※名月赤城山〜1939年(昭和14年):KIINA.2000年
https://m.youtube.com/watch?v=TRefX2ztAtQ
東海林太郎さんがこの歌を発表された前年の昭和13年、政府は国家総動員法を発令。「国民の総力を挙げて戦争を遂行する」という大義名分の下で国民の言論や経済活動は日を追って窮屈なものになっていきました。
「赤城の子守唄」や「野崎小唄」「すみだ川」などの情緒あるヒット曲を数多く持っていた東海林さんですが、次第に「麦と兵隊」「土と兵隊」などの戦時歌謡や軍歌の比重が高くなっていきます。
東海林さんのストレートで実直な歌唱の姿勢と戦意高揚を鼓舞する歌とは相性が良かったのかもしれません。
KIINA.のカバーを追うと、東海林さんの曲は昭和14年の「名月赤城山」が最後になり、戦後の歌はありません。
昭和20年8月の終戦とGHQによる占領政策の下、大衆に愛されてきた東海林さんの股旅ものは「軍国主義を想起させる」として歌唱を制限されてしまったのです。元より軍歌は歌えません。東海林さんは翼をもがれた鳥になってしまいました。
慰問先のシンガポールで終戦を迎えイギリス軍による収容所生活を体験しながら、日本に帰還するや「夢淡き東京」や「青い山脈」など新生日本を象徴するような歌でヒットを連発した藤山一郎さんとは対照的な戦後の歌手人生となりました。
戦時中の東海林さんが戦時歌謡や軍歌をお歌いになったのが、果たしてご自身の本意であったのかどうかは分かりません(早稲田大学時代は佐野学に師事した左翼青年でした)。
ただ、歌にも映画にも新聞報道にすらも検閲があって、好きなことを好きなように表現する自由が極めて制限されていたのは、戦前戦中でも戦後の占領下でも同じなのだと改めて考えさせられました。
何度も同じことを書くようですが、個人の表現の自由を制限されない国に生きていることがどれほど幸せなことか、この自由は何があっても決して手放してはならないのだと、戦争のあった時代を振り返るたびに痛切に思います。
KIINA.の「名月赤城山」に寄せる私の想いはこちらに↓
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