NHK 「井伊直虎」別の男性が名乗った名前か 新たな見解 12月15日 4時01分
「井伊直虎については残されている史料が極めて少なく、戦国時代に今の静岡県浜松市の一部を治めていた人物として、「次郎直虎」という表記で登場します。
同じ時期に井伊家の当主の娘が「次郎法師」と名乗っていたという古文書があることなどから、研究者の間では、この女性を直虎と見なす考えが出されています」
「井伊館長は、「井伊次郎」の父親と見られる今川家の家臣が、「次郎直虎」の名が記された史料にも登場することなどから、直虎はこの井伊次郎と見なすのが妥当だとしています。
井伊館長は「記述には臨場感があるうえ、ほかの史料と話の流れも一致し、信頼性は高いと考えている」と話しています」
産経新聞 おんな城主・井伊直虎、実は男だった!?京都の美術館が発表 NHK来年の大河ドラマ主人公 2016.12.15 02:00
「戦国時代が舞台となる来年1月のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎について、井伊美術館(京都市東山区)は14日、井伊家が所有する古文書に「井伊(次郎)直虎」を男子とする記述が見つかったと発表した」
「古文書は、直虎を補佐していた今川家の武将、新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)の娘らから、彦根藩(井伊家)の家老(左馬助の孫)が寛永17(1640)年に聞き書きし、子孫が約100年後にまとめた『雑秘説写記(ざつひせつしゃき)』。「(領地は)新野殿のおいの井伊次郎殿に与えられた」「関口越後守氏経の子が井伊次郎」とあるのが見つかった」
「過去には、関口氏経と次郎直虎の連署がある書状も見つかっていたことも合わせ、井伊直虎が男子だった可能性があるとした。ただ、ここには「井伊次郎(直虎)」が井伊家の当主だったかどうかなどは触れられていなかった」
新野親矩は直虎の伯父(母の兄)とのこと。今川氏一族。
この記事のポイントは、「関口氏経」ないし関口氏に言及してあるところか。
権現様の正室(初代)[及びその父]は瀬名氏出身、父は関口氏を継いで関口親永(偏諱は氏親から)。権現様と井伊直政が、嫁さん・母方・側近ぐるみで非常に近い関係にあったというのが分かるし、もしこの資料の伝が本当であっても、その関係はより強固だったんだなと納得できる。
読売新聞 大宰府南東の防衛施設か、7~8世紀土塁390メートル確認 2016年11月29日
「福岡県筑紫野市教委は28日、同市の前畑遺跡で、飛鳥から奈良時代(7~8世紀)の土塁が長さ約390メートルにわたり確認されたと発表した」
読売新聞 小郡で「野越堤」出土、水害から薩摩街道守る 2016年11月17日
「石の積み方などから、江戸時代中期から後期に、久留米藩の石工集団が建造したと想定され、明治・大正期まで修復した跡が確認できるという。石材は近くの花立山古墳群の石室から選別し、加工して利用したと考えられている」
…おおおお…。…まあ、昔から、そうやって古墳の石は利用されてきたらしいから…(泣)。
大変勉強になる。
「井伊直虎については残されている史料が極めて少なく、戦国時代に今の静岡県浜松市の一部を治めていた人物として、「次郎直虎」という表記で登場します。
同じ時期に井伊家の当主の娘が「次郎法師」と名乗っていたという古文書があることなどから、研究者の間では、この女性を直虎と見なす考えが出されています」
「井伊館長は、「井伊次郎」の父親と見られる今川家の家臣が、「次郎直虎」の名が記された史料にも登場することなどから、直虎はこの井伊次郎と見なすのが妥当だとしています。
井伊館長は「記述には臨場感があるうえ、ほかの史料と話の流れも一致し、信頼性は高いと考えている」と話しています」
産経新聞 おんな城主・井伊直虎、実は男だった!?京都の美術館が発表 NHK来年の大河ドラマ主人公 2016.12.15 02:00
「戦国時代が舞台となる来年1月のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎について、井伊美術館(京都市東山区)は14日、井伊家が所有する古文書に「井伊(次郎)直虎」を男子とする記述が見つかったと発表した」
「古文書は、直虎を補佐していた今川家の武将、新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)の娘らから、彦根藩(井伊家)の家老(左馬助の孫)が寛永17(1640)年に聞き書きし、子孫が約100年後にまとめた『雑秘説写記(ざつひせつしゃき)』。「(領地は)新野殿のおいの井伊次郎殿に与えられた」「関口越後守氏経の子が井伊次郎」とあるのが見つかった」
「過去には、関口氏経と次郎直虎の連署がある書状も見つかっていたことも合わせ、井伊直虎が男子だった可能性があるとした。ただ、ここには「井伊次郎(直虎)」が井伊家の当主だったかどうかなどは触れられていなかった」
新野親矩は直虎の伯父(母の兄)とのこと。今川氏一族。
この記事のポイントは、「関口氏経」ないし関口氏に言及してあるところか。
権現様の正室(初代)[及びその父]は瀬名氏出身、父は関口氏を継いで関口親永(偏諱は氏親から)。権現様と井伊直政が、嫁さん・母方・側近ぐるみで非常に近い関係にあったというのが分かるし、もしこの資料の伝が本当であっても、その関係はより強固だったんだなと納得できる。
読売新聞 大宰府南東の防衛施設か、7~8世紀土塁390メートル確認 2016年11月29日
「福岡県筑紫野市教委は28日、同市の前畑遺跡で、飛鳥から奈良時代(7~8世紀)の土塁が長さ約390メートルにわたり確認されたと発表した」
読売新聞 小郡で「野越堤」出土、水害から薩摩街道守る 2016年11月17日
「石の積み方などから、江戸時代中期から後期に、久留米藩の石工集団が建造したと想定され、明治・大正期まで修復した跡が確認できるという。石材は近くの花立山古墳群の石室から選別し、加工して利用したと考えられている」
…おおおお…。…まあ、昔から、そうやって古墳の石は利用されてきたらしいから…(泣)。
@hirataitaisho むしろ昭和14年に朝鮮で旱魃があり、それを補うために仏印から緊急輸入を行なっていて、この時海軍が「米を禁輸されたら即開戦」と決めたという話が・・・ https://t.co/fAl9t4NbsC
— ないさろーる (@nysalor) 2016年10月13日
化学繊維ができる前の一時期、絹が重要な軍事物資だったことは忘れられがち。『刑事コロンボ』「白鳥の歌」で落下傘を絹とよぶ言い回しが空軍の号令に残っているというこぼれ話があったが、かつて落下傘の材料の絹は航空戦力に不可欠だったhttps://t.co/WaOsCIVTXu
— 原田 実 (@gishigaku) 2016年5月26日
だからアメリカも絹の輸出国の日本と戦端を開くのを避けながら絹に代わる材料を模索、デユポン社がナイロンを実用化することでアメリカはようやく日本に思い切った経済制裁を行なえるように。ナイロンの広告が出た時に日本ではハッタリと思った人も多かったが科学者や軍人の一部は真っ青になった
— 原田 実 (@gishigaku) 2016年5月26日
ナイロン初期の広告「蜘蛛の糸より細く鋼鉄より強く絹よりもしなやか、この新繊維は空気と水と石炭から作られる」、どこかで聞いたようなフレーズ…『キングコング対ゴジラ』での「蜘蛛の糸より細く鋼鉄よりも強い」線維でコングが空輸されるシーンにはまさにナイロン登場の衝撃が反映されている
— 原田 実 (@gishigaku) 2016年5月26日
大変勉強になる。
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