日々のことを徒然に

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あのころ

2007年05月19日 | 生活・ニュース


我家から出たとこの通りを大名小路という。由緒ある名前だ。直線で1㌔ほどが見通せる。その1㌔先には国の名勝錦帯橋がある。錦帯橋を渡ると藩主吉川家由来の地になる。

4月の錦帯橋まつりでは、大名行列や奴道中、文化財指定の南条踊り、腰元道中などが古式豊かな装いと威勢のいい掛け声で大名小路を練り歩く。沢山の人出でが見られる。

この地はかって岩国市の中心市街地だった。市役所、税務署、警察署、信金本店、市営バスの起点、古くは市助号に代表される電車の起点でもあった。西岩国駅も岩国駅と呼ばれていた。二十日恵比寿には屋台が並び賑わいで本町筋は身動きできなかった、銀行の支店もあった、そんな街だった。

思い出すと菓子屋、本屋、呉服屋、薬屋、鍛冶屋、時計屋、文具屋、履物屋、印刷屋、肉屋、ガラス屋、果物屋、靴屋、金物屋、家具屋などなど、子供のころは賑わっていた。並びの通りは魚市場を中心に食品関連の店が軒を競っていた。
2本の煙突をシンボルにした歴史ある織物工場も駐車場へ変わりそうだ。

よく晴れた昼下がり、この大名小路、僅かな時間だったが駐車中の車は数台見えたが人影はまったく見えなかった。こんな光景もあるのか、過疎の言葉が突然頭をよぎった。賑わい復活をと、商店主など中心の活性活動は起きている。今年は鵜飼が中止になるという。西岩国地区の活性化、いい火種はなかろうか。
(写真は人影の見えなかった大名小路通り、写真左手前は大昔の税務署)

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