ちばてつや先生は、Kiinaが初めて「全音楽界による音楽会」に参加した2016年、サントリーホールの前で募金バケツを持って立ってらっしゃったのを見て、思わず駆け寄って握手をしていただきました。同じ列に湯川先生も山田美保子さんもいらっしゃいましたが、小さい頃に先生の少女漫画を読んで育った私には目の前にそのご当人が立たれていることが信じられない思いでした。
「島っ子」「ユキの太陽」「みそっかす」…1960年代前半の少女漫画誌では男性漫画家さんが沢山執筆してらっしゃって、中でも私はちば先生の描かれるヒロインの女の子が大好きでした。
漫画は長い間「悪書」扱いや「低俗」扱い「読んでもいいけど小学生で卒業ね」という程度の低いものとして扱われてきました。
ジョージ秋山さんが「アシュラ」を発表した時、「食人のシーンが残酷だ」という理由でPTAから追放運動が起こったことがあります。「生きるとは何か」という深いテーマには見向きもしないで。あの手塚治虫さんの作品でさえ性を扱っているという理由で同様の目に遭いました。
そんな逆風の中で男性漫画家も女性漫画家も「自分が描きたい物を描き、世の中に発信する」という思いでひたすら描き続け、いつしか漫画は世界の「MANGA」に。
日本がGNP世界2位を誇りイケイケドンドンだった時代、50年後60年後に漫画が日本の経済を救うことになると誰が予測したでしょう。
私は親から「漫画は卒業するもの」とは言われませんでしたし、ヘルマン・ヘッセを読むのと同じ感覚で萩尾望都さんの作品を読み、トルストイの「戦争と平和」と同じ感動を「あしたのジョー」や「紫電改の鷹」から受け取りました。
「ベルバラ」でフランス革命を「あさき夢みし」で「源氏物語」を学んだ人も大勢いらっしゃるでしょう。
鳥山明さんの「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」がどれだけ世界中の子どもたちに夢を与えてくれたことか。
昨日の「ラジオビバリー昼ズ」で高田文夫先生がおっしゃっていました。
上の息子さんはアラレちゃんに、下の息子さんは悟空に夢中だったそうですが、「父親が仕事で忙しくて構ってやれない代わりに、愛や勇気や友情の大切さを教えてくれた」
↓は昨日の日刊ゲンダイのコラムです。チャチャチャさんのお嬢さんも大いに共感されるのではないでしょうか。
「MANGAカルチャーは世界席巻も、低すぎる国内の評価…鳥山明氏の死去を機にSNSで疑問噴出」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/337336/2#goog_rewarded
萩尾望都さんが今年芸術院会員に選ばれたというニュースを目にしました。
日本芸術院は2022年に新たに「マンガ」部門を設け、その年にちばてつや先生とつげ義春さんが会員に。萩尾さんは3人めだそうです。
世界で日本の漫画が高く評価されるようになってから何年も経って、ようやく日本の偉い方々も漫画を「芸術」と認めたのですね。
豪徳寺の「旧テオドラ邸」を漫画家の有志の皆さんだけで保存・運営していこうと決めたのには、ひとつには原画原稿の散逸への危機感があったと伺いました。
出版社でさえ漫画原稿を価値あるものと認識してしていなかった時代が長かったということでしょう。
失ってから初めてその価値に気づくという過ちを、人は何度繰り返してきたことか。
鳥山明さんが亡くなられたこと、旧尾崎テオドラ邸へ行ってきたこと、サントリーホールでちばてつやさんにお目にかかれたこと。立て続けに3つのことが重なって、自分と漫画との関わり合いについて改めて考えてみました。
私にとってKiinaの歌の数々が大切な宝物なのと同様に、これまでの人生の中で沢山の漫画を愛読してこれたことを心の養分と思い、財産だと思っているのです。