宇美八幡宮
574創建(古墳時代後期)
久しぶりの神功皇后伝説。
宇美八幡宮は、三韓遠征から凱旋した神功皇后が応神天皇を産んだ場所に建てられたという神社ですね。
社伝によると、創建は聖徳太子が産まれた敏達3年(西暦574年)。
平安時代には岩清水八幡宮と本末関係にあったらしい。
当然のことながら、境内には応神天皇出産にまつわるものがいろいろとあり、安産・育児にご利益ありとされています。
本殿左手奥にある子安の石。「お産の鎮め」として出産前に石を持って帰り、無事産まれたら新しい石に名前を書いて、持って帰った石とともに納める慣わしだとか。福岡市早良区の紅葉八幡宮にも同様なものがあったけど、こちらが本家ということか。奥の社は助産婦の祖神・湯方殿を祀る湯方社。 | |
湯方社左手にある子安石プール? | |
その奥にある子安石埋め立て予定地? |
出産時に産着を掛けたとされる衣掛の森。“森”とはいっても1本の樟の巨木。樹齢はおよそ2000年だそうで、国の天然記念物に指定。 |
衣掛の森の奥にある産湯の水。 |
本殿右奥には神功皇后を祀る聖母(しょうも)宮があります。
黒田藩第四代藩主・綱政によって1706年に寄進されたものだそうですが、祀られている聖母宮神像は室町時代末期のものだそうで、25年に一度ご開帳となるのだそう。
次回ご開帳は平成30年とのこと。
そして、神功皇后といえば武内宿禰。
300年生きて5代の天皇に仕えたといわれる妖怪のような人物ですが、歴史ナビゲーターの井上さんが古神道の人に聞いたという話によると、「武内宿禰」とは何と人の名前ではなく、役職名なのだとか。
ご神託の真偽を占うのが仕事だそうで、世襲制で代々役職を受け継いでたとなると、なるほど納得。
妖怪ではなく、かなり現実味を増してきます。
神功皇后を祭神とする聖母宮。 |
聖母宮の左には武内宿禰を祀る武内社が。武内社は香椎宮にもありますね。 |
さて、武内社の傍らには、徒歩5分のところにあるという奥宮の案内があります。
そして、奥宮の名前が…御胞衣ヶ浦(えながうら)!?
応神天皇の胞衣といえば、確か筥崎宮の筥松の下に埋まっているのでは…?
それに、宇美八幡宮の裏には宇美川はあるけど、“浦”っていったい…??
とにかくその奥宮に足を運んでみましょう。
奥宮は宇美八幡宮の裏をまっすぐ北東に進んで、赤い歩道橋で宇美川と町道?を飛び越えたところにある宇美公園の丘の上にありました。
とても“浦”に関係あるところとは思えません。
それに、辺りは神領古墳群のあるところで、胞衣より墓があるところなんですけどねえ。
鳥居の額には「八幡宮」とあるが、「奥宮」とか「御胞衣ヶ浦」とかいった説明は見当たらない。 |
それでも周囲には無数の子安石が。 |
まあ、そんなこんなで宇美八幡宮。
お土産と言えば、参道の茶店で売ってる子安餅(1個105円)。
太宰府の梅が枝餅とたいして変わらないんだけど、茶店の中で驚愕の事実を発見!
子安餅の由来 (中略) 里人たちはいつころからかこの餅を「子安の餅」と呼ぶようになったと伝へられている この古事から後に太宰府にも梅ヶ枝餅が焼かれるようになったと言われている。 |
なんと、子安餅は梅ヶ枝餅のルーツなのか!?
念のために店の娘さんに訪ねてみたところ、
「こっちが元祖です(笑)」とのこと(本当はお母さんに訊きたかったのだが)。
ううむ、子安餅、侮り難し。
梅ヶ枝餅も子安餅も、持ち帰り用にビニルで包んでしっとりしたやつより、焼きたてで表面のサクサクしたやつの方が旨いね。 |
宇美八幡宮
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福岡県糟屋郡宇美町宇美1-1-1
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