ハマカフェの久巫女です
エドガーケイシーの
「神の探求」という本を、少しずつ読んでいます。
内容が、日々に実践する実習的内容なので、
いっぺんに読むだけでは、読んだことにならない話になっています。
すると、内容にあった気づきやヒントと
どう行動するのか、言動や周りにあらわれてくれる人や出来事への
対応を試される出来事がちゃんと起きてきます。
とっさの行動のなかにも、
自分の選択一つ昨日よりも少しでも
快く思えることが増えていきます。
徳と理解という項目
なるほど!ってことが書かれていました。
知識や情報も詰め込む、
丸暗記とか、手っ取り早くわかるようになるなどは、
試験や資格を取る瞬間はそれでもいいけれど、
本当にその知識を理解しているということは、
日常的に使えるレベルの
自分のものに出来るように、
手に取るように理解できているのは、
その人がその知識を扱っても良いレベル・経験値の
「徳」を持っているかどうかによるということです。
要するに、〇は△ですね、△は◇ということですね・・・
・・・と、ただひたすらに、情報を詰め込む
何となくアウトプットもできてしまう、
でもそれが何なのか?
徳・経験値がなければ本当には使えないのです。
徳っていうと、ひとつは、
志し、動機が純粋、その先に自分も他人も周りが幸せになる目的がある
というようなのが
私が思う、徳だと思います。
それさえあれば、どんなところでも、
何かを持っていようと持っていまいと、
勝手に、その徳に合った、
出来事やチャンスや情報も入ってきます。
頭の良さや記憶力や要領の良さよりもなによりも、
「徳」だけあればそれが
一番の近道です!