※かえり船〜1946年(昭和26年):KIINA2014年var.
https://m.youtube.com/watch?v=889y2i6fJyE
終戦までの間に「外地」と呼ばれた海外には、軍属と民間人合わせて約660万人の日本人がいたそうです。終戦後、日本の統治を開始したGHQは直ちにこの人たちを地域ごとに各連合国軍の管理下に置き、母国への帰還を促しました。
米軍、中国軍、オーストラリア軍、イギリス軍管理下では比較的速やかに復員が進んだものの、満洲ではソ連軍が民間人に対して略奪や暴行の限りを尽くし、将兵をシベリアの収容所に連行しました。多くの日本人が死の恐怖に怯えながら身一つの逃避行を続けざるを得ませんでした。
そうした混乱の中、1946年春にソ連軍が満洲から撤退。代わりに進出してきた蒋介石率いる国民政府軍に対し、アメリカ軍が輸送船を貸与することで、ようやく葫蘆島から日本への引き揚げが始まりました。
引き揚げの上陸港として舞鶴港が有名ですが、他にも小樽、函館、浦賀、名古屋、敦賀、文里(和歌山県)、宇品、佐世保の各港に多くの人が着のみ着のままで降り立ちました。母国を目の前にして命が尽き水葬に付された方も多かったそうです。
「かえり船」は終戦間もない昭和21年に発表され、大ヒットしました。この歌で歌われているのは、恐らく戦地から戻る復員兵だと思いますが、兵士も民間人も、その帰りを待つ人も、多くの人がこの歌に共感し涙したことでしょうね。
シベリアに抑留された方の最後の引き揚げ船が舞鶴港に入港したのは、終戦から11年経った昭和31年12月だそうです。
「味わい尽くす♬319」で、KIINA.のこの2014年ver.についてこんな感想を綴りました。
https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/45f35286e5482babd8e4aeffcb0c6f80
ちなみに、夫の父は日本統治下の台湾で総督府の役人をしていましたので、義両親は終戦と同時に幼い子ども達を連れて日本に引き揚げて来ました。幸い台湾は日本人に対して友好的だったこともあって生命の危機にさらされることもなく無事に帰国し、ゼロから生活をスタートさせ、夫が生まれ、娘たち、孫たちへと命が繋がれています。