ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

靴職人と魔法のミシン

2018年01月29日 | ネタバレなし批評篇


刑場に引かれるイエスを侮辱したユダヤ人の職業は確か靴職人だった。そのせいで地上を永遠にさまようはめになったとか…

アダム・サンドラー扮する靴職人のマックスは、失踪した父親の後を継いで仕方なく靴の修理屋を営んでいるが、どうも仕事に身が入らない毎日。

父親から譲り受けたミシンで修理した靴を履くとなんと(現時点での)靴の持ち主に大変身。USサイズ10.5というかなりのデカ靴を片っ端から修理して、変身ライフをエンジョイしだすのだが…

つまり既に死んでいる人の靴を履けばゾンビに変身するわけで、この“現時点”というのが物語の重要なポイントになっている。

同居している認知症の母親の誕生日に、ある計画を実行に移すのだが、このシークエンスではかなりの確率で皆さん落涙することだろう。泣き顔コメディアン=サンドラーの真骨頂だ。

この後に続く(どっちが本物だかわかりにくい)ギャング相手の騙しうち作戦などはサラッと流しておいて、この誕生日会をエンディングに持ってきた方がむしろ作品としてはまとまったのかもしれない。

かなりごちゃごちゃして複雑なシナリオでも何とか見れる映画に仕上げる職人技は、さすがオスカー受賞監督。

トーマス・マッカーシーという人、『スポットライト』でも感じたことだが、編集が抜群にお上手で映画にリズムを与えることができる稀有な監督であることは間違いないだろう。

靴職人と魔法のミシン
監督 トーマス・マッカーシー(2016年)
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