、この映画のラストシーンによく現れているのである。
アンダー・ザ・シルバーレイク
監督デヴィッド・ロバート・ミッチェル(2018年)
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