「洋子の演歌一直線」、5時半前に起きてリアルタイムで観ました。
菊の柄の入った着流しにきっちり夜会巻きにしてズンドコ♪を歌うKiinaが飛びこんできました。
洋子さんとのトークで
「応援してくださる皆さんがいてくださったから氷川きよしというキャラクターが出来上がったので」
「また新たなステージに立ちたい」
「第2章が始まる前の第1章を感謝をこめて12月に全部(出したい)」
そんなワードがKiinaから出てきていました。
11月4日は「いい推しの日」と認定されているそうですが、某大人気グループの解散ニュースが飛びこんできて推し活界隈は騒然としていましたね。
「音楽の方向性の違い」が主な理由だったそうですが。
このグループも彼らよりずっと先輩のグループも含めて、Kiinaはグループ全盛の時代にたったひとりでトップ集団に立って活動してきました。
23年間、体調を崩してもフォローしてもらえない、「氷川きよし」の替えがどこにもいない状況でずっと頑張ってきました。
演歌・歌謡曲の世界では当たり前とされていますが、Kiinaの公演は原則一日2公演(ポップス系は夕方もしくは夜の1公演です)。
以前は東京だけでなく大阪や広島など地方の大きな都市では2日間4公演もザラでしたし、隣県あたりなら移動日なしで連日で公演していましたね。
これの他にロングランの座長公演です。
今年の公演のMCで西さんがしきりに「ツァーコンサートが始まって20年で2600公演」と紹介されていましたが、それは間違いなく大変な偉業・快挙ではあるのでしょうが、Kiinaがいなければ成り立たないコンサートや劇場公演に、どれほどの責任がKiinaのしかかっていたのでしょうか。
今だから口に出してもいいと思いますが、Kiinaの体調が明らかに万全ではない時の公演に参加したときなど、それでも頑張ってステージに立つKiinaを見て「女工哀史」というフレーズが私の頭にはいつも浮かんでいました。
音楽活動も経済活動のひとつではあります。
Kiinaの歌声にお金を生み出す魅力があったからこそプロとして歌を歌い、対価としてお金が支払われています。
需要(ファン)があるから供給(Kiina)がある。でも、そのバランスは?
供給されるものは工場で生産された規格品ではありません。心を持った生身のからだから紡ぎ出される唯一無二の歌声です。
Kiinaが歌えば歌っただけ巨額なお金が生みだされたことでしょう。「ファンが待っているから」と言われれば、たとえ体調が悪くてもKiina はどこへでも行って歌ってきたでしょう。
でも本当に一番大事にされなければならなかったのは、Kiinaの人間としての尊厳だったのではないかと思うのです。
Kiinaの周りにいた人たちが、本当にそれを理解してくれていたのだろうかと。単なる「お金の生る木」としか見てはいなかったのではないかと。
トップ歌手でありながら、20年経ってもプロの作家の先生方に気を遣い、歌手の先輩方に気を遣い。もし「演歌の世界はそういうもの」とひと言で片づけられるのであれば、やっぱりKiinaはそこから飛び出さなければいけないし、今がまさにそのタイミングなのだと思います。
うたコンでのKiinaの涙と、今日の「洋子」で語った「第2章」という言葉で思いました。
「Kiinaは音楽の方向性の違いで‶氷川きよし”を解散するんです」と説明したら、いまだに「何故?」と思っている方にうまく納得していただけるのかな?(*^-^*)
こういうのを夜に書き出すとどんどん内容が深刻になるし、Kiinaのために誰かを批判したくなります。今日遊びに来る予定だった娘3の家族がキャンセルになったので、小春日和の明るい日差しの中、書きたかったことを整理して軽めにしてみました。