a letter from Nobidome Raum TEE-BLOG

東京演劇アンサンブルの制作者が、見る、聞く、感じたことを書いています。その他、旅公演や、東京公演情報、稽古場情報など。

批評対話Ⅰ 出会いのフォーラム2010

2010-08-10 23:03:00 | The Play for Children & Young People
昨年岸和田の演劇祭で経験した「批評対話」、
今年は東京で開催しました。
3日間だけの企画ですが、
濃厚な3日間となりました。
ぼくらの劇団も参加しましたが、
その報告を書いておきたいと思います。


対象作品

人形劇団プーク
『ピーターとおおかみ/ねぎぼうずのあさたろう』


まず最初に触れられたのは、『ねぎぼうず…』について。
脚本にあるテーマが、
父親探しと、正義のために悪を懲らしめる、
という2つのテーマが描かれていたように思う。
そして、あさたろうが旅の中でいろいろな人と出会うのだが、
その登場人物たちが、いったいあさたろうにとって、
どういう役割がふられているのか、

ということに質問が及んだのだが、
なかなかその辺がかみ合わなかった。
原作絵本を舞台化したということと、
初演から、さらに登場人物を増やすというリクエストで、
作り出されたために、もう少しそこの出会いを考えたい、
との演出家の答えだったのだが、
おそらくここで聞きたかったのは、
もっとシンプルなことだったのだろう。
しかし、そのシンプルなことが、
実は定義されていなかったのではないだろうか。

そして話は『ピーター…』の方に移っていく。
すでに有名な作品であり、
世界でも、いろんな形で上映されている作品である。
最初に人形と人が合致しているところがすばらしい、という意見から、
ただ、役者が人形に隠れてしまっているのは、なぜだろうか。
『あさたろう…』では、その合致によって、俳優たちの表情もともに見ることができたが、
しかし、『ピーター…』では、時々、顔が隠されている。
そして、時々俳優の顔が観ることができる。
それが余計に興味をそそられるのだが、何か意図があるのだろうか?

という質問が出てきた。
俳優の目が気になってしまわないように、
子どもたちにより人形に集中してほしくて、そのようにしたとのこと。
そしてフロアからの質問でも、
その顔を見せたり、見せなかったりについてが出てきた。
ここで、演出家から語られたのはテーマが「自由」ということだった。
話が中盤になり、ようやく作品の狙い、方向性が具体的に出てきたように思う。
例えば、音楽もクラシックなものを使わないというのも、
その「自由」というテーマに沿ったものだし、
俳優たちにとっても制約のある戯曲ではあるのだが、
最後はそこから「自由」の獲得という意味で、
顔も出てくる、ということ。
そして、観客である子どもたちにも「自由」でいいんだよ、
というメッセージが込められている。

さて、そしてそこで指摘されるのが、
俳優たちの動き、ムービングについてだ。
音楽に対して、全体にうまく機能して、
正確にムービングがされていた。
しかし、そうすることによって、
得るものと、失うものが何があるかを考えなければならない。
もしかしたら発展できるチャンスを逃してしまっているかもしれない。
例えば、おおかみがあひるを呑み込むシーンは、
もっと見たかった。
さらっと終わってしまい、もったいないと思った。
色んなやり方で、見せることができたし、
音楽を遅らせてでも、物語の展開を見せることができたはず。
もっとオープンに、ディテールにこだわってやれるシーンではないだろうか。

ここで、作品の意図した「自由」の問題が、
音楽の制約によって規制されてしまった一つの事実が浮かび上がる。

そして、
フロアの発言も含めて、
音楽によって、舞台が支配されてしまっているのでは、
という意見が多く出てきた。
特に“ロバの音楽座”という特徴的な音楽集団によって作られた音楽であり、
ともすれば、そちらがメインになってしまう気がした。
台詞のないこの人形劇では、
音楽と俳優に、相互作用(インタラクティブ)がなければならない。
そこが、どうも偏っているように思えたのだ。

もちろん、
作曲家が稽古場に足を運べずに、
録音された音楽が届くなど、
諸般の事情があることもわかる。
しかし、たとえ楽譜があり、決まった音楽があったとしても、
それでもなお、「自由」をテーマにした作品の中で、
俳優たちが窮屈に、音楽に合わせることで精いっぱいとなってしまうのは、
やはり目指す方向としては、何かが足りないという気がしてしまう。

この辺の話をしたところで、
だいたい時間切れとなっていった。
『ピーター…』は新作であり、
非常に挑戦的な演目であった。
果敢に向き合おうとした劇団の姿勢は、高く評価できるし、
だからこそ、この「批評対話」にでてもらってよかったと思った。
反省点としては、
制作担当が解説しようとしてしまうところが、
ストッパーになってしまった感もある。
この辺は修正していきたいことだ。

しかし、
他劇団とはいえ、
僕としては、どうしたらよりこの作品が先に進めるのか、
ということが見えてきたと思う。
キーワードだけ並べても、
音楽と俳優の相互作用、
ディテールを見せること、
テーマを貫くこと(「自由」について)、
登場人物の役割、
といったところか。

特に『ねぎぼうず…』については、
浪曲であったり、日本人的感覚を要求される部分もあり、
もう一つ踏み込むためには、
やはり日本人同士でなければ、
とも思った。
それでも、
さらなる作品の向上のため、
この「批評対話」ではなされたことが、
作品を動かすきっかけになればなぁ、と思いました。

赤字=北欧講師2名の話